私が大嫌いなゼミの選抜方法
大学のゼミの選抜方法だが、私の知る限り、①面接、②課題論文、③志願理由書、④抽選の四択ないしこれらの組み合わせである。
(※文系・法学部)
個人的に大嫌いなのは「面接」だ。別に担当教員が一人で選抜するのなら全く不満はない。問題なのは学生もそれを担当する場合があることだ。
学生が選抜面接に関与するとなると、基本ゼミ長が、場合によってはさらに希望する上級生が先生とともに面接官を担当することとなる。
ここまで書けば私の言わんとすることをご理解して頂いた方もいらっしゃるかもしれない。ゼミ生が関与するとなると、彼らはまだ学問的な優劣を測れるほどには至ってない以上、どうしても恣意的な判断にならざるを得ない。百万歩譲ってそのような事実はないとしても、面接受験者からするとかかる心象を抱かざるを得ない。
ここで彼らから、ゼミクラッシャー(※)が入ってしまうのを未然に防止するため、と反論されるかもしれない。
もっとも、そんな人が面接に来る割合は高くはないだろう。その上で、ゼミクラッシャーを先生は見抜けなかったが、ゼミ生は見抜けたという場面が発生する確率は杞憂と言えるほどの低さではないか。
(そもそも、先生は自分がコントロールできる人のみ入ゼミさせるだろう)
さらに、選抜にゼミ生が関与することが必ずしも既存のゼミ生にプラスをもたらすとは言えない。
実際、志願理由書の評価を学生が一部担っているゼミにおいて、期限に遅れた良い出来の志願理由書と期限通りに提出された普通の出来のそれのいずれを合格とするかについてゼミ生同士で揉め、結果、険悪な雰囲気に陥ってしまったという話を他学部の友人から聞いている。
これはゼミ生が、たかが一、二学年下の学生を適正に評価する基準を持ち合わせておらず、言語化できない主観で判断しているからだろう。同様のリスクは面接においても十分想定できる。
このように曖昧な判断基準で選抜されているのだろうと察するが、何よりも私が気に食わないのは、就活における面接の判断基準がブラックボックスであるという学生が最も嫌がる事を自ら実行しているという大矛盾が存在するためだ。
強いて言えば、まだ民間企業の方がマシである。判断過程に多大なる人事部の主観が介在するとは言え、究極的には「応募者が企業利益の増大に資するか」という一応の基準は存在するためである。
一方で、ゼミの場合はどうか。優秀さを問うならばGPA(大学の成績)という客観的な基準で判断すべきだし、研究への意欲を問うなら学術的な話が中心となるため、面接官は先生こそ適任である。
実際、とある友人のゼミでは、選抜目的を研究意欲及び研究に足りるだけ学力の有無の調査とし、選抜基準が選抜目的と実質的関連性をもつよう、課題論文及び先生との面接に変更したと聞いている。
「偉そうに講釈を垂れているが、お前のゼミはどうなんだい?」
きっと皆さまはこう思われたことだろう。
「・・・」
お恥ずかしながら、昨年度に増して広報に力を入れたつもりだが、今年もうちのゼミに選抜をするだけ人が応募してくることはなかった。
(先生はそれを見込んで選抜なし・定員を超過した場合は抽選と要綱に記載されている。)
一次募集現在、定員に対してわずか20~30%だそうだ。もちろん、先生は全員採用されることだろう。正直、溢れるだけ人が来るところが羨ましいのだろうというのは事実ではある。
冒頭写真:Pixabay(2024/6/26)
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