わたしとにちじょうたち。~日本橋伝説の幕開け~
実は私は、バキバキの通いまくりお嬢様(自分で言うのすごいあれですけどメイドカフェに行くお客様たちをこう表します)からはじまった日本橋の民なのでした。
稲妻が走るような衝撃と共に爆裂的勢いでハマったのが、日本橋オタロード入り口付近にあったメイドカフェ「萌えしゃんどん」さん。
当時バンドメンバーの紹介でそこへ訪れた私は、とある黒髪メイドさんに瞬く間にハマったのです。それもその筈、萌えしゃんどんさんはコースのエンターテイメント性も非常に高く、「ツンデレコース」や「妹コース」などを選べば、それになりきってメイドさんがお給仕をしてくれたり、メッセージカードをくれると言ったもの。あとは定期的に開催されるカラオケライブで盛り上がったり、ケーキを運んでくれるちょっとした合間やチェキの時にお話出来るのが夢のような空間でした。
チェキやメッセージカードは、夢から醒めても(メイドカフェから出ても)まだその名残をお財布やカードケースに忍ばせておける、と、当時の私からしたら現実逃避するにもってこいなアイテム。特にメイドカフェ⇒バイトの地獄転落コースの日なんかは、それが支えでした。
推しを決められない私はとにかく色んなメイドさんとお喋りしてはチェキを撮り、イベントとなれば本気を出してガチャを回し、ツンデレや妹にほくほくとしながら日々を湯水のようにしゃんどんさんに捧げていました。
当時は実は学生だったのですが、相当な頻度通っていた自覚があります。土日はどちらかほぼ入り浸り、平日も時間が許せばちょこちょこと顔を出すという始末。幾つか回ってから〆に萌えしゃんどんさんでしっかり萌え萌えして帰宅、なんて日もままありました。
萌えしゃんどんさん以外で行っていたのは、SweetTeaseさんやメイドインカフェさん、e-maidさん、CCOちゃさん、カフェドールさん、Milkcafeさん……あとはうさぎさんみたいなメイドさんがキッチンもやってらして、全体的に童話みたいな雰囲気のカフェとかも通ってたのですが……いまはもうなき、な場所も多く、兎に角常にメイドさんパワーを補充しては仕事や学校に行く日々でした。懐かしや懐かしや……。
様々通いましたが私の中ではやっぱり最初に通い始めた萌えしゃんどんさんはとても思い入れが強く、お屋敷が閉まるとなった時は意地でも足を運びたかったのですが、どうしても時間が合わず、結局そのままとなってしまったのが今では苦い思い出です。
本当に、何年くらい通ったんだろうなあ。でも通っていた時は、自分も日本橋の住民側になるとは思っていなかったことだけは確かです。
人生、何があって、どう転じて、どんなめぐりあわせが有るか分からないなあ、と言うのが、今の輝向の心境なのでした。
ただ、Dメール(シュタゲネタ)が送れるなら過去の私に伝えたい。
「多忙だからと通うのを辞めるな、せめて最後の瞬間までは通い続けろ!……伝えたいことはそれだけだ。すべては運命石の扉(シュタインズ・ゲート)の選択のままに。エル・プサイ・コングルゥ。」
もしこのメールを過去の私が受信して、過去を変えたとしたら、今の私は一体どうなっているのでしょうか。