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読書日記247 【虚像の道化師】

東野圭吾さんの作品 ガリレオシリーズの第7弾となる。

ある新興宗教の教祖が、教団に裏切者がいるといい、念じたあとに教団の幹部が苦しみだしてビルから飛び降りた。教祖は教団幹部に触ってもいない。これは殺人事件ではなく自殺として事件は終わろうとしていたが…

湯川教授(ガリレオ)が不可思議な事件を科学的にひも解く、この面白さはミステリーの王道だよなと思える作品。テレビドラマ化されているので、読んでも、「あっ!知ってるかも」というデジャヴ感はあるかも…

不思議に夏になるととても読みたくなる。

ミステリーを書く人が時代的なのか少なくなってきた。「デス・ノート」のようなちょっとSF的な作品群も減った感じがある。テレビドラマも不倫や復讐などドロドロした大人の女性が読む漫画の内容が増えていったりしているけど、しっかりとしたミステリーも需要があるような感じもする。

漫画の「ミステリと言う勿れ」などは、映画化もされている。作品を書くのにはブルーオーシャンのような感じがするのだけど、作品も何もかもあまり見ない感じがするし、密室やトロッコ問題(一人のために皆が生き残る)、フーダニット(誰がやったか?)、ハウダニット(なぜにやったか?)などの古典的なものまで出尽くした感があるのかな?とも思うけど、やはり道徳的な部分も多いのかなとも思う。

短編で「幻惑わす(まどわす)」 「心聴る(聞こえる」「偽装う(よそおう)」「演技る(えんじる)」の4つからなっている。読みやすいのでそれもとてもよい感じがする。


毎日投稿5日目となる。なんかネタ切れ感というよりは、書くことの大変さみたいなものをすごく感じる。文章をゴハンにしている人は基本的にスゴイ量の文書をマジで書く。手書きの時は手の裏が必然的に黒くなるのはもちろん、パソコンだってキーボードの配置で選ぶ人が多い。(ダイナブックはUSボードだったので、物書きには人気がなかったw)

昔に「作家でごはん」というサイトがあった。(すいません、今もありました)そのことについて書かれたnoteがあったので少し読んでみました。

その頃は、テキストエディタを無料配布するぐらいな勢いで、ガヤガヤしてた感じがする。

今もそういうサイトがあるのかはわからないけど、文書の勉強をしたい人が皆に小説を見せて添削してもらうという過程がいいのかわるいのか?ということを実験的におこなった時代でもあった気がする。

不徳的多数の人に見てもらうよりはしっかりした人何人かに添削してもらったほうがうまくなるというのが結局結論で、ぶれるというか素人でも評価できてしまうために(SNSのダークな部分)それによって未熟な作家性が崩れてしまう感は否めないという人が大半になった。

すいません、また話が脱線しましたm(__)m

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