観光計画の原理原則、観光統計、観光地のトイレ、オポチュニティ・コスト
学生Q.配布されたプリントは見出ししか書いてなくて、先生の説明内容を自分でうまく書き留められているかどうか自信がありません。不安なので、もう一度教えてほしいです
コクジーA.簡単に要旨をまとめますので参考にしてください。なお、ここで指摘している項目は観光計画に携わってきた先人の教えを多少アレンジした物で、私のオリジナルではありません。
<需要の3要素>
「観光需要の三要素」というのは「暇=自由時間」と「金=可処分所得」と「考え方・価値観=情報」で、これらが観光レクリエーション活動発生の基本的要素である。また、「考え方」というのは、気晴らしから、自己開発までいろいろなレベルがある。
<行動距離と頻度>
マーケットが近ければ頻来訪度が増すということで、つまり、観光地に近いところに大市場があれば、近郊からの繰り返し需要で観光利用がうまってしまう。稼働率が高く、経済的に潤っても「全国的な観光地(=観光地としてのグレードの高さといっても良い)」と称することができない場合がある。
<行動距離と回遊>
マーケットが近ければ観光客はピストンするけれども、遠ければ観光客は回遊する。日本人がヨーロッパに行けば主要な国を大きく回って帰ってくる。ドイツ人がフランスのリゾートへ行く場合は直線的な往復をする、という意味である。
<資源の代替性>
技術や投資ではなかなか開発できないもの(代替性がないもの)にこそ、わざわざ見に行く意味がある。それは要するに自然とか文化の所産である。一言でいってしまえば、そういうものが本来の観光資源なんだということ。だから、TDRは観光資源とはいえない。観光施設あるいはレクリエーション施設というのが妥当である。もちろん、ビジネスの立場からすれば観光資源も観光施設も同様に大事である。加えて言えば、ディズニーリゾートというのは概念的におかしい。リゾートは弛緩やリラクゼーションを目的とした空間であって、ディズニーはその対極=興奮を売り物にしている。
<最優価値>
人間の心理として、いちばんいいものがあれば人はそれにまず集中してしまう。これが最優価値である。二番がどうとかいう問題ではなく、二番はビリと同じ。あるものを見るためにいくつかの展望台をつくっても、いちばんいいところに人は集中してしまう。いちばん良い所からいちばん劣っている所までのその程度に応じて人がうまく分散してくれるということは期待できない。だから混み合う展望台と閑散とした展望台ができてしまう。そのために劣った条件の展望台にはトイレや土産物店を併設すれば良い。北川景子と泉ぴんこが並んでいるとしなさい。100人の男は70:30に分かれて殺到するか? 90:10で握手を求めるか? 否。必ず100:0になる。ぴんこさん、ごめん。
<資源の集積効果>
例えば古本屋は神田、電気店は秋葉原、のように同じ物が多数集積することによって大きな価値を持ち始める。一つ一つの電気屋とか本屋を見れば大したことなくても、集まることによる効果はかなりある。縁日もそうである。
<魅力と誘致圏>
観光資源の魅力が大きければ大きいほど誘致圏は広くなる。エベレストと高尾山。高尾山の方が登山客は多いが、エベレストは世界中からやってくる。観光資源としての価値は利用実績よりは誘致圏の広さで決められる。ただ、経営的な観点でみれば観光資源の価値がオールマイティであるわけではない。
<資源種と来訪頻度>
資源の種類によっては一回行けばもうそれでいいものと、再度来てみたいものというのがある。例えば日光は何度も行きたいところなのか、それとも奥のほうは行きたいけれども、東照宮は人生で一回見ればいいといったものなのかもしれない。一回しか来てくれないとするなら、観光収入は期待できないと思うかもしれないが、その代わり世界中から一見さんが来る可能性がある。逆にリピートが多い観光地は世界中を相手にできない。
