読書日記131【小説家になるな!職業作家のリアル、それでもなりたい人へ。】
三人の作家による対談集。至道流星(しどう りゅうせい)さん、架神恭介(かがみ きょうすけ)さん、泉和良(いずみ かずよし)さんの3人の作家さんが「書く仕事」というものの現実や苦労などを語っている。作家の他にシステム開発や実用書を書いたり、ゲーム制作をしている。
第一章として至道さんは「まず大前提として売れない。売れることは奇跡と考えるべき」と言っている。泉さんは「ほとんどの作家は「食えない」状況から始まり、「食えない」状況で終わる。早く諦めて働いた者が勝ち、という世界」そして架神さんは「年収が150万だった時に「売れてる部類の作家」と言われた」と書いている。これが作家のリアルな世界という。
「コンビニ人間」で直木賞を受賞した村田沙耶香さんもデビューしてからも食べれなくてなのかコンビニでバイトをしていたことが話のベースになっているというし、人気があってある程度部数が売れればいいけど、それまでは大変だなと思う。
至道さんは19歳で会社を作って、それから小説家になったという。だた詳しく読んでいくと、小説家になろうとしてという感じではないらしい。国語の教科書以外で小説を読んだことがなかったらしい。架神さんは子供がいなければ正直年収100万円でも生活できるという。ただ「売れたい」という気持ちは必要で、それがなくなると鼻にもかけられなくなるという。生活があるわけだからバイトをしながら好きな仕事をやっていくというスタンスも「デビュー」してからも考えないといけないらしい。まずは自分自身の基盤を確立させておくことが必要だと最初の対話は結んである。
第二章として小説家としてのデビューとして実用書の売り込みや企画書みたいなものを書いて出版社に本を出してもらうなど、営業を含めての作家活動が書かれている。小説は応募となるのがベストになるらしい。企画本だと企画が刺されば売れるらしいけど小説は「○○大賞作品」というパンチがないとデビューは難しいらしい。ただそれも今は駄目らしく
妙なお話なんですけど、今はもう、「小説が売れるためには、販売前にその小説が有名になっていなくてはならない」という時代だ思いますね。
奇妙奇天烈な状況なんですけど。
それでネット投稿が中心になってきたということだと思います。
そうかとうなずく。今は古本というのに変化というか今の人気の作品って古本屋にない。なぜか?と思っていた。kindleとか電子書籍で買ってしまうからだと正直思っていたし、テレビかではそういう言い方をしている人が多かった。けれど本当は「売れていない」というのが本音なんだというのがはっきりとわかる。
作家として作品を完成させるにはどうすればいいか?という質問に対して至道さんは
作品に向き合うときは、ネットを断つ。物理的にネットが使えない場所に行くということです。喫茶店とか。
あとはテレビは不要なものなので、できれば捨てる。
と書かれている。確かにそうだなと思う。静かにするというわけじゃないけど、集中しないと「作品」という文章は書けない気がする。
作品を仕上げるのは何日もかける登山のようなもので、極端に聞こえるかもしれませんが、ある部分で魂をささげるような行為です。神社にでもお祈りにいくようなつもりで、物理的に、障害になるようなものを横にどけてしまいましょう。
カクヨムとかのネット投稿という話がでている。noteも投稿というか作品を書くクリエーター養成所みたいなところがあるんだろうなと思う。昔は出版社がリスクを負って面倒をみていた文化人が、今は自力で食べていくという必要に迫られている。出版社はネットに書かれた既に人気のあるアマチュアを拾った方が効率がいいという流れになったと書かれている。
それだけ、本が売れないという時代がもう来てしまったんだなというのがわかる。ただ、ネット投稿に多いのが「異次元の世界」などのライトノベルものが大半というのも指摘している。純文学というのをネットでみたりすることが少ないというのでなく、爆発的な人気がでないというのがあるらしい。やはりそういう世界はじわじわと育てるというか、出版社の必要性もあると書かれる。合理的に「売れる作品」ばかりを編集者が求めるということに弊害が生じていると非難する。
至道さんは露骨に今の出版社の状況を指摘する。
ある意味、この状況って編集者さんはいらなくなっていると思うんですよね。それは出版社すらいらなくなってきている。出版社に残っているのは、昔を引きずった権威だけ。
だから、クリエーターと読者を直接つなげるような流れは、もう抑えられないと思います。
確か人気作家がネットに文章を書いてそれが読めれば、そしてnoteやkindleのように回収が可能なアプリケーションがあれば、それを利用する人がメインになってきたら、とかを総合的に考えると納得してしまう。「将来の作家像」のようなものが見えてくる作品