助産師 陽子先生 プロフィール♡
ご挨拶
初めまして! 大阪市で訪問専門の開業助産師をしています 彩り助産院 院長の前田陽子です(*^▽^*)
本日はプロフィールにたどり着いていただきご縁に感謝いたします。
こちらは「前田陽子ってどんな人?」「助産師ってどんな仕事?」「助産師になったきっかけ」を知っていただく内容にしていますので、最後までご覧いただけたら嬉しく思います(*^-^*)
私はこれまで助産師として毎日命の誕生に多く関わってきました。
しかし2020年2月 父をガンで亡くし、医療者としてではなく身近な家族の死に直面しました。
父を通して在宅ケアを経験し自然死を目の当たりにしたとき、「生まれる」ことと「死ぬこと」は繋がっていること、命が自然に産み出されることと自然に消えていくことって究極に美しいんだということを実感しました。
命にかかわり続ける助産師は本当に大切な役割を担っています。
私は父のおかげで「死を深く意識しながら生まれることを考える助産師」になることができました。
これは私の最大の強みとなっています。
助産師とは
まず、助産師ってどんな仕事なのかご存じでしょうか?
「助産師」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、助産又は妊婦、じょく婦若しくは新生児の保健指導を行うことを業とする女子をいう。
-保健師助産師看護師法より-
助産師の全国就業人数は3万9千613人、看護師は121万665人(2016年 厚労省調べ)助産師は看護師の約1/30です。
助産師の認知度はとても低いのが現状です。
助産師=出産のお手伝いをする人=産婆さんですよね?と言われることが圧倒的に多いです。
助産師は「出産の手伝いだけをする人」と捉えられることがほとんどです。
そして助産師は「病院(産婦人科)でしか会えない仕事の人」とも思われがちですがそうではありません。
助産師は看護師になるための勉強を3年したのち、助産師になるための勉強を1年(大学院は2年)します。
助産師は必ず看護師と助産師免許(国家資格)を持っています。
看護師免許があるため内科や外科など一般の看護全般できますが、特に母子の看護を中心する仕事です。
助産師は英語ではmidwifeと言い「女性の傍らにいる人」という意味があり、母子の看護を中心としながらも、思春期教育を行ったり、妊活中や更年期・老年期女性の心身のケアも行います。
病院では妊娠・出産・育児をサポートすることが主ですが、地域でも活動している助産師はたくさんいます。
助産師は開業することができるので、私のように独立して地域で活動している助産師もいますし、病院に勤務しながらも学校や保健センター、助産院などで性教育や健康相談などを行なったり、思春期や更年期女性の悩み相談に対応している助産師もいます。
助産師は看護対象者の年齢に関係なく、妊娠してるしてないにも関係なく、全ての女性の心身のサポートをしている、言わば「女性の最大の味方」なんです(^^ゞ
女性は女性ホルモンのバランスがそれぞれの時期で変化します。
✅ 思春期には月経が始まる。
✅ 妊娠・出産時に女性ホルモンはピークを迎え る。
✅ 更年期で女性ホルモンが減少するとともに更年期症状が出現することがあり、50歳頃に閉経。
✅ 老年期は女性ホルモンが激減した状態が持続するために、うつ状態に陥りやすかったり、骨折しやすいなど特有の症状が色々出現。
その 女性ホルモンのバランスに伴って出現してくる心身の状態変化に対して、症状の予防や改善方法を伝えたり、直接ケアするのが助産師なんです。
助産師は出産の介助だけでなく、赤ちゃんからお年寄りまで、女性の性の一生に寄り添い看護をする仕事だということがお分かりいただけたでしょうか。
助産師学校は過酷
助産師の学校は専門学校、看護大学の助産師科、大学院の保健学科の助産師科(2年)があります。
1年(2年)間で、新生児・思春期~老年期までの女性の心身の特徴と看護、妊娠・分娩・産後について集中的に学びます。
実習では指導のもと、分娩介助10件を経験してレポート提出。
その他、テストや研究…と超過密スケジュールをこなします。
分娩はいつあるか分かりません。
私が学生のときは、クラスメイトが順番に学校に泊まり込んで、日・祝・お盆・お正月・夜間・早朝関係なく分娩待機をしていました。