<博物館方式の土地利用>
博物館というのは「展示する場所」と「修理する場所」と「保管している場所」と「研究している場所」の4種で構成されている。したがって、自然資源なり文化資源にしても、見せている場所と、それを研究している場所と、それの修理、回復回復をやっている場所、それから絶対手をつけないで保管しておく場所というのがクルクル回っているようにしなければならない。それが観光地の持続性を保証する。
<地域住民の参加>
地域の安定的発展のためには地場産業が当然育成されなければならないし、地域住民が開発の最初の企画の段階、アイデアの段階から参加することが必要である。同時に経営に参加することも必要であり、色々なかたちの参加の仕方を工夫する必要もある。そういうことによって地域住民の合意形成ができ、観光地の適正な監理が可能になる。
<見せ方、遊ばせ方の演出>
観光地は日常生活とのコントラストが大きければ大きいほど良い。四季に暮らす日本人にとっては、熱帯や白夜などは非常に大きなコントラストを感じる。時間でいえば、現代という時間に対して1000年前とかあるいは100年先の未来とかいった時間のコントラストが大きいほど、感激を誘うはずである。ギリシャの遺跡など。また、空間でいえば、都市化されたところに住んでいる人にとって、非常に広々とした自然といったようなものがより大きなコントラストになる。
<接近法>
起・承・転・結、という段階を辿って人間の感動というのは発生する。あるいは、起・承・結があればいいが、そこにあえて転が入ることによって、感動、ドラマが出てくる。そういうふうに観光対象そのものへの接近の仕方を考えなければならない。実は日本の古いお寺、神社の参拝、参詣の場合は必ずこういうふうな仕組みになっている。それによって法悦ということを演出している。従って、わざと急斜面の階段を登らせ、苦しい想いの後でパッと視界を広げて感激を誘うとか、神秘を感じさせる。あるいは玉砂利を踏ませることによって自分の目と耳と両方を「あるもの=神聖」に対して誘導していくという工夫をしている。それの真理にかなっているのが金比羅さんであり、失敗したのが出雲大社や羽黒山である。アクセスのショートカットには慎重でなければならない。
<規模と密度の配分>
非常に茫漠たる中では歩いても走っても、全然景色は変わらない。そういうところは飛ぶほどの速度がいいだろう。フロリダの広大な沼ではジェットボートが猛スピードで走っている。逆にアシとかヨシとかが茂って非常に雰囲気のあるところをモーターボートで走っても、そのよさは全く分からない。そこはやはり「手こぎの船」で渡るべきである。日本の小京都といわれるような町ではいかに心地よく「歩かせるか」が肝要である。
<量の連続性と接点の工夫>
一つの観光地の中でグルッと歩いて回るという場合でも、必ずジャンクションというのがある。また、新幹線が到着する時刻に駅前のバスが1台しか出ないとすると、新幹線から降りたお客は溢れる。つまり、容量の連続性が途絶える。そこで容量が合うようにバスを増発するか、あるいはかなりの時間待たされても飽きないような工夫をそこのジャンクションにしておく必要が出てくる。好例として、かつてエレベーターの横に鏡を置けという提言があった。じっと我慢してエレベーターが下りてくるのを待っているよりは、鏡でも置いてあれば、人は自分を眺めて間がもてる。そういう工夫を観光地というスケールで考える必要がある。昔、デパートに必ずいたエレベーター・ガールが例外なく美人であったのもそのためかもしれない。まぁ今は全員スマホをいじってエレベーターを待っているのだろうが。
