四角い私が丸になった

以前、親との間に大きな価値観の違いを感じることがあって、何人かの人に、「価値観の違う人と共感するにはどうしたらいいのか」と尋ねました。その時の一番の答えは、「あなた自身でいなさい」でした。悩んだ時期のあった親との関係も今ではすっかり丸くなり、私の親はわたしにぴったりの人たちだと思えるから不思議です。

生きていると大きな違和感や、壁にぶつかることがあります。難しい判断や決断をするときもあります。そうした経験を経て、四角い自分が丸くなっていったように思います。宝石のように削られて輝くといった大それたことは言えないけれど、自分が丸くなってようやく、「自分らしさ」の部分がはっきりするように思えます。人と余計なぶつかり合いをしなくてすむようになったこと、物事を「快適さ」の基準で自信をもって選べること、小さな偶然を楽しめること、そうしたことすべてが「自分らしさ」がはっきりわかってから可能になりました。形に固執するわけではないけれど、丸い形にどれだけ自己主張があるというのでしょう。でもその形で十分に自分を満たすことができます。もしかしたら、四角い私だった時は、自己主張の塊のような生き方をしていたのかもしれません。自分磨きとか、自己実現とか、そういう言葉をそのままに生きていたような気がします。それが進む原動力のようなものでした。少し無理をしても何か自分を超えた大きなものを求めていたのだと思います。

丸くなった私の世界観はもう少し気楽です。前に、ある人が、「現状維持は衰退だ」と言ったのでびっくりしたけれど、そんな緊張感のある世界は離れました。もっとゆるくて、普段の会話の中で、自分の気持ちを少しずつ出して満たされて前に進んでいく感じです。

ずっと昔、大学の先生が学生たちに、「ずっと横並びでいようとがむしゃらに進むのではなくて、どこかで降りる必要がある」とおっしゃいました。降りることを明確に意識したことはないけれど、丸く生きた方が楽だよな、というのは徐々にわかってきました。四角から丸になるプロセスので自分に優しくする、自分を満たすことを基準にしても人生がうまくいくことがわかり、大きな安堵を知りました。(自分にない大きなものを求めるのではなく)、「今あるものに感謝しなさい」、かつてこの言葉を贈られたことをかみしめています。

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