妊娠中から継続して担当している妊婦さんが分娩になるときは、必ず自分が介助しなければいけなくて、どんなにスケジュールが詰まっていても病院に出向いて行っていたので、最高72時間眠ることができずに過ごしたこともありました。
本当に過酷で、クラスメイトはストレスから過食になって太るか拒食になって痩せていく感じでした。(私は何とか大丈夫でした(*^_^*))
クラスメイトは15名。
みんな「絶対助産師になる!」という強い思いを持って、励まし合い、協力し合い、一丸となって厳しさを乗り越えました。
(今でも半数以上のクラスメイトと連絡を取り合っています)
<助産師学生時代 病院で実習中 ナースキャップが懐かしい>
最初は…看護師になりたい から始まった
私は最初は看護師になりたいと思っていました。
4歳頃「大人になったら何になるの?」と聞かれたとき「かんごふさん」と言っていました。
私の家族や親戚、知り合いにも全く看護師はいなかったのですが、「何になりたいの?」と聞かれたら一寸の迷いもなく、何なら食いぎみに「かんごふさん!!」(笑)
そして進路に全く迷うことなく、全ては看護師になるために小・中・高・看護学校へと進みました。
働きたい科は外科か手術室。そこまで決めてました。
<看護学生時代 学生の実習衣はブルーでした>
それが…看護学校での産婦人科病棟の実習で、初めて助産師の仕事を目の当たりにし、出産介助を見学させていただいた時に「助産師ってこんな凄いことできる人なん???!!!」と思いました。
陣痛でしんどそうにしている産婦さんに、寄り添い、励まし、それでいて分娩が正常に進んでいるかの判断も怠らない。
「そろそろ生まれそうやから分娩室行くね~」と…
何でそんなことが分かるねーん!と衝撃の嵐でした。
助産師は、医師に頼らなくても正常な出産なら全て責任を持って援助することができる人!
「私、助産師になりたい!絶対になる!!」
お母さんと赤ちゃん、ふたりの命を責任を持って私が守る!
そう固く決意して助産師になりました。
でも…実は私は一度助産師学校の入試に落ち、1年間看護師として勤務しました。
人の倍以上勉強していた自負があったので、結果発表の日は不合格と分かって泣きまくってました。
当時よく耳にした「大事MANブラザーズバンド」の「それが大事」という曲を何度も何度も聴きました。
「負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じぬくこと、ダメになりそうなときそれが一番大事~♫」
私は絶対負けない、投げ出さない、逃げ出さない、自分を信じる!
ぜ~~~~~ったい 助産師になるっっ!!!
そう強く自分に刻み込みました。
そして1年間は産婦人科病棟で看護師の仕事をし、夜勤もこなしながら勉強して、翌年には2つの助産師学校に合格しました。
助産師学校に入学してから「何で私は昨年不合格だったんだろう?」と考えました。
それは、「私には1年間の看護師経験が必要だったから」だと思います。
1年間看護師として勤務できたことで、病院の仕事を覚えることができ、病院のスタッフとの人間関係も構築でき、看護師の経験を持って助産師学校へ行くことで、ストレートに進学してきた仲間とは違った視点で深く看護を捉えることができていました。
そして何より、今でも関係が続いている助産師の仲間に会わせてくれるためだったと思います。
一生懸命必死にやったのに望みが叶わないのは、
ただ「その時期じゃなかっただけ」
全てにおいてそう思うことができるようになったできごとでした。
忘れられない出会い
総合病院に助産師として勤務していた25年間で看護した女性は約5万人。
出産介助件数は約200例 その中で色々な出会いがありました。
<総合病院に勤務時代>
私は病棟勤務でしたが、外来で妊婦さんの生活指導もしていました。
たまたま妊娠初期から関わらせていただき、出産時も担当し、産後まで継続的に経過を観させていただいた方がおられました。
赤ちゃんが無事誕生し、数日後その方から言われた言葉…
「子どもの名前に前田さんの名前の一文字もらっていいですか?」
えっ?え~っ!?
人生の中でそんなことあるんですか~っ!?!?!?!?(@ ̄□ ̄@;)!!
