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目的を持たない時間がもたらすもの
最近、家でよくキャンドルを灯している。バタバタとした日々からようやくフッと抜け出し、余裕が持てるようになった証拠なのかもしれない。
思えば、日本にいた過去のわたしは、常に忙しい人だったように思う。暇、ゆとり、余裕、余白。そういう時間があれば、何かで埋める。たぶん、ほとんど反射的に埋めていた。やることがないとソワソワして落ち着かなかったように思う。その"何か"も、自分の"成長"、"将来"につながっていくようなものばかりを選び、ゆっくり映画を見たり、仕事に関連しない本を読んだ記憶はあまりない。常に刺激が自分に降り注ぐ。頭がいつも回っていて、気がつかないうちに疲れていた。
今はその頃とは真逆で、暇があること、余白を持つことをとても大切なことだと捉えている。アイスを食べながらドラマを観たり、散歩をしたり、キャンドルを灯して"綺麗だなあ〜と眺めたり、エッセイを読んだり。過去のわたしに言わせれば、"何の目的が?"となってしまうかもしれない。
だけど、その目的を持たない時間こそ、自分が自分に還れるような、自分を自分たらしめてくれるような時間なのだと、今のわたしは思っている。