伊藤ちゃんとデッサンとオムハヤシの話
数学者の父と娘のお正月映画を観ていて、ふと思い出したことがある。誰に見せるでもなく、成果の出ないものや認められないものでも、意味があるものもある、ということ(映画のテーマからは飛躍しているけれども)。
伊藤ちゃんは、大学の時に写真部で一緒になった、同学年の男友達だ。今でも、私と同じ街に住んでいる(はず)。伊藤ちゃんは、美術学科の絵画の専門課程の人だったので、常に絵を描いている人だったけれども、写真にも非常に熱心だった。作家性がある、とは彼のためにある言葉で、絵を描かせても写真を撮らせても、どういう面から見ても、才能がある、と少なくとも私は思っていた。
写真部に入部当初は、そこまでの仲良しじゃなかったように思うけれども、少し経った時に、自主制作映画作りをきっかけに伊藤ちゃんとはぐっと距離が縮まった。どういうわけだか、何度か、写真と絵のモデルをさせてもらった。大学の廊下で、ものの5分程度のスケッチのモデルをしたこともあったし、撮影場所を選んでちゃんとした写真撮影のモデルをしたこともある。モデルというと聞こえがいいけれども、伊藤ちゃんにとっては、作品のメインは当然モデルではないので、私は作品の中では伊藤ワールドに溶け込んだ住人みたいになれた。
その後も、どういうわけだか、全く美術とは関係のない学部にいた私と二人で個展をやったこともある。伊藤ちゃんから誘われたのだ。私はただの白い紙に黒いサインペンで、オシャレをした女の子のイラストばかりを描いた。案の定、個展では伊藤ちゃんの絵を見に来るお客さんばかりで、私のイラストへの反応は冷たいものだった。伊藤ちゃんが私の絵のクオリティにうんざりしたかなと心配したけれども、個展の片付けをしている時に、私のイラストを指差しながら「この絵が欲しいから、どれか自分の作品と交換しよう」と言われた。それは犬を連れたハイヒールの女の子が、ピストルを構えているものだった。なんの社会的の意味もない、テリー・リチャードソンの写真のように奇抜なだけの私のイラストを、伊藤ちゃんは大事そうに持って帰ってくれた。
伊藤ちゃんは、人とあまり交流することなく、こちらから連絡しないと、音信不通になることもしばしばだった。伊藤ちゃんから連絡が来ることはとても珍しいので、お正月に秋田へ帰省中にメールが来た時はびっくりした。盛岡に戻ってきたタイミングで、デッサンのモデルをしてほしいと言われたのだ。なるべくぴったりした服で来てほしいと言われたので、私はぴたぴたのハイネックのセーターで秋田から帰った。
伊藤ちゃんの自宅の最寄りのバス停で待ち合わせをしていた。伊藤ちゃんはいつも薄着で寒そうで、背中を丸めて歩いていた。「自宅まで呼び出してすみません」(律儀なのでいつも敬語なのです)と申し訳なさそうに言ったけれども、私はまたモデルに選んでもらえて、とても嬉しかった。
伊藤ちゃんの部屋には、いかにも美大生と言えるような、画材や描きかけの絵がたくさんあった。大学の研究室でも描いていたけれども、自宅でもたくさん描いていたみたい。私はお風呂で使うようなプラスチックの椅子に座って、彼が指定するポーズのまま10分ごとに3パターンくらいのポーズをとった。伊藤ちゃんは黙々とデッサンをするだけだったけれども、私がモデル慣れしていないこともあって、いつの間にか動いてしまい、ちょっと困った顔をされた。
デッサンを描き終えたら、伊藤ちゃんはおもむろに料理を始めた。伊藤ちゃんは料理しそうなタイプではなかったし、キッチンはがらんとしていたので、その行動にびっくりした。私はのんびりと、一つしかない部屋で待っていた。待ち合わせが夕方近かったので、すでに真っ暗で、真冬の北国の、質素なアパートにいることを急に認識した。薄ら寒くて、そのワンルームの古い部屋は、心寂しい感じがした。
いつも謙遜する伊藤ちゃんが、「こんなのしかなくてごめんね」と言って私の前に置いたのは、黄色い卵がのったオムハヤシだった。おそらく、レトルトのハヤシライスを温めてくれたんだろうけれども、それだけだと悪いと思ったのか、伊藤ちゃんが作ったオムレツを添えてくれたのだ。その心遣いが嬉しかったけれども、どういうわけだか私一人分しかなくて、私が食べているところを伊藤ちゃんはじっと待っていた。美味しいよ、と言うと、安心したような表情をした。
大学を卒業する時に、今まで描き溜めていた作品を処分しなければいけないということで、伊藤ちゃんの研究室に絵を貰いに行った。「全部は保存できないから、捨てるんだ」と伊藤ちゃんは言っていて、その作品の量は膨大だった。私はひと抱えあるような油絵を何枚かピックアップした。全く気にしてなかったけれども、どれも半裸の女性がこちらを睨んでいるような作品ばかりを選んでしまっていた。最後に「これは持っていって欲しい」と、女性の顔部分だけを切り抜いた小さな絵も渡された。あまりに作品が大きいので、顔の部分だけをのこぎりで切って、他は燃やしてしまったそうだ。
私をモデルにデッサンした絵の完成品は、もしかしたら、どこかにあったのかもしれないし、なかったのかもしれない。もらってきた絵はどれも、そこはかとなく私に似ているような気もした。自分という存在がどう扱われても、別にいいや、と初めて思った。誰の目に触れることがなくても、意味のない絵だとしても、モデルをした私だけが、受け取ったものは膨大なのだから。