今思い出しても嬉しくて涙が出ます。
こんな嬉しいことあってもいいのか?っていうくらいのできごとでした。
その方とはその後 年賀状でずっとやり取りさせていただき、私の名前の一文字をつけてくださったお子さんはもう成人されています。
お母さんは私が開催した2019年のセミナーに来てくださり、約20年振りの再会でした。
大切な大切な出会いを与えてくれた勤務時代に感謝しかありません。
<出産介助させていただいたお母さん約20年振りの再会
大雨降る中、仕事があるにも関わらずセミナーに駆けつけてくださいました!>
私の妊娠生活・出産は後悔ばっかりだった
私は2人の出産を経験しています。私の妊娠中・出産の状況は大変なものでした。
妊娠中も病院勤務していて、強度のつわり、切迫流産、切迫早産を経験し、妊娠中ずっと「しんどい」と思いながらストレスの中で過ごしました。
出産時は前期破水(陣痛が始まる前の破水)をし、発熱し、陣痛促進剤を点滴しながら27時間かかっての難産。
意識がもうろうとしながら我が子の顔を見ましたが、発熱と疲労と約1500mlの多量出血のため自分で体を動かす体力も無く、我が子を抱く力も無く、声も出せずでした。
※出産時の出血は500ml未満が正常です。
おまけに子どもも翌日に発熱したために、新生児の集中治療ができる病院に搬送されました。
私はフラフラしながらも、わずかな母乳を搾り、それを子どもが入院する病院に運びました。
搬送先の病院で初めて見た我が子…保育器に入れられて点滴をしていました…。
私は涙が止まりませんでした。直接母乳を吸わせることもできず、抱っこもできず、ただ外から保育器に入っている我が子を見守るしかできませんでした。
その時にとても後悔しました。
「この子がしんどい痛い思いをしているのは全部私のせい…」
「妊娠中しんどかったのに何で無理したんだろう」
「何であの時みんなにちゃんとしんどいことを伝えなかったんだろう…」
後悔してもしきれませんでした。
毎年子ども達の誕生日には、妊娠中・出産のことを思い出します。
✅つわりが強すぎて、通勤の満員電車の中でしゃがみ込んでしまったこと。
✅子宮の張り止めを内服しながら、夜勤を乗り切ったこと。(助産師は人数が少ないために急な交代が困難)
✅その後 結局、切迫早産で自宅安静してたこと。
✅毎日体重測定してコントロールしてたこと。
✅めちゃくちゃしんどかったのに、じっとしてたら余計しんどいかと、無理して動いていたこと。
✅自分も妊婦なのに、出産予定日が少ししか違わない姉が里帰りしてきていたので、姉の健診や出産準備を手伝っていたこと。
✅予定日を過ぎても陣痛が来ず、一生懸命歩いたこと。
✅体調を崩したタイミングで、陣痛が来る前に破水して、陣痛促進剤を点滴したこと。
✅39℃近くの発熱をしながら、27時間陣痛に耐えたこと。
✅やっと出産したと思ったら大量出血で意識がもうろうとしたこと。
✅疲労困憊と貧血で出産翌日まで起き上がることもできず、お箸を持つ力もなかったこと。
✅子どもも発熱し、新生児の集中治療ができる病院に救急搬送され、離れ離れになったこと。
✅フラフラしながらも子どもの面会に行き、保育器に入って点滴されているのを見て、大泣きしたこと。
✅授乳室でひとりで母乳を搾り、パック詰めしてたこと。
✅ようやく退院したものの子どもはまだ入院中。姉が先に出産していたので実家で元気な赤ちゃんと過ごしているのを見て悲しくて、ひとりで泣いたこと。
✅やっと子どもが退院してきたのに直接母乳を吸ってもらう機会がほとんどなかったので、母乳がでなくなってショックだったこと…。
長女の妊娠中・出産は本当に大変でつらかったことでいっぱいです。
子どもが大変なことになったのは全部自分のせいだ と自分のことを責めまくりました。
できることならもう一度20年前に戻って妊娠中からやり直したい。
責任感の強過ぎた私は、周囲に迷惑をかけたくないという気持ちが強くて、一番に大切にしなければいけなかった自分を大切にできてなかったと思います。
助産師だから知識は持ってたはずなのに足らなかった。しんどいのにしんどいと言ってはいけないと思っていました。
仕事を休みたいと思っても、急に休んだら迷惑をかけるって思って無理してました。
両親も姉も、私が助産師だからと安心しきっていましたし、両親は姉の心配ばかりしてました。
しんどい、つらいことだらけだったけど、子どもも頑張って復活してくれて、何とか20歳を迎えることができました。
私はもっと深い知識があれば、こんな思いをしなくて済んだと思っています。
