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私の月末の儀式|晦日詣

晦日詣に行く理由

月末、ふと思い立つように神社に足を運ぶようになりました。
特に決まった場所に向かうわけでもありません。家の最寄りの神社に行くこともあれば、大学の近く、バイト先のそば、時間があると新しい神社を探すこともあります。

晦日詣という言葉を知ったのは、ある本がきっかけでした。
「神様とのおしゃべり」
――多分この本だったかと思います。その本で「月末に神社にお礼参りをする」という話を読んでから、なんとなく習慣となりました。漠然としたいと思って、しなければならないとも思って、いつからか「月末には感謝の報告をする日」という意識が根付くようになりました。


月末に振り返る時間

晦日詣に行く理由をひとつ挙げるなら、それは「感謝の報告」でしょう。

今月も、一日単位で見ると沢山感情に波のある日々を送りました。色々あったけれど、振り返ればありがたいことがたくさんありました。
例えば、祖父母が元気でいてくれたこと。お正月に帰省できたこと。初日の出を拝めたこと。こうした出来事を一つずつ思い返し、神前で「ありがとうございます」と心の中で伝える。
神頼みはしない。ただ、「今月はこんなことがありました」と報告する。そして「また明日から頑張ります、見守ってください」と締めくくる。

たった10分ほどの時間。それだけで気持ちがすっと整うのが不思議だと毎度のことながら感じます。


夕暮れの神社で

今月は、バイト終わりに神社へ向かいました。
しかし、思った以上に時間が押してしまい、神社の前の道に着いたのが17時。参拝可能な場所にたどり着いたときには、すでに17時20分でした。
神社の参拝時間が過ぎていたためか、案の定メインどころは閉まっていました。摂社はどうかと境内を歩くと、若宮のところは解放されていました。もうそれだけで有難さを感じました。

時間も時間でしたので、境内にはほとんど人がいませんでした。
空気が澄み、冬の冷たい空気に加えて、清らかで軽い感覚がありました。木々の間から差し込む光がやわらかく、夕暮れの静けさと相まって、どこか神聖な雰囲気を醸し出していました。
肺に吸い込む空気すら、優しく感じられる時間でした。

ふと周囲を見渡すと、外国人観光客が少し騒がしくしていました。普段なら「もう少し静かにしてほしいな」と思ってしまうところでしたが、この日は不思議と気になりません。「こういう人もいるよな」と、ただその場の空気を受け入れることができ穏やかな時間が過ぎていました。


続けていきたい習慣

晦日詣をすることで、気持ちがリセットされる感覚があります。
月末に足を運ぶだけで、時間の区切りを意識し、感謝の気持ちを確認できる。何かをお願いするのではなく、今あるものに目を向けることで、心が満たされる。

もうすぐ社会人になります。
これまでのように時間が取れるかが少し読めません。今月もバイト終わりで時間外となりましたし。
でも、できる限り続けていきたいと思んです。
神社の空気を吸い、手を合わせ、心の中で「今月もありがとうございました」と伝える。
それだけで、また新しい月を前向きに迎えられる気がするから。

晦日詣が、自分にとっての「月の終わりの儀式」になっているのかもしれないなぁと。

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