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読書日記220 【貝に続く場所にて】

 石沢麻衣さんの作品。1回前というかの165回芥川賞を取った作品になる。ドイツのゲッティンゲンという街に住む主人公が、野宮という友人に会うのだけれど、その友人は震災の時に行方不明になっている友人だった。という設定で物語が流れていく。

 主人公の妄想の中の世界が本の中の物語というのは、映像や漫画などでは上手く表現できないもので、落語や語りべもそうだけど、聞き手読み手に想像を働かせるというのは、小説の独特な表現法でもある。

 

 コロナ禍の中のドイツで人通りの少ないゲッティンゲンという街の駅で、主人公はトリュフ犬という天然のトリュフを探す犬を散歩させている。同居人の犬で、人に見えない(幽霊といっていいと思う)を見付けさせている。そこに何かつながりがあるのか?(犬に能力があるのか?)というのでなく、主人公が見えるといったほうが正解なのかもしれない。ただ深さが第二次世界大戦のアウシュビッツまでいく視点というのは深いのか否か?という躊躇いを感じでしまう。(主人公に関係なくね?)

 野宮がこの世のものでないというのは理解できるけど、何故かマスクをしているという不思議さがあったりする。

 このトリュフ犬の飼い主である同居人のアガータであったり、漱石の「夢十夜」で知り合った人たちなどが物語に入ってくる。著者自体がそこに住んで生活しているからか、描写はとくにうまい。遺跡多い街並みで日本で言えば京都のような世界観でそこに住んで生活をするのだから、その古さの鼓動みたいなものを感じるだけでも面白い。


 昔に浦沢直樹さんが描いていた『マスターキートン』という漫画があって、ヨーロッパが舞台であることが多かったので、その街並みをみるとなんか街が古くていいなということを漠然と感じることがあった。古い漫画なのでまだ東と西にドイツが別れていて、ベルリンの壁というものがあった。

 主人公であるキートン太一は頭脳明快で戦闘もお手の物なんだけど、普通のサラリーマンみたいな感じで物語はミステリー調の感じもある。キートンが難事件を解決したり、考古学のうんちくを語ったりする作品に夢中になって読んでいたことを想い出した。

 ヨーロッパには行ったこともなく、これから行くこともないのだろうなと思う。歴史や本や漫画、テレビなどをみて行ったように思いながら、行くこともないのだろうなこの歳になって寂しく思ったりもする。


 二つ上の従弟のお姉ちゃんがいた。茨城県の片田舎に住んでいたんだけど、お姉ちゃんの父親(叔父さん)が夏になるとよく来ていたので一緒に来ては仲良くしていた。漫画を描くのが好きでデザイン科のある短大に進んで上京し、デザインのアシスタントみたいな仕事をしていると聞いたことがあった。その頃は自分も東京で生活をしていたので2ヶ月に一回ぐらい会って近状を報告し合っていた。

 「ちょっとさ英語の勉強をしなくちゃいけないんだよね」とお姉ちゃんが言った。会社がドイツの会社に買収されてしまったらしく、上司が外国人になってしまったのが原因らしかった。英語は苦手らしかったがしょうがないとも言っていたんだけど、紆余曲折を経てそんなお姉ちゃんが外国人(ドイツの方)と結婚して日本と海外で住むことになった。旦那さんは日本語も喋れる人語学が堪能な人で、英語でコミュニケーションを取っていたために夫婦では英語で喋るらしかった。

 お姉ちゃんがたまに日本で暮らす度に海外の話を聞いていたんだけど、東日本大震災があった時にお姉ちゃんの実家(叔父の家)も被害にあった。取り壊しにはならなかったけど、修理は必要だった。その時は旦那さんの仕事の都合でアメリカに居た。不思議な話なんだけど震災の前後に夢の中に叔父さん達が出てきて「心配ない、心配ない」という夢を何回がみたらしい。不安になって連絡したのが震災の3日前だったというのを聞いて「不思議な話ってあるんだな」というのを想いだした。

 

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