でもそれは今だから言えること。
皆さんには、そんな「つらい」「しんどい」思いはして欲しくありません。
妊娠や出産の経験は、状態によってはその後の人生も変えてしまうほどの体験です。だから自分のことを一番に大切にして欲しいんです。
<産後1か月 まだ貧血で顔が青白い>
私の経験は、これから妊娠・出産を迎える方にたくさんの大切なことをお伝えするためのものだったと今は思います。
子どもの誕生日を迎える度につらい気持ちになるか、嬉しい気持ちになるかを決めてしまいます。
子育てを困難に感じるか、楽しく感じるかも決めてしまいます。
生死に関わるできごとでもあります。
だから妊娠を考える前に知っておいて欲しいことがたくさんあります。
開業してすぐから始めたセミナーは、結婚や妊娠を考える男女を対象にしています。
今後もセミナーやお茶会で、大切なことをどんどん伝えていきますので、是非とも参加していただきたいと思います。
<2019年7月 三重県伊賀でセミナー>
「妊娠しやすい体作り・女性疾患について」
<2019年3月・6月・8月・10月 大阪セミナー>
「結婚・妊娠前に知っておいて欲しいこと」
男性もたくさん参加してくださいました
<お茶会 左から2人目のお子さんは、私が出産介助で誕生した男の子♡
ママはわざわざ車で駆けつけてくださいました>
※セミナー依頼・訪問依頼・お問い合わせはLINEからもできます。
公式LINEはコチラ 登録でLINE相談1回無料
妊産婦整体との出会い
私はずっと総合病院で勤務していましたが、病院内で私ができたことのほとんどが
✅症状を観察して異常を早期に発見し医師に報告する
✅医師の指示で点滴をしたり、治療の介助をする
✅妊婦さんに寄り添って不安を聞くこと…でした。
看護の力で症状は軽くできることもありますが、ほとんどは医療の介入になってしまいます。そしてそれが普通のことであるかのような錯覚に陥ってしまっていました。
そんなときに何気に見ていたFBに「逆子を治す整体をした」という助産師の記事がありました。
その時に「えっ、私そんなこと知らない。どういうこと?」って思いました。それは私の中では衝撃的でした。
病院では逆子の出産は帝王切開と決まっていました。整体の力で逆子を戻すことができるなら帝王切開しないで済み、そんな良いことはありません。
その記事のすぐ下に妊産婦整体協会のリンクがあり、それを見て初めて協会を知り、セミナーがあることがわかって迷わず申し込み参加しました。
それが開業する2年前2016年の6月のことです。6月にセミナー1を受けて10月にセミナー2を受講し、その後も勉強を続け、気がついたらいつの間にか認定講師をすることになっていました。
妊産婦整体は妊産婦だけでなく、女性特有の症状全てに対応する技術です。
妊活中の方には卵巣や子宮周辺にアプローチしますし、産後の乳房ケアの整体は、乳房に直接触らなくても乳房がふわふわになる技術です。更年期のつらい症状にも対応できます。
妊産婦整体で対応できることは他にもたくさんあります。
(妊産婦整体協会はコチラ)
私はこの協会と出会ったお陰で、一般の助産師が持たない技を身に着けることができました。
<妊産婦整体協会セミナー 認定講師として講師補助>一番右です( *´艸`)
開業したきっかけ
そして看護師になって27年、助産師になって25年の私はこのまま総合病院で働き続けると思っていましたが… ↓
開業したきっかけはこちらをご覧くださいね(^^♪
開業する時に思ったこと
それは「きっと助産師ってほとんど知られていない」ということでした。
助産師のことを知ってくれている人でも、助産師は「病院で出産に関わっている人」で「病院でしか会えない人」と思われているのが大半。
そんなことないのに~!私、めっちゃ近所にいますけど~、何なら毎日スーパーで会ってます~(笑)って言いたいくらい。
確かに地域では助産師の存在感が薄いことを感じていました。
なので開業したら、「助産師の存在を広めたるっ!」と思っていました。
まずは知ってもらわないと、悩める女性達の力になれないんですもんね。
私の使命の「二文字の漢字」
2019年、あるセミナーで「あなたの夢を叶えるための2文字、あなたの使命の2文字は何ですか?」と問いかけられました。
セミナー中にはピンと来るものが無く、丸1日かけて考え抜いて出て来た2文字が「普及」
助産師の存在を知ってもらい、助産師の存在が当たり前になり、最大限に活用してもらうような普及活動をするのが私の役割だ~っ!!
