
右往左往の果てに辿り着いたソウルで思うこと(4) - 会社員が国費で海外の大学院に行くまで
前編の続き、この連作の最後です!
迷路のようだった受験生活もついに終わり、ソウルの成均館大学校へ行くことが決まりました。

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思い返せば、準備期間は丸2年ほどでした。
雀の涙のような有給をやりくりして、何度も韓国と行ったり来たり。
政府系シンクタンクに勤める先輩に、たくさん助けてもらったり。
一人でも仕事の合間に韓国語を勉強して論文を読んだり。アジアの芸術シーンと少しでも関係を持とうと、あちこちに芽を植えてきました。
「自分が不合格になる理由を作らない」――そんな目標を先輩が掲げてくれて、作戦を立てながら一緒に進んだ結果だったんだと思います。
一度経済的に独立をした身での大学院進学は、現実的に極めて困難でした。そんな中、国費留学は多くの問題を解決してくれる数少ない方法でした。
大学院、海外生活も本格的に始動して数ヶ月経ちました。韓国ソウルに、そして大学院に、来れてよかったと心から思います。
応援してくださった皆様には、心より感謝申し上げます。
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社会人からもう一度学校へ
「あの演奏家の先生に楽器を習ってみたい」
その思いでなんとか音楽大学に入り、憧れの先生たちの下で演奏技術の向上をメインに勉強した学部時代でした。
2020年3月、初めての緊急事態宣言が発出され、「世界はこれからどうなっていくんだろう」と人々が不安感に駆られていた頃。そんなタイミングで学部を卒業し、社会へ放たれていきました。
そんなこんなで社会に揉まれていると、気付けばコロナ禍も明けていて。
旧友たちのSNSを覗けば、新しい家や車の写真、結婚式の華やかな様子、海外での充実した暮らしが次々と流れてきます。そのたびに『みんなすごいなぁ』と思う一方で、いつしか自分を見つめ直す時間が増えていきました。
研究生活というモラトリアム
そんなことを考えているうちに、再び学校に戻る選択をしました。
韓国との接点をもっとたくさん持ちたい
生涯をかけて取り組んでみたいことを勉強したい
との理由でした。
この後自分がどうなっていくのか自分でもよく分かっていないので、肩の力を抜いて、自由に楽しんでいる自分がいます。
そして迎えた留学生活。
講義室に並ぶのは、現代自動車のアート支援チームのリーダー、釜山市の文化課の政策担当者、そして地上波局SBSの文化財団のプロデューサーたち。まるで国際会議に迷い込んだような光景に、最初は圧倒されるばかりでした。

一度社会に出て学校に入るからこそ、短く浅くとも現場の経験があるが故により考えられることも日々感じています。
こうした業界の先輩たちと一緒に講義を受け、同等にディスカッションを行いながら、たくさんのことを学んでいます。
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これからの話

大学院での生活はまだまだ始まったばかりですが、学ぶことの楽しさや、研究を通じて広がる世界にわくわくしています。
ソウルという新しい舞台で、これからどんな景色が広がるのか。その続きを、またあれこれ文章にしてみたいと思います。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。