<反発するものの分離>
誘致圏が著しく違う、非常に広域的な誘致圏を持つものと、ローカルな誘致圏を持つものが隣合わせにあるということは百害あって一利もない。客はすべからく反発しあうものと考えておいた方が良い。世界中からの観光客を迎える有名ホテルではアジアとウエスタンに分けて部屋割りをするとか。喫煙を巡ってもそうである。日本でも修学旅行生を泊める旅館を家族客は敬遠する。
<可変と不可変、あるいは変えるべきもの>
自然にしろ歴史にしろ、資源というのは「自然に変えられてしまうようなもの」、「変わってしまうようなもの」、「いずれは変えねばならないもの」、「絶対に変えてはいけないもの」、「工夫しても絶対変えられないもの」と、いろんな性格がある。それを見極めて将来像のために対処するのが観光地の運営者の役目である。
<多目的性、複合利用の促進>
例えばホテルでいえば、朝はバイキングの朝食の場所になっている。夜になるとそれがダンスホールに変わるとか、一つのスペースを違う時間には違うように使う。あるいはプールとアイス・スケート・リンクというようなのはよく見る例である。
<将来変化への用意>
長期的な熟成とか長期的マスター・プランを描く時に、保留地というものの確保を忘れてはならない。そういう余裕があればあるだけ、将来の変化に対してスクラップ・アンド・ビルドといったことも可能になる。土地利用計画図に100%施設が描かれているのは失格である。これは「無用の用」の拡大解釈かもしれない。
<人工物への依存排斥>
人工的な施設はできた時からすでに成長はストップしている。あとは悪くなる一方である。それから、人工施設というのは要するに誰でも作れるわけであり、すぐ陳腐化する可能性もあるし、ライバルが出てきてより良いものが作られてしまえば、もうそれで終わり。だから企業は再投資することを前提に長期経営計画を立てるし、TDRのように長期にわたってイベントのラインナップを考えている。
<広域と単独>
「地域開発全体とうまくシンクロナイズ」しなければだめである。あるいは周辺観光地と共同戦線を張る。ただし、どの範囲の観光地と共同戦線を張るかは観光客の回遊の動向に基づいて考える。例えば北陸の芦原温泉の宣伝は「北陸にいらっしゃい」ということが大きな字で書いてあって、芦原温泉という字は小さい字で書いてある。
学生Q.この前、京都に観光に行ったのですが、先生の言っていた観光資源への接近法などがよく実感できて良かったです。
コクジーA.早速、試してくれてありがとう。実際に自分の目や耳で確認するとすごくわかりやすいですよね。なお、学生による先生への接近法も神社に参るように、厳かでありたいものです。
学生Q.ちゃんと聞いたら、ちゃんとわかるもんだなぁと思いました。
コクジーA.ちゃんと教えたら、ちゃんと教えられるもんだなぁと思いました。
学生Q.観光客統計の項で、実人員把握のために行う重複調整の方法がよくわからなかったです。
コクジーA.だいたい以下の4種類が考えられます。
①延数で集められた全体の合計数字を、アンケート調査等から観光地(施設)ごとに設定された重複是正率で調整する。ここでいう重複是正率は一人当たり平均立ち寄り施設数と理解して下さい。観光客が一つの観光地しか訪れない場合は延べ人数と実人員は一緒になります。3カ所訪問した場合は延べ人数を3で割ると実人員になります。
②一定エリアに複数の観光地がある場合、代表的地の数値のみを集計する。誰もが絶対行く施設があれば、そこの人数を確認すれば実人員は把握できることになる。
③調査時間帯を定めて、カウントする。これは同一観光客を2度以上カウントしないようにするためで、一人の観光客は同時に2カ所に行けないから。