ものすごくマッチした感覚があり、「私の2文字決まった!」と意気揚々と講師に報告。
すると、「当て字で考えてみるともっと良いよ」と…。
当て字って???
「普及」を「不救」としてみたらどう?
不救…救えないという意味ではなく、
「救えないことが無い」
「自分に関わる人はみんな救う」
という意味に捉えることができるのでは?とアドバイスをいただきました。
おーっ!!胸がザワザワして、さぶいぼ(関西では鳥肌のことをこのように言います-笑)が出ました。
まさしくそれ!!
総合病院で分娩介助していたとき、「お母さんと赤ちゃんの2人の命は私が絶対に守る、助ける!!」っていつも思ってました。
今は分娩は扱っていないけど、私に頼ってくれる女性(患者さん)のことは絶対に救うって思ってる!
助産師を「普及」させ、
関わる人を「不救」(必ず救う)
私の理念・信念が今まで以上にガッチリ決まった瞬間でした。
決意
私は助産師になることが前世から決まっていたと思います。
柔道を習っていた時(よくびっくりされる 笑!ちなみに初段)、柔道の先生は元警察官がほとんどでした。
ストイックに練習する私を見て、何人もの先生から「陽子、警察官になれへんか~」と毎日のように勧誘(笑)されていましたが、私は「私の道は看護師しかないんで!すみません!」と柔道着黒帯で答えていました。
めちゃめちゃ寝技かけられても、一本背負いで投げられても、看護の道に行くことは揺るぎませんでした 。 笑
これからも揺ぎなく助産師を続けていきます。
できる限り多くの女性を助けていきます。
だからたくさんの人に助産師の存在と前田陽子の存在を知って欲しいと思っています。
ここまでお読みいただいて、本当にありがとうございました。
私のプロフィールから、何かご自身のことで気付きや感想を持っていただけたら幸いです。
最後に開業してからの実績をお伝えして終わりたいと思います。
開業してからの主なご依頼や実績
2018年6月に開業してからの主なケア実績をご紹介します。
✅産後1か月間毎日赤ちゃんの沐浴をしに来て欲しい
→出産されたママの実母様からのご依頼。
30日間訪問 沐浴と授乳介助、育児のアドバイスで産後の心身のケアでとても安心していただけた。
<産後退院翌日から30日間訪問>
✅妊娠10か月で逆子と診断された 次回の健診で逆子のままだったら帝王切開になると言われた。手術はしたくないので頭位に戻したい。
→訪問できるまでに4-5日あったのでセルフケアをお伝えし、毎日実行をお願いした。
訪問時に赤ちゃんは斜めを向いており、整体後(腹部を触って無理に回転させてはいません)は頭位へ移動。
赤ちゃんがそのままの体位を保てるように再度セルフケア指導→無事に経腟分娩
✅切迫早産で頸管長(子宮の入り口の長さ)が22mm。次回健診で20mm以下になっていたら入院と言われた。入院したくないのでどうにかして欲しい
→整体とセルフケア、日常生活で注意することをお伝えして実行していただいた→入院を免れて、無事に正期産で経腟分娩
<早産にならなくて良かった>
✅早産で出産して赤ちゃんだけ1か月入院。直接母乳を吸わせたかったが病院の助産師に手伝ってもらっても1回も吸わせられなかった。1回でもいいから吸って欲しい。
→整体で体全体を整えおっぱいのケア。自信をなくしているお母さんの気持ちに寄り添いながら、赤ちゃんの吸いやすい角度や位置を調整しすぐ吸えるようになる→泣いて喜んでくださった。
✅母乳だけで育てたいが必要な量が出ていない
→母乳が出やすくなる整体、日常生活、食事、授乳の方法についてアドバイス→完全母乳となった
<産後1か月経過時にケア 完全母乳となって喜んでいただけた>
