9・11 日常はもしかしたら幻想なのかもしれない。というお話

いまからどれくらい前になるのだろう。あの日、一機の飛行機が見上げるほど高いビルに突っ込んでいった。

当たり前だと思っていた日常がゼロになったあの日。紙切れのように落ちてくるコンクリート片、押し寄せる砂ぼこり、鳴り止まないサイレン、言葉にならない人々の叫び。

多くの人が崩れることがないと信じていたものが、一瞬にして崩れ落ちていった場所は、「グラウンド・ゼロ」と呼ばれている。

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昨年、ニューヨークへ行く機会があって、どうしても行きたかった 911 memorial museum へ足を運んだ。

テレビの911特集を何度か見たことがあったけれど、ミュージアムに何があるのかは知らない。「知っておかないといけない」その思いだけで、チケットをとった。エントランスをくぐり抜けて、前を歩く人について進んでゆく。

鉄骨がむき出しになったコンクリートの壁、当時の消防車のサイレンと消防隊員のやりとり、混乱した電話の声、当時の映像や写真、雑誌、新聞。

ここには書き尽くせないほどさまざまな展示があって、当時が目の前に蘇ってくるようだった。

「もし自分だったら」そう思うよりも先に、胸がぎゅっと締めつけられていた。当たり前にあった日常が、ほんの数時間でいとも簡単になくなってしまうことがただ怖かった。

かつてビルがあった場所には、ノースプールとサウスプールと呼ばれる慰霊碑がたっている。そして、少し離れた場所には、グラウンド・ゼロを見下ろすようにして、新しいワールドトレードセンターがたっている。

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なくなった「もの」は、新しく作り直せるけれど、当たり前にあった日常はもう二度と作り直せない。うまく言葉にならないけど、ほんとうは「日常」はあるように見えて、いつだって戻ってこない幻想なのだと思う。


今日のよきこと(食べにいきたかった餃子が食べれた!カラオケで久しぶりに散々歌った!すっきり過ごせた!)

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ハルカ
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