④ダブルカウントの起こりにくい流入調査を行う。観光施設ではなく、その市町村へ入ってくる道路や鉄道で人員を把握する。同じ道や鉄道で出たり入ったりを繰り返す人はいない、という前提による。沖縄はこの方法が採れるので比較的数字の信頼性が高い。
学生Q.各県もイベントや行事をたくさん行い、県の活性化に努力していると思う。私も何度か県のイベントに参加したことがあるが、やはり若い人の参加率はとても低いと感じました。
コクジーA.おそらく、県の活性化のために、なんて発想ではだめなんでしょうね。ともかく参加することが楽しい、そんな風に持っていく必要があるのでしょうが、企画する人の感性にも問題があるのではないでしょうか。札幌で有名になりつつある「よさこいソーラン祭」は北海道大学の学生の遊び心だったようですよ。今は全国から200万人もの人が集まります。メジャーなイベントにはなれなかったけれど、私の在学中にも学生寮では毎冬ジャンプ大会がありました。スキーのジャンプは当時から日本は強かったのですが、このイベントは寮の2階から新雪の積もる庭にどれだけ遠く跳べるかを競うものです。ドテラという綿入れのユカタのようなものを着て、腕を広げ、ムササビのようなスタイルになって空気を囲い込みつつ、飛び降ります。「不倒」では評価点数は低く、距離を稼いで頭から突っ込む姿勢に高得点が出るのです。あまりのあほらしさに新聞で笑われていました。
学生Q.観光客の回転率のお話の中で、例としてスターバックスが出ていました。私はお店ではあまり顧客の出入り循環を重視していないと思います。ゆっくりくつろげるソファーもいくつか設置されているし、店外にもくつろげる場を設けています。私はゆとりの空間をスターバックスは重視していると思います。それが現在のカフェの特徴だと考えています。
コクジーA.言われてみると、そうですね。実は私はドトールのイメージで言ってたかも。あなたの方が正しいね。ドトールもそういう方向になるのかも知れませんが、そのためには店舗面積を増やさないといけないでしょうね。しかし、スターバックスはパンがまずい。パンに関してはドトールの勝ち。みんなはどんな意見でしょうか? ドトールも最近は小さなお店に喫煙者ばかり、というケースもあり、息ができません。スタバはちゃんと分けていますね。昔の喫茶店ではインベーダーゲームができる喫茶店が流行ったことがあります。あれは恐ろしく回転率が低かったと想います。呑気な時代でした。ところで、マクドナルドはなぜ関西ではマクドといわれているのでしょう。関東ではマックです。マクドというとなにか、汚いものをぶちまけられるような気がするのですが。それはそうと、大学教室のイスは堅いですね。これは90分拘束が前提なので回転率とは関係ないですが、もう少し90分座っていてお尻が痛くならないイスってないもんでしょうか? あえて居眠り防止策をとっているのかな。
学生Q.観光が地域に与える影響にはプラス面とマイナス面があります。物事は必ず両面があるのでしょうか。避けられないことですね。それは人次第で、正直にマイナス面に対して、最小限にするよう努力するのが大事だと思います。ただ、残念だった、といって終わるのはいけません。
コクジーA.よおく、わかりました。が、なんだか人生相談か占いのおかあさんに説教されたみたい。
学生Q.地域の観光化が進むと二重経済のような局面が出てくる、という話を聞いて、中国の観光業もそうだと思い出しました。国内観光客より外国観光客の入園料金が高いだけではなく、公共トイレでも内装により料金が違います。一番高いのは「渉外トイレ」、一般トイレより倍くらい高いです。それから、門司港の写真が授業で出てきましたが、人力車はやはり港の雰囲気と合わないと思います。馬車はどうでしょうか?
