観光地のトイレ事情、役所の観光行政
学生Q.以前、先生に紹介した中国の「渉外トイレ」について報告です。これはだいたい有名な観光地にあります。そういう所では外国の観光客が多いため、衛生面も設備も街の公共トイレよりきれいです。中国へ行ったことがある日本人から中国のトイレはちょっと入りにくいという話をよく聞きました。でも「渉外トイレ」は外国人も納得できるトイレだ、と思います。ちなみに上海には無料のトイレはありません。どこでも小銭の用意が必要です。男性の場合は小便のみ無料で、お金を払ったらトイレットペーパーが一枚もらえます。「渉外トイレ」は中国人でも使えますが、料金が高くて、私はちょっと納得できません。
コクジーA.渉外トイレという名称は初めて聞きました。なんか間違えて日本語に訳していない? ニーハオトイレというのは以前の中国に多かったですが。チップに縁のない日本ではなかなか理解できないですが、そんなトイレへ入ったからには、めいっぱい出そうと思うのですが、出る量は残念ながら一緒ですね。北欧の公衆トイレでは寸法が私に合わせていないため、足がぶらぶらしたままだったし、アメリカではトイレの下半分が開いていて、待っているいらいらおじさんの足が震えていたり、パキスタンを訪問した時はトイレの個室にペーパーはなく、水の入った壺が置いてありました。右手か左手かわかりませんけれど、手で拭えというのかな?と思いました。私はあえて確かめませんでしたが、この国の人たちはカレーも指先でつまんで食べるし・・・紛らわしいなぁ。昼休み前なのに失礼。
学生Q.私は観光地をより良くするために、道路の標識や看板を少なくするべきだと思います。授業中のスライド写真を見て景観を道路標識などで台無しにしているように思いました。警察や自治体も考えて欲しいと思います。
コクジーA.標識の必要性は観光や景観の立場からだけでどうこう言うことはできないですが、町なかの私的な看板などにはデザインセンスの貧しさを感じますね。特に新しい工業デザインには奇をてらうようなところが多くて。また、素材も問題ですね。どうしてペコペコの安っぽい合成樹脂をつかうのでしょうか? あまり人の訪れることのない、しかも幽谷の趣たっぷりの古寺を訪れた際、「◎◎フィルム」と大書されたベンチが境内に置かれていて、がっくりきたことがありました。展望台の木の手すりが合成樹脂で作られていることに気づくこともあります。擬木や擬岩といいますが、本物の木で作ってもコストはどれほど違うのか、と思うのですがねぇ。
学生Q.今日の講義を聴いていて、昔の風景が残ったものはだいたい観光地になるのかな、と思った。もしかしたら、あちこちの大学も何年も経てば観光地になるかもしれないですね。
コクジーA.ハイデルブルクという町は大学の町として有名です。エジンバラやオックスフォード、ボローニャも大学の町ですね。いずれもすごく知的な雰囲気の町です。そこを歩いているだけで自分も賢くなったような気分にしてくれます。残念ながら、日本ではそういう雰囲気の町はないですね。元来、町には出自のようなものがあります。宿場町、城下町、門前町、港町などでしょうか。でも学問の町とか大学の町とかはあまり聞いたことがありません。また、古さを感じさせる要素を残している町であっても、それはあくまで町の中の一部にとどまり、そのうち区画整理や市街地再開発などで埋もれてしまいそうです。欧州の町だと城壁を修復して「旧市街」を大事に隔離していると感じます。
学生Q.今日、事例で出てきた津和野の町は初めて知りました。城下町の中に教会が立っている光景が「日本」って感じがしました。
コクジーA.あのような城下町に昔の日本社会にとって異質の宗教が入りこんでいった過程を想像すると、なにか生き生きとした歴史的な光景をみているような気になります。現在の景観を一面的な美しさで感じ取るだけでなく、色々な出来事を想像させてその奥行きに浸る、というのが観光のおもしろさです。全部さらけ出して、誰にも容易にわかる観光地は何やらうすっぺらく感じてしまいます。見る人に何かを想像させる余地がある、ということが観光地には必須なんです。福井県にものすごくきれいで大きなお寺があります。奈良の大仏に匹敵する仏様も安置され、五重の塔もあります。近年、この町の出身で財をなした事業家が故郷に何か恩返しを、ということで建立したたそうです。本当に立派な建造物なのですが、惜しむらくは歴史がありません。自然と頭を垂れるようなバックボーンがありません。あと500年か1000年経たないと東大寺には追いつきません。恩返しの仕方を間違ったのではないでしょうか。これはあくまで私見ですが。
