博士号を取ろうぜ ーどんとこいサイエンス&テクノロジー その1
皆様こんにちは。
今はお気軽一発どり動画にしてますが、最初はちゃんと原稿を推敲して作ってました。でテーマ的にも沢山アクセスしていただいているのですが、いかんせん、長く、テンポも悪いのでゴールまで見ていただいていないことが殆どです。そこで過去の原稿あり動画に関しても原稿のテキストをあげたいと思いました。
動画はこちらです。もしよろしければ
どんとこい サイエンス&テクノロジー!!
こんにちは街角です。皆さん今勉強していますか?勉強好きですか?自分は何のために勉強するか考えたことありますか?
僕はこの問題を突き詰め過ぎて、多額の借金までして物好きにも10年も大学に通ったあげく、さらにそこから数年かかって博士号とやらを取っちゃった人間です。
皆さん博士ってどんな人だと思いますか?
昔キテレツ大百科というアニメがありました。勉蔵さんと言うキャラが居て浪人して大学を真剣に受験する人でさえ牛乳瓶の蓋のようなメガネをかけた、いけてない学生のイメージ持った人として描かれていました。
よもや大学院に入って学部生よりも長い時間を大学で過ごすなんてどういうことなんでしょうか。おそらく私自身がその当時自分の今の状態を知人に説明するときに与えた印象のように、外からみれば何かよくわけのわからないことをやっている物好きだと感じられるかもしれません。
その何かわけのわからないものは社会的な評価の対象にならないと、どうやら多くの人が考えているようです。
しかし本当にそうでしょうか?自問自答する長い年月を越えて私は今確信を持って、「これは社会の役にたつ」と強く思っています。
皆さんのイメージとは違うかもしれませんが、大学院は本を読んで知識をつめ込むような場所ではありません。大学院生のなすべき事は端的に言うと研究をすると言うことです。
勉強じゃないです!研究です!!これは実に多くの人が勘違いをしていることなのだと思います。
では研究とはどういう営みなのでしょうか?簡単に言うと研究は自分の興味から出発して、この世に未だ誰もが発見していないような新たな事実を導き出す努力をすることです。
空飛ぶ車。全く新しい食感の食べ物。未来のエネルギー技術。こうした何も理化学系の事だけではありません。今この世にあるシステムより公平で、より正義が通用する政治システムはどういったものなのか?そういったことを研究を通じて最終的に考えだしていくわけです。
もちろん純粋な研究は実はこうした実用よりもさらにかけ離れたことをテーマにしています。ミジンコがどうやって水の中を上手に泳ぐのか? こうした一見何の役にも立たないような研究が実は後で振り返るとバイオエタノールの効率的な生産の研究につながることだってあるわけです。
研究にはこうした予測不可能性が常に内包されています。そのことで逆に予期しないブレークスルーを導くこともあるのです。しかし優れた研究に共通して言える事は、研究者自身が心からこれは面白いと確信して実行しているものからのみ意義ある研究が生まれると言うことです。
研究の過程を分解すると、自ら課題を発見し 、その課題を検証する方法すら自ら考案し、その解析した結果を誰の目に見てもわかる形で説明する必要あります。
しかも世界中のそういったことに興味のあるマニア達と知恵比べして我先に自分の新たな発見を発表しようと日々研鑽するのです。
課題の発見から解決と言う一連の過程はそれ自身何も大学で行わなくても、誰しも生きていくなかで何かの経験をすることではあります。ところがそういった経験の価値の重さを客観的に示せる人は一部の起業家などを除いて殆どいないでしょう。
ところが大学で行う研究の場合、その研究の価値がどれほどのものであるかと言う事は、その研究者が研究を発表する場所、即ち発表する論文の雑誌で実は 概ね客観的に測ることができます。研究の世界の評価は、一般の人が想像しているよりはるかに客観的で合理的なシステムの上に成り立っています。
つまり言いたいことは、大学院で博士を取るということで行うことは知識の消費ではなく、創造的活動そのものだということです。
さて翻って今日本の社会で一体どういった能力を持った人や企業が求められているでしょうか?
それは誰よりも早く、世界に未だかつてなかった価値を提供できることが求められているのではないでしょうか。大学院で博士を取得すると言う事は、実はこういったことに対して誰もが客観的に図れる指標で努力をするということなのです。
博士は使える!
しかし多くの人が想像している通り、日本においては大学院の博士課程卒業者は、一部研究者となってその活動を続けるもの以外は、非常に不遇な状況に置かれています。
かく言う私もこのような状況の中で非常に貧しい思いを経験することもありました。しかし逆境の中貧しい経験をすればするほどそれでもなお頭の中で蘇ることがあります。
人のお金を盗んだり、奪い取ったり、消費させたりする事は実はいとも簡単なことです。しかし人が身に付けた能力や技能は誰にも奪われることがないのです。苦しい状況に置かれるほど私はそのことの有難さを痛感しました。
不確かな世の中になっている現状の世界において、実は今まで日本では見向きもされなかった博士と言う人材こそが求められているのではないでしょうか。
それは実は社会の要請のためだけではなく、その人自身が生きる糧を身に付けると言う意味でもこれからの世の中で非常に重要だと私は思っています。
どんとこいサイエンスアンドテクノロジー。
人がまだ想定していないようなことだからこそ価値がある。今回はそんなお話でした。