コクジーA.渉外トイレとはどのようなものでしょうか? 中で交渉ごとでもあるのかしらん? 中国では以前は外貨兌換券というものがありました。外国人専用の貨幣で、これはドルへの交換ができるのです。国民は人民元という貨幣を使用していました。こちらは交換ができません。国内専用です。兌換券を使えるお店もあって、品揃えや品質の高さが国民にはあこがれの的でした。同じ元という通貨単位ですが、皆兌換券をほしがりました。日本もかつてはそうでしたが、経済的な落差のある局面ではそうした制度や現象は避けられません。国民精神的には決して良いものではないし、屈辱的でもあります。貧しくてもいかにプライドを保っていくか、ということが、観光地側に必要でしょう。私が中国で仕事をしていた頃には、通りに体重計をおいて金をとって通行人の体重を量っていたり、冷蔵庫を路地に出して「冷えた飲み物」を何割増しかの料金で売っていたり、そんなシーンもありました。これも国の発展度合いの大きさが生み出したビジネスですかな。ところで門司港の話です。この事例は観光によって一度は埋もれていた社会遺産が再生されている、という視点で紹介したのですが、かつて人力車が盛んに使われていた、という歴史的事実に基づいてやっているんだろう、と思います。そうでなければ、演出過剰になり、観光客はそれをいつかは見抜くでしょう。
学生Q.私たちが携帯電話に使っているお金が住宅産業の売り上げを上回るって聞いて驚きです。今や通信の時代なんだなと思った。今日の授業はすごいわかりやすかったです。
コクジーA.あなたは正しく聞いていたようです。しかし、「通信の時代」と言うからには君たちはさぞ重要でかつ緊急の通話をしているのでしょうね。きっと。そんな顔していないようだけど。あなた達は月にいくらくらい費やしているのでしょう? 私は3,000円くらいです。私は未だにガラケーだからかな。メールと電話さえできればいいので。でもスマホは社会生活を送る上で不可欠なツールになりつつあります。もうなってるか? でもそれなら初期費用も、通信費もまた機種の仕様の統一など、国民に対して公的な関与は必要ないのかな。例えば災害時の緊急避難のためのアプリなど。どんどん多様化していて、ガラケーを選んだ人は想定していないとか、仲間に入れてあげないって・・・それは憲法上問題ないのかな・・大げさか、文句あるならさっさとスマホにせいってか? 考えます。
学生Q.オポチュニティ・コストの説明ので、巨人が優勝した際の経済効果と阪神が優勝した際の経済効果の例がとてもわかりやすかったです。
コクジーA.阪神が優勝して経済効果が300億円あった、とかいって喜んでいる時に、巨人が優勝していれば400億円だったのに、と負け惜しみを言ったって、確かにあまり意味はありません。でもオリンピックを筆頭にあらゆるイベントに対して、広告代理店などが必ず経済効果云々を数字で発表していますが、じゃあやらなかったら、あるいは他のイベントに代えたらどうなのか、などについては黙しています。ある地域において観光開発をするか、石油備蓄基地を作るか、といった時にはどちらの方が優れているかを比較検証を行えればそれに越したことはありません。少ない投資で最大の効果を求めるのが経済原則だし、逸失利益は最小限にしないといけません。また、社会文化的にはどうか、継続性はどうか、なども併せて検討します。オポチュニティ・コスト(機会費用、あるいは逸失利益)は、開発費用、運営費用、毎年の収益などから積算、判断します。あくまで机の上の想定になってしまうのですが。開発による土地や資産の価値の増大も勘案します。これは難しい作業です。学問としては「開発経済学」という分野です。
学生Q.またしても、寝てしまいました。自分のためにならないし、先生と親にごめんなさい。
コクジーA.先生や親はどうでもいいんです。確かに本当に眠い時はどうにもならんしね。これは私も覚えはあります。もちろん。でも前夜の睡眠次第ですよ。一度あなた達の一年間の授業料を履修科目の出席日数で割り算してみなさい。ひとつの授業で4,5千円くらい支払っているはずですよ。目が醒める金額です。
学生Q.授業中に先生が話されていた「インフレと土地価格の上昇の話で、観光地で先生が実際に訪れたナイジェリアでは非常に観光地価格が高いという事実を知りました。実際、私もグァム旅行をした時に現地のディナーショーに行きました。そのときフラダンスの衣装をきた若い女性(ディナーショーを行っているレストランの従業員)と一緒に記念撮影をした後に、写真を10ドルで買わないか、といわれて買ってしまいました。私は、この時観光地価格の汚い面を見た感じがしました。
コクジーA.オーソドックスな失敗談ですね。写真屋は買わない人を見込んで価格を設定しているわけですから、高くなってしまいます。でも、ものは考えようで、自分で自分の写真をとれない状況であれば、ひとつの記念として買っておいても良いのではないでしょうか? だいたい、君はフラダンスの衣装を着た女性と並び立ったという事実に金を払うべきでしょう。人間って失敗したことの方が後で良い思い出になるものですよ。でも「スマホで自撮り」の時代になってきたから、あのようなビジネスも成り立たなくなっているんじゃないかな。