学生Q.観光で地方を訪れた時によく思うのですが、晴れている時の山ってきれいだと思います。木や草の色がよくわかるし。それとは逆に雨が降った後の山は霧が少しかかってとてもきれいだと感じました。そっちの方がなんか自然だなって思います。
コクジーA.あなたの感覚は大事ですよ。風景には見頃というのが必ずあります。季節や時刻によって、全く価値が変わります。そのため、旅行商品も季節によって価格が変わるのです。一方、「一般的な消費財」の価値はいつも変わりません。まぁ衣服には秋物とか春物とかの違いはありますが、車や家電はいつ買おうがそんなに価値や価格に変動はないですよね。だから、観光商品って売り方が難しいのです。以前、福井県の山奥をバスで旅していた時のこと。まだ桜には早く、山の木々も新芽がようやく出始めた頃で、多くの「こぶし」の花が咲き始めていました。こぶしは桜などと違って、それだけを見に行く、というような花ではないのですが、早春の山を真っ白に染めます。それもくっきりした白ではなく、ぼやぼやーとした白なのです。山全体が白くかすむような。こんな何でもない山が一年のほんのいっときだけれど、ものすごい景色をつくりだすんだな、って感心したことがあります。それから、無視できないのが「小道具」でしょうかね。あなたのいう「霧」がそれに当たります。組み合わせの妙なのでしょう。京都で晩秋、渋柿がたわわに実っているお寺の瓦屋根に初雪がうっすら積もっている。半分とけている淡雪です。渋柿と淡雪、これは京都のお寺に欠かせないアイテムかも知れません。こんな例をいろいろ探して教えて下さい。みんな一つずつくらいは思いつくでしょう。
学生Q.津和野の感想です。溝みたいなところでコイを育てるのはすごいと思った。誰かが、エサをあげているのですか? もし、観光客がエサをあげているのなら、あげすぎそうだと思います。ところでプリントを見ていると町づくり、まちづくりと2つの違う描き方をしています。どう違うのですか?
コクジーA.津和野では私の知る限り、観光客が鯉にエサをあげる光景はあまり、見られません。デブ鯉もいません。町中でも特別エサを売っているということもありません。江戸時代、水路で鯉を飼い始めたのは飢饉対策だったとか。草津温泉の古い旅館に泊まった時も、女将が言っていました。「うちの部屋の土壁には乾燥したワラビを埋め込んでいます。いざという時の非常食だったらしいです」。我々が見ている風景には思いもしない目的があったのですね。ところで、町づくりとまちづくり、の違いは漢字とひらかなというだけのことで、内容的には特別な差異はありません。私がプリントを作る時に変換キーを押したかどうかだけの違いですね。ただ町並みと街並みは微妙に違うようです。後者は特別の街路、町の中の一角を指すことが多いです。
学生Q.自然保護とユニバーサル観光について考えさせられました。弱者も観光をする権利はあると思いますが、でもやっぱり自然保護のためのマイカー規制などはたとえ老人であっても我慢すべきだと思う。
コクジーA.厳しいですが、私も君の意見に賛成です。自然保護といっても、人間のための自然保護という考え方がちらつくようではちょっと謙虚さが足りないですね。また、「地球にやさしい・・・」などという人気のフレーズも結局は「人間にとってのやさしさ」にすぎないケースも多いです。
学生Q.特にないですけど、デフレ傾向が続き、サイフのひもも堅くなり、旅行もだけど、それ以外の事業も経営がきつくなってるってことは大変だと思いました。
A.旅行商品も随分低価格化が進みました。パッケージ商品のブランド平均価格はピーク時の60%位にまでなっています。ハワイの観光業界では日本からの格安ハワイ旅行客に頭を痛めています。こうした客は一流ホテルを避けて、町中のコンドミニアム(マンションの観光客への又貸し)を使い、コンビニで食糧を調達していくのです。それはもちろん旅行客の自由ですが、100年かけて築いてきた「リゾート資産」が使われずに崩れかけ、裏通りのコンビニばかりが繁盛する、ということになってしまいます。コンビニも立派な流通業ですが、観光地やリゾートの資産とはいえません。立派な観光地を維持していくのは「客」、もっと正確にいうなら「一定の質を持った客」によって、なのです。「国民は自分と同じレベルの政治家しか持てない」というのは有名な格言ですが、観光地も観光客の質に左右される、ということです。ついでに言えば「良質な観光客は優れた観光地によってのみ育てられる」と私は信じています。
学生Q.先進国というと観光政策も他の国より発展していますか?