✅妊活を初めて3年 人工授精を6回したが妊娠しなくて心が折れている。どうしたらいいのか分からない。
→お話を十分聴いて今までの頑張りを労う
月経終了時と排卵期に骨盤周辺を中心に整体。
安定しなかった基礎体温が徐々に規則的になる。「陽子先生がいてくれるから前向きに考えられるようになって頑張れる」と言ってくださり、ケアを初めて10か月目に1回目の体外受精で妊娠された。
✅帝王切開後1か月以上経つが創が痛くて体を真っすぐにできない
→骨盤矯正と手術創周囲の状態を整え、真っすぐ立てるようになった。手術創周囲のひきつれも改善。
✅帝王切開後の創痕のひきつれ、左下腹部のしこりと痛み、腰痛、右手首の痛みがある
→手術創周囲のケアと骨盤矯正、腱鞘炎対応のケアで、お腹のしこりはなくなり、創の周りは軟らかくなった。手首を曲げたときの痛みが消失。
<「えっ?お腹のしこりなくなってる!」
「創の周り軟らかい~」
「あれ?手首曲げたら痛かったのに???無い…」…ってびっくりしてくださってました>
✅腰がだるくて歩いていると腰が曲がってくる・便秘がひどい(80歳代)
整体で骨盤矯正・腹直筋緩める、便秘に対する整体、普段の生活での姿勢アドバイス
→腰のだるさ軽減。腰を曲げずに5分以上歩けるようになった。翌日には排便が多量にあり。
などなど…効果には個人差がありますが、たくさんの方に喜んでいただけています。
経歴
前田陽子 彩り助産院 院長
☆助産師
☆看護師
☆日本助産師会会員・大阪府助産師会会員
☆日本妊産婦整体協会会員(認定講師)
☆ハンドセラピスト
☆近畿大学附属看護学校助産師科非常勤講師
平成 4年
看護師免許取得。大阪の総合病院で看護師として勤務し始める。
平成 5年
総合病院在籍のまま助産師学校入学
平成 6年
助産師免許取得し助産師として総合病院に職場復帰。
平成19年
大阪の別の総合病院で勤務し始める。
平成24年
長女が中学1年生の時にPTAの人権教育委員の委員長となったのをきっかけに、「人権を守ることは自分を大切にすることから」という題で、中学校全校生対象に命の教育講演を行う。セミナーデビューとなる。
平成25年
岡山大学大学院保健学研究科『「妊娠中からの母子支援」即戦力育成プログラム』を1年間受講。
「産科の最新知識」「不妊症や流・死産女性への支援」「新生児・子育て家族への支援」について学ぶ。
プログラム終了論文では、中学生の生活環境と喫煙の関係性についての調査研究をし「中学生の喫煙防止の一考察」と題し論文作成。最優秀賞をいただく。
平成26年
「性暴力被害者支援のためのボランテイア育成講座」を半年受講し、性暴力被害の現状や被害者の心理、支援について学ぶ。
平成27年
助産師実践能力習熟段階(クリニカルラダー)
レベルⅢに認定され、アドバンス助産師となる。
平成28年
NPO法人 日本妊産婦整体協会と出会う。
平成29年6月
総合病院退職。
平成30年4月
日本妊産婦整体協会会員限定本部セミナー講師を務める。
協会会員となり、認定講師として大阪セミナーのサポートメンバーとなる。
近畿大学附属病院看護専門学校助産学科の非常勤講師となる。
平成30年6月
彩り助産院 開業
平成30年11月
ハンドセラピスト認定
総合病院に勤務しているときは、普段の業務の他に新人看護師や助産師の教育、看護学校での講師(新生児看護)、看護協会の委員、看護学生や助産師学生の指導もしてきました。
今までの分娩介助経験数は約200例です。助産師経験年数からすると介助数は少ないですが、1例1例を大切にして妊娠中~出産後までのトータルケアを数多く経験してきました。
HP・LINEのご紹介
HPではケア内容・セミナー内容・料金なども詳しく説明しています。
彩り助産院公式アカウント
登録特典 相談1回無料