本をつんだ小舟によせて 09

〜池波 正太郎著 真田太平記〜

 父は厳しいが父方の祖父も厳しい人だった。

楊枝は一本しか使ったらだめ(つまようじ、妻(つま)ひとり(一本)を愛せという意味らしい。)

食事の後に背伸びをしたらだめ(理由不明)

風呂から出るときはつま先に水をかけるべし、等いろいろ教わった。祖父の生家の前を流れる川で、アマゴを釣ったこともあった。裏山になる柿を祖父はもいでくれたが、いつも渋かった。

祖父が亡くなり、形見分けをすることになり、ばあちゃんがくれたのが、真田太平記である。この本を読むとぶんぶく茶釜の灰皿に灰を落としながら、ウィスキーを飲んでいた祖父のことを思い出す。

 僕が後悔してること、形見として釣竿を一本もらっとけばよかった。もうひとつは、亡くなる少し前祖父の発案でみんなで旅行に行こうということになったが僕は欠席したということだ。今思えば行けないならせめて駅まで見送りにくらいいけばよかったと思う。

 真田太平記には"しれたものではない"、という文が絶妙なところで複数回でてきて、僕としては、信繁殿が馬に乗って駆け回るくらいに心地好い。また冒頭に出てくる佐平次殿の父親と息子が誰であるのか皆様にぜひご確認いただきたい。 

 ついでにいうと最近借りた"童の神"という本に元祖忍者のような人達が登場していたのを思い出したのでここに記します、にんともかんとも。