「日に三度反省する」
あなたって人はどんな人?
そう聞かれた時、見えない読者を前にして「日に三度反省する」人ですかねと答えると少し緊張感が生まれてしまいます。普段、現実世界で自己紹介をするときもそんなことは言いません。けれど、これまでを振り返ると、日に三度とは言わないまでにせよ、人より積極的に、そして好意的に(広く)省みるという行為をしてきた気がします。それが僕のルーティンです。
撮った写真や動画を整理する。昔もらった手紙や年賀状、あるいは日記を見返す。その気になれば日が暮れるまでできるのが僕の特徴です。それらを何も考えずに楽しかったな〜と見ることもありますが、自分の「楽しい」の価値がどんなところにあったのだろうかということを見返しながら考えている気がします。
なぜ、noteに何かを書き残すのでしょうか。いろんな理由があるとは思いますが、理由の一つに「まとめていつか振り返ることが好きだから」なんて人もいるのではないでしょうか。僕も大好きです。
そんな理由と、どうせならnoteを始めてみようという決心で書いてみます。
(いつまで続くでしょうか…。)
「日に三度反省する」
この言葉を初めてみたのは学部4年生の時でした。安彦忠彦(1987)『自己評価論:「自己教育論」を超えて』においてです(この名著についてもまた振り返りたいところですが)。安彦さんはこの本の中で以下のように述べます。
3回ってこだわっているんだな〜と当時読みながらこだわりの強い人だと思った記憶がありますし、研究室の先生ともその話をした覚えがあります。続きを追って、なぜかについて見てみましょう。
あ、質的に違うのねと。けれど、その層がどんなものなのか気になりますね。
具体例についてもこの先に記載されているので興味のある方は見てみてください。この本を読んで、自らを反省するという行為はとてもしんどいことなんだなと思い知らされたものです。「古来勧められてきた」というので、原典を辿ると、論語の一節であることがわかります。
辞書などで有名な「三省堂」はここに由来するらしいです。
なぜ、こんなにもじっくりと自らのことを見つめることができるのでしょうか。また、それを現在の人にも(自己評価という形で)求めているのでしょうか。それについて卒業論文を書いたのですが、それはまたの機会に・・・。
「反省」「振り返る」「内省」「自省」「省みる」・・・
ここまで何も疑うことなく「反省する」という言葉を「振り返る」という言葉とほぼ同義のように受け入れてきましたが、そもそも「反省する」というのはどういうことなのでしょうか?振り返るより少しネガティブ?内省よりは?
安彦さんが「反省」という用語を意識して使ったことには理由があるそうです。
自己評価を通じて、「反省」をとりわけ意識させたことには、安彦さんなりに定義や概念の拡張を目指した面があると言います。最近の安彦さんの考えの中では、「reflection(内省・反省・振り返り)」を含む活動が自己評価であると定義されているので、「reflection」に内包されたそれぞれ一つの要素と理解することができます。(安彦(2022)『来たるべき時代の教育と教育学のために:能力開発から能力制御への重点移動』を参照)
これらの要素が十分に検討されていないことは、「reflection」についての議論でも多く取り上げられてきたように思います。
これらを踏まえると、普段僕がしていることは、とりわけ安彦さんが考えたような「反省」の側面は一部分だと思われるので、「日に三度リフレクションする」なのでしょうか?こうしてまた定義は揺らいでいきますね。
安彦さんから考えること
「日に三度反省する」という言葉の意味を知ると、普段僕がしている振り返りのほとんどは思い出すという過程で止まっていることがわかります。けれど、「楽しい」の価値がどんなところにあったのかを思い出すことは、一歩踏み出した振り返りができていそうな気がします。
僕が現在学んでいる教職大学院というところでは、「理論と実践の往還」が掲げられており、カリキュラムの一環として省察することを求められたりします(例えば、チェック項目に当てはめてできたかどうかをはかったり、教員育成指標と見比べて自らを評価したり・・)。学校教育の中でも、とりあえず自己評価させるか〜と作業的に考えさせたりすることがあります。
「日に三度反省する」が目指すのは、ただ表面的な方法を変えていくだけではいけないですよ〜ということだと僕は理解しています。では、その内実はどういうものなのでしょうか。また、どのようにすれば実践者が省察の必要性に目覚め、表面的な方法を変えるだけの省察を乗り超えていけるのでしょうか。これは研究者が省察プログラムとして与えるものではなく、省察を実践する僕たち自身が考えていかないといけないものだと思っています。
現在は、教職大学院にて省察(reflection)について研究を行っています。主に、「教師」がする省察について、他者からの呼びかけによって見えてくるものを探っています。大学院にて自主的に行っている模擬授業の検討会や、読書会など、授業づくりを学びほぐすきっかけとは何かを考えています。
けれど、これまでの学びをみると「教師」「学習者」「(1人の)人」など多様な主語がおこなう省察について考えてきました。
ということでこのnoteでは、主に省察(reflection)についてのさまざまなことをざっくばらんに書き残していければ良いなと思っているところです。