コクジーA.必ずしもそうとはいえません。後進国の場合は重工業や先端産業の発達がなく、必然的に観光の役割が高くなります。そして、観光の役割が高まれば国の観光政策も改善され、質は高まります。たとえば先に出てきた観光の統計などは、シンガポールやタイなどは日本よりもはるかに充実しています(タイで観光開発協力に携わった時、バンコク市の観光統計を調べたことがあります。タイへの来訪目的の選択肢に「マッサージパーラー」という項目がありました。これは買春を意味します。観光当局のスタッフに、オイオイ、と問いただしても、何が悪いんじゃ?という反応でした。そこまで厳密に調査しているんだなぁと思いましたよ、余談ですが)。近年日本も観光統計について改善が進みつつありますが、まだ結構お粗末ですよ。都道府県でばらばらにやってますもん。ハード面でも例えば、バリ島のリゾートでは3階以上の高さのホテル建築は禁じられています。景観を守るためです。通称「椰子の木法」です。パリではアパートのベランダに洗濯物は殆ど干せません。日本では観光のためにそんな仕組みは皆無です。よく考えてみると日本は「公」<「私」ですね。庭をきれいにしている住宅も塀の内側ですもんね。まぁ景観法が成立して少しは変わるのかなぁ。
学生Q.観光行政のところで、それぞれの役所の働きが難しかったのできちんと理解できなかった。
コクジーA.もう一度簡単に整理しましょう。人が観光するためには観光地が必要です。観光地のありかたを提示するのは観光政策の大きな柱です。また、観光地まで人を運ぶ交通手段について指導したり、支援したりすることも必要です。これらは国土交通省の仕事です。観光地は作ったり経営したりするだけのものではありません。環境を守らなければならず、それも観光政策としても重要なのです。これは環境省の管轄です。観光地には農村や漁村に立地するものもあります。漁港を使って遊ぶ観光地もあります。こうした地域では農林水産省が積極的に関係します。施設を作ったり、人材を育成したりします。都市観光では国土交通省が魅力的な都市形成に関して政策を実施し、それが観光都市の誕生に繋がっていきます。厚生労働省は国民の労働と自由時間の分野の担当です。観光行動は自由な時間があって初めて実現します。文部科学省も全国にスポーツ施設などを作ります。それが地域住民と観光客の交流の場になったりします。観光地には必ず土産品店があり、商品が開発されます。ショッピングモールなども必要です。商業の活性化は経済産業省の役目です。海外旅行に行って現地でパスポートをなくしたりすると領事館に駆け込んで救いを求めなければなりません。外国での日本人の保護は外務省の役目です。このように様々な役所、官庁が観光に関わっています。でも前にも指摘したように、みんなが関わるから、大事な政策がダブったり、抜けてしまったりすることもあり得るのです。
学生Q.日本は観光地といってもおみやげもの屋ばかりで、あまり特徴がない気がします。もう少しその工夫をすべきではないでしょうか?
コクジーA.福井県に東尋坊という名所があります。海岸の断崖絶壁が売り物の風光明媚な所です。絶壁ですから、海の際に行くまで長い道が続きます。その道に沿ってみやげ屋が続くのです。道の両側に。人が多く来て儲かるとみるや、どんどん海側へ展開するように店を開き、ついにはみやげ屋が海岸のすぐ近くにまで張り出してしまいました。観光客はお店のトンネルをくぐって、いきなり断崖絶壁に直面するわけで、「なんだ! これは」と大きな問題になりました。観光地の悪い管理の代表例として有名になりました。結局観光客の足は遠のくようになり、県の指導により、海岸近くの店は撤去されることになりました。また、富士山の北側に忍野八海という名所があります。富士の湧水で有名な所です。そこの最大のポイントである湧水池はみやげ屋の敷地の中にあり、何かお土産を買わないとそばまで行けない仕組みになっています。これはみやげ屋が多すぎる、という問題というよりは、みやげ屋の強欲さが極端な例です。地元でもこれは問題になっていますが、当のみやげ屋は「何が悪い」という有様です。あなたが指摘するような事は日本の観光地の多くに当てはまります。そして誤りを発見し、指導するのが観光政策であり、観光行政であり、観光計画であるのだと理解して下さい。
学生Q.複合体制による観光事業は「政策的重複と政策的欠落」を防止するために総合的な調整機能が求められると言ったが、実際にその問題を防止するために何か行われているのですか?
コクジーA.残念ながら十分に調整が行われているとはいえません。各省の省益優先だからです。たとえば、グリーンツーリズムが日本でも注目されています。これは特別優れた観光資源があるわけではない日本の伝統的な農村において、農業体験を行ったり、農村風景を楽しんだりする「体験型旅行」のことですが、これを推進しようとしているのが、国土交通省であり、農林水産省なのです。前者は新しい「旅」の発掘による需要創出といった思惑があり、後者は疲弊した農村部を観光の力を借りて活性化させよう、というものです。それぞれが目的を違えて個々に政策を推し進め、重複する部分は少なくありません。一方、欠落した政策の最も重要なことは、需要喚起の仕組みといえるでしょう。休日休暇制度などは欧米に比べて遅れています。厚生労働省にがんばってもらいたいところですが、今だに世間では「余暇」という言葉が使われていることが「欠落」を窺わせています。余暇というのは「余った暇」ということで「労働=善」、「労働以外=悪」という思想の表れなのです。労働以外のところで我々は旅行したり、学習したり、社会活動をしたりして人間性を高めている訳です。欧米では余暇というより、自由時間と言っています。