![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/128941523/rectangle_large_type_2_19be97a597edf34376cfda109dae7b51.png?width=1200)
【一問一答】第9章 古代中国世界の形成
X(旧Twitter)で投稿した問題を収録いたしました。
投稿を開くと、解答・解説がご覧になれます。
適時更新していく予定です。
注意:一番得票率が高かった解答が必ずしも正答とは限りません。
対応書籍はこちら
〈難易度〉
無印:教科書レベル(基礎)
やや難:教科書熟読レベル(標準)
難問:用語集レベル(応用)
超難問:私大の捨て問レベル(発展)
※難易度はおおまかな目安になります。
9-1(1問)
【4択問題】〈古代史〉
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) December 31, 2023
中国の新石器時代前期には、前5000年頃に河南省を中心に( A )が成立し、( C )と呼ばれる土器が特徴として挙げられる。一方、同後期の前3000年頃に山東省を中心に成立した( B )は( D )と呼ばれる土器で有名である。#源の一問一答
9-2(2問)
【4択問題】〈古代史〉 ※難問
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) November 19, 2023
夏王朝は、黄河の治水で功績を上げた( A )が、理想の為政者たる五帝の一人( B )より禅譲を受け、前2000年頃に建国されたとする実在すれば中国初の世襲王朝である。なお、最後は暴君( C )が酒池肉林に溺れたため、殷の湯王に滅ぼされている。#一問一答
【4択問題】〈古代史〉 ※難問
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) March 28, 2024
周の( A )は悪名高い殷の紂王を討つべく挙兵すると、これに賛同する諸侯とともに( B )で70万の兵を率いる紂王を破った。紂王の軍は数こそ多いものの、奴隷兵や徴発兵で成り立っていたため、その士気は低かったという。#源の一問一答
9-3(1問)
【4択問題】〈古代史〉
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) November 28, 2023
戦国時代というと、日本では応仁の乱が勃発した1467年以降の武将たちによる争乱の時代が想起されるが、中国史では一般に、晋から分裂して成立した( A )を周王が公認した前( B )年以降の時代を指すとされる。#一問一答#高校世界史#世界史探究
9-4(1問)
【4択問題】〈古代史〉 ※難問
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) November 1, 2024
春秋戦国時代には商業の発展が進み、取引を媒介するものとして青銅貨幣が流通した。また、この頃、取引の場としての側面を有する都市が成長を遂げた。例えば、斉では主に( A )が流通し、山東省に位置する都( B )は7万戸の大都市であったという。#源の一問一答
9-5(2問)
【4択問題】〈古代史〉
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) September 9, 2024
諸子百家の( A )は外交戦略を論題としたが、その中の( B )は合従策と呼ばれる東方6ヶ国による大同盟を説いた一方、( C )は連衡策と呼ばれる秦と東方6ヶ国各国との間の個別同盟を説いた。#源の一問一答
【4択問題】〈古代史〉 ※やや難
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) February 27, 2024
農家を代表する( A )は、儒家で性善説を説いたことで有名な( B )と同時代を生きたとされる思想家で、国民皆農を採り入れれば、それによって物価の均等化が実現され、平等・平和な社会が実現できると訴えたが、思想は大衆に広まらなかった。#源の一問一答
9-6(1問)
【4択問題】〈古代史〉
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) October 31, 2024
詩集『 A 』の作者( B )は( C )の王族でもあった。( B )は縁談のためと言えども緊張関係にある秦に向かうのは危険だと諫めたが、懐王はこれに従わず、案の定、捕縛された。その後、新たな王が立つと( B )は左遷され、汨羅江に身を投げた。#源の一問一答
9-7(2問)
【4択問題】〈古代史〉 ※やや難
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) September 20, 2024
以下の中から秦の始皇帝の政策として明らかに誤っているものを選びなさい。#源の一問一答
【4択問題】〈古代史〉
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) April 2, 2024
前206年に( A )が秦を滅ぼすと、鴻門の会と言われる( B )による( C )暗殺未遂事件が起こった。その後、( D )は漢中への左遷を甘受し、その地で力を蓄えると、前202年、垓下の戦いで( E )を破り、漢王朝の初代皇帝となった。#源の一問一答
9-8(9問)
【4択問題】〈古代史〉
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) August 25, 2024
前漢の( A )は、質素倹約や消極的外交に努めた一方、皇帝権力の強化を試み、呉楚七国の乱を鎮圧して劉氏の諸侯王の勢力を削減すると、地方でも( B )を導入した。#源の一問一答
【4択問題】〈古代史〉
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) March 4, 2024
漢王朝が安定期を迎えると、地方で独立色を光らせる劉氏一門の諸王の勢力を削減する策が採られた。もっとも、これに諸王は反発し、( A )の即位後、呉楚七国の乱が起きたが、激戦の末、中央政府が勝利し、地方における( B )の導入が進む結果となった。#源の一問一答
【4択問題】〈古代史〉 ※やや難
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) December 25, 2023
前漢の武帝は領土拡大に努め、衛皇后の弟( A )及び甥( B )を武将として取り立てて匈奴討伐に派遣し、結果、西域に( C )を含む河西4郡を設置することに成功した。#源の一問一答
【4択問題】〈古代史〉 ※やや難
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) November 11, 2023
