見出し画像

読書日記156 【逃げろツチノコ】

 山本素石さんの本で、素石さんは「ツチノコ」の生みの親とも言われている。近畿地方の山奥に昔からいるとされる胴体がまん丸のツチノコに遭遇してから、「ツチノコブーム」が起きて、その発信元である著者が最後には「逃げろ」と叫ぶにいたるところまでが書かれている作品

画像1

 昭和34年8月の京都の集中豪雨で荒れた加茂川上流の様子を見に行った著者が山道を歩く途中で奇妙なものが著者を襲う。

 突如、右手の山側から妙なものがとんできた。杉林の下生えは日陰の藪だたみで、林道から見ると、頭の高さぐらいが地表になっている。左の崖下は渓川である。妙なものは、その日陰の藪だたみからとんできた。ヒューッといったか、チィーッといったか、どちらともつかぬ音を立てて、下生えの藪の中からゆるい放物線をえがいてとびかかってきたのは、一見したところ、ビール瓶のような恰好をしたヘビであった。

 辛うじて、そのヘビの奇襲を逃れた著者が、この異様なヘビ見てぎょっとする。ウロコがあらく頭が異様にでかいこのヘビをにらみ合いを続け、ヘビは著者の前から姿を消す。そしてその後に近隣の山でこのビール瓶のような形をしたヘビを見たという目撃情報が多発する。

画像2

 このヘビが昔から「ツチノコ」と呼ばれていたということを著者は知る。語源は「槌の子」槌というのはわらをたたく寸胴の棒のことで、その形に似ていたことからそう呼ばれていたらしい。ツチノコを見ると死ぬと言われ、村の人たちに恐れられたいた。

 自分のみたツチノコを発見しようと、自分の書く雑誌に掲載したのが事の発端で、ツチノコを探す探検志願者が増えていく。田辺聖子が新聞に連載した「すべってころんで」という著者がモデルになった小説がNHKでテレビで放映されてからは、「ツチノコ」が全国区となり、著者とは関係なく懸賞金などがかけられていく。そして、「ツチノコブーム」というのが昭和40年代におこる。

 もともとは釣り仲間たちの遊びであったものが、これだけメジャーになり、ついには「ドラえもん」にまで書かれるというぐらい全国で有名になっていく。UMAの走りというかになったことで、つくられた「ツチノコ」の目撃情報を著者は追うことになる。「自分の遭遇したあの生き物はなんだったのか?」それだけで「ツチノコ」を追った著者が疑問を持ち始めていく。

 この頃から、私にとって生々しい現実の動物であったツチノコが、不思議にも次第に夢幻化してゆくのである。

画像3

 「どうしてこうなった。」というのはあるけれど、著者が洪水の後に山道でみた「ツチノコ」というのはなんだったのか?それを感じながら、「ツチノコを見た」という目撃情報は増えていく。その目撃情報をみっしりと書きながら、著者は最後にこう締めくくる。

 百万円だの一千万円だのいう宝クジ並みの賞金が、にわかなツチノコブームに便乗して懸けられるようになったことにある。もう私にはツチノコを捕まえてやろうという意欲もないし、もとよりそんな下司な金を当て込む気持ちも毛頭ない。今の日本人がもつ平均的傾向の最もいやな一面がここに集約されて露呈した、という感じである。

 ブームの裏側を見れるようなそして、一石を投じるような作品。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?