41歳が飲食店バイトを体験してみたらキツ過ぎた話
こんにちは。
この記事では41歳になって始めた飲食店でのバイトの感想を書きます。
飲食店でバイトを始めた理由
私には2年後の2025年にアフリカで飲食店を開店するという目標があります。
移住と開店のための資金を貯める
飲食店を運営するためのスキルを身につける
現地での需要の調査する
店舗を見つけて契約する
上の項目はそれを実現するために準備するべきことを整理したもので、開店までたどり着くためにやらなければいけないことは多岐にわたります。
そして、いまは国内のIT関係の会社で平日働き、資金を貯めることに重点を置いています。
今できることからやってみる
資金の目処がたつ2024年中頃に退職し、飲食店での修行を本格的に開始する予定ですが、その前に週末の空いた時間を利用してバイトしてみることは良い経験になるのではと思いつきました。
このような経緯があり、先月からタイミーというサービスを使って飲食店でのバイトを開始することになったのです。
チェーン店でバイトしてみたら
ニュースでも報道されているように、コロナ明けの飲食業界は空前の人手不足。
従業員側の供給が需要に対してまったく足りておらず、スキマバイトアプリのタイミーにはバイトの募集が溢れています。
そのためバイトを見つけることはとても簡単でした。
チェーン店を選んだ理由
私には飲食店で働いた経験はありませんし、普段から自炊もほとんどしません。
そして、アフリカでは調理技術よりもオペレーションに強みがあるお店を開店したいと考えています。
そのような経緯があり、オペレーションが洗練していると思われる外食チェーン店に絞ってバイト先を選ぶことにしました。
下の3つが実際に働いたお店です。
はなまるうどん
あみやき亭
スガキヤ
主に土日のお昼や夜のお客さんの来店が多い時間帯に勤務し、給料は4時間で4500円ほどでした。
勤務内容
タイミー経由で働く場合は雇う店舗もその日限りの勤務を前提にしているため、知識や経験が必要となる作業は割り当てられることはありません。
私は皿洗いをメインに、配膳や盛り付けの補助を担当することになりました。
アプリでチェックインして、責任者に簡単に作業の流れを教えてもらったら即本番がスタートです。
お客さんから次から次に返却される食器類をひたすら洗って拭いて調理場の所定の位置に返します。
周りを見てみると、スタッフの持ち場は各自決まっているようで、一人一人が黙々とスピーディーに無駄なく作業をしています。
とても雑談できる雰囲気ではないため、自分も負けないように作業をこなすしかありません。
結局、水分補給とトイレに行ったとき以外は1秒を惜しむように手を動かし続けました。
そして、あっという間に勤務の終了時間がきてチェックアウト。
終わったあとは心が放心状態で、椅子に座って息を整えなければなりませんでした。
勤務後の感想
「キツイすぎて時給が仕事内容に比べて安すぎる」
これが外食チェーン店で働いた後の率直な感想です。
たまたま最初に勤務したチェーン店が忙し過ぎただけなのかと思い、別のチェーン店でも勤務してみましたが感想は同じでした。
また、一部のお店の従業員はイライラして疲れており、楽しく働けているようには見えませんでした。
私の普段のITエンジニアの仕事は比較的仕事に裁量があるため、4時間もぶっ通しで息つく暇もなく働くようなことはありません。
外食チェーン店でこのようなキツイ作業をフルタイムでやっている他のスタッフを驚くと同時に、自分が将来飲食店を経営することに不安が生まれてきました。
アフリカで自分が作業するにしろ、現地の人に任せるにしろ、労働がキツ過ぎると経営を継続することは難しい予感。
飲食店での仕事がブラックな理由
「外食チェーン店での仕事はなぜこんなことにも大変なのか?」
疑問が生まれました。
答えを見つけるために外食チェーン店の歴史を調べてみることにしました。
外食チェーンの歴史
ネットや本を読み漁りましたが、特に「外食を救うのは誰か」(著:鷲尾龍一 )という本が参考になりました。
この本によると日本で外食産業が花開いたのは1970年代とのことで、この時代に多くの有名な外食チェーン店が誕生しています。
《有名外食チェーン店の(日本での)創業》
1967年:餃子の王将、サイゼリヤ
1968年:びっくりドンキー
1970年:ケンタッキーフライドチキン、すかいらーく
1971年:ロイヤルホスト、マクドナルド
1972年:モスバーガー、ロッテリア
1973年:サイゼリヤ
1977年:CoCo壱番屋
1982年:すき家
1986年:ワタミ、鳥貴族
市場規模も倍々で伸びていき、1997年に29兆円となりピークを迎えました。
《外食市場規模》
1975年:8.5兆円
1980年:14.6兆円
1997年:29兆円
しかし、1990年代後半以降は日本の経済が停滞するのと並行して外食市場規模も下がり続け、2020年には18兆円ほどに下がってしまっています。
この時代の外食チェーンで実施されたのは値下げ競争です。
行き過ぎた安売り
《大手外食チェーンでの主な値下げ》
1999年:サイゼリヤが「ミラノ風ドリア」を290円に値下げ
2000年:マクドナルドがハンバガーを65円に値下げ
2001年:吉野家が牛丼並盛りを280円に値下げ
2000年代に20代のフリーターだった自分にとって、外食チェーンの値下げは消費者の立場で大変ありがたく、値下げの恩恵を受けました。
ただし、普通に考えて、値下げすれば消費者は増え、従業員の作業量は増えます。しかし、一つ一つの商品の利益率が同じであれば最終的に会社に残る利益は大きく変わりません。
従業員も作業量が増えるだけで給料は増えず、消費者だけが得をする結果となります。
その結果、従業員にしわ寄せがきてしまい、2000年代以降には飲食店での過労死やワンオペが社会問題になりました。
値下げは間違いだった?
「外食を救うのは誰か」(著:鷲尾龍一 )では値下げに対して、すかいらーく創業者の横川竟氏の反省のコメントが掲載されています。
このコメントを読むと、消費者を神様と捉えてユーザーファーストで飲食店を運営することは問題が多いと思ってしまいます。
1980年代までの飲食への需要が供給を上回り、消費者の所得も増えていた時代と、供給過多で所得も減った時代では外食チェーン店が提供する価値を変えなければいけなかったのかもしれません。
まとめ
以上で外食チェーン店でのバイトの感想は終わりです。
たった数回ですが、バイトを経験してみて分かったことはサービスを提供するお店側とサービスを受ける消費者側では外食チェーン店の見え方が大きく変わること。
消費者としては安くて美味しい料理を早く提供してくれるチェーン店はとても重宝しますが、従業員として長く働いてみたいとは思えませんでした。
あくまでも数回勤務しただけのバイト初心者の目線での感想になので、より深く飲食業に関わることになれば別の感想に変わるかもしれません。
これからも日本で飲食店で修行して、アフリカで開店する飲食店の形を探していきます。
✨Xを始めました。アフリカに移住して飲食店を開業するまでのプロセスをリアルタイムに発信していきます。
https://twitter.com/shinji_africa
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