前漢の武帝は( A )の献策を受け、儒教を官学化するとともに、( B )の発案により、特産品を徴収して不足地に転売する( C )を定め、漢王朝の全盛期を築いた。#一問一答#高校世界史#世界史探究
【4択問題】〈古代史〉
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) January 12, 2024
前漢の武帝は地方の優秀な人材を登用すべく、( A )を実施するとともに、( B )の献策を受けて儒学を官学化し、学者職として五経博士を設置するなど、様々な政策を実現し、前漢の最盛期を築いた。#源の一問一答
【4択問題】〈古代史〉
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) November 30, 2023
中国の古都と言えば、まず長安と洛陽が挙がるが、実際に劉邦が建国した前漢は( A )に、漢王朝の外戚たる王莽が建国した新は( B )に、赤眉の乱を鎮圧した劉秀が建国した後漢は( C )にそれぞれ都を置いた。#一問一答#高校世界史#世界史探究
【4択問題】〈古代史〉 ※やや難
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) March 27, 2024
前7年、前漢の( A )は国家財政を安定させる目的で( B )の大土地所有を制限する限田策を発布したが、これは( B )ら多くの者の反対にさらされ、結局、実効性がないまま終わった。#源の一問一答
【4択問題】〈中世史〉
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) October 27, 2023
漢王朝の外戚( A )は復古主義を掲げて新王朝を建てたが、王朝は長続きせず、( B )と呼ばれる農民反乱を機に倒れることとなった。#一問一答#高校世界史#世界史探究
【4択問題】〈古代史〉
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) October 5, 2024
漢王朝の外戚に当たる王莽は、平帝が僅か10代で疑惑の死を遂げると、天命によるものとして自ら即位して( A )を建国し、( B )に都を置いた。しかし、彼の理想主義的な政策は混乱を生じさせて赤眉軍や緑林軍の反乱を招き、( B )で殺害された。#源の一問一答
9-9(1問)
【4択問題】〈古代史〉
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) December 7, 2023
後漢は2世紀後半になると弱体化が進み、184年には( A )の創始者張角が( B )を起こした。以後、時代は三国時代となり、漢王朝は有名無実化していった。#一問一答#世界史探究#高校世界史
9-10(1問)
【4択問題】〈古代史〉 ※難問
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) December 7, 2023
漢代には、現代にまでつながる革新的な発明がなされ、宦官の( A )によって製紙法が、学者の( B )によって地震計が発明された。なお、製紙法は751年の( C )の戦いの結果、イスラーム世界に伝来している。#一問一答#高校世界史#世界史探究
9-11(6問)
【4択問題】〈4択問題〉 ※難問
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) December 26, 2023
黄巾の乱以降も漢王朝では外戚と宦官による内部対立は続き、もはや王朝自体は無力化する中で、後220年、魏の( A )は後漢の献帝から禅譲を受け、( B )として即位することとなり、これにより後漢は滅亡した。#源の一問一答
【4択問題】〈古代史〉 ※やや難
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) July 7, 2024
220年、献帝が魏の( A )に譲位して名実ともに漢が滅亡し、魏・呉・蜀が天下を争う三国時代となった。もっとも、この3国は半世紀ほどのうちに( B )の順に滅亡し、280年、司馬炎が中国統一を達成し、三国時代は幕を閉じた。#源の一問一答
【4択問題】〈古代史〉
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) April 24, 2024
( A )は魏の元帝から禅譲を受けて晋を建国したが、自身の死後に( B )という後継者争いが起こり、敵に負けじと軍事力として周辺異民族を利用する手を取った。そして、自分たちが呼び寄せた異民族が( C )を起こし、前趙によって晋は滅ぼされた。#源の一問一答
【4択問題】〈古代史〉 ※やや難
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) June 30, 2024
西晋の王族たる司馬睿は東晋を建国し、自身は( A )として即位した。その後、華北に( B )を都とする前秦が成立し、東晋は383年に淝水の戦いで苻堅の攻撃を受けたが、皇帝の弟たる苻融を討ち取るほどの大勝利を挙げ、王国存亡の危機を凌いだ。#源の一問一答
【4択問題】〈古代史〉 ※やや難
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) August 31, 2024
4世紀、司馬睿が( A )を建国すると、漢人の移住が進み、江南の発展が進む中で( B )して徴税する土断法が定期的に実行され、国の財政の安定が図られた。#源の一問一答
【4択問題】〈古代史〉
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) May 14, 2024
386年に鮮卑出身の拓跋珪が北魏を建国し、道武帝として即位すると、都はまず( A )に置かれた。その後、494年に6代目となる孝文帝が即位すると、漢化政策が推し進められ、その一環として都も( B )に遷都された。#源の一問一答
9-12(2問)
【4択問題】〈古代史〉
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) November 3, 2023
魏晋南北朝時代には、「蘭亭序」を書いた書道の祖たる( A )や「女史箴図」を描いた東晋の画家( B )が登場した。#一問一答#高校世界史#世界史探究
【4択問題】〈中世史〉 ※難問
— 源勝芳(世界史一問一答) (@ka_minamoto) January 12, 2025
( A )は河北出身の4世紀の僧で、仏図澄の弟子にあたり、( A )は前秦の( B )に仕えて仏典研究に励んだ。ちなみに、浄土宗の創始者とされる( C )は( A )の弟子に当たる。#源の一問一答
いいなと思ったら応援しよう!
![源 勝芳(法学部生ブログ)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/79926012/profile_2459863da26da02fb97ec32021c19bab.jpg?width=600&crop=1:1,smart)