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リベラルの心の置き所
前回作ったのと逆バージョンで、動画に対応した文章を書こうと思います。
どこかのタイミングで見たドキュメンタリーの話です。
設定もよく覚えていなくて、とにかくストーリーを語っていくのはある先生で、その先生は精神疾患患者の療養施設で将来勤務することを目指す、看護師だったか、精神科医だったか、ソーシャルワーカーだったかの指導をするというようなことだったと思っております。
そういった苦しみを持っている患者さんに対してもポジティブな気持ちを持って前向きサポートしたいと思っている意欲のある若い学生さんたち。とても良いと思います。
しかし実際の現場に出ると、人としてその患者たちに到底共感しえない感覚を持つことに悩みます。そうした場所では、通常起こらないようなことが起こる現実があるからです。
しかしある時ある学生が、普段心を通わすことができていないある患者さんが食事をする前に合掌する姿を見て 「あ、この人生きてる」と思えた。
内容としてはそういう話です。
他人への思いやりとか、共感とか簡単にいいますが、結局自分自身の好き嫌いの呪縛から逃れる事はとても困難です。
例えば弱者に優しくできる人がいたとしても、裏を返せば単に強いものが嫌いなだけと言うことが多々あります。
僕自身も弱い人にも優しくしたいと言う想いがありますが、逆にうまく立ち振る舞って、ときにはそういった弱い者をいじめる人のことを嫌っていると言うことでもあります。
そうゆう弱いものをいじめるような人はその人に心の弱いところを他人にぶつけているに過ぎない弱い人間なわけで、私はそうゆう人の心の弱さを許せなく思う心がある、ある部分心の強い人間なのです。 そうすると逆に弱いものいじめである構図もあるのです。
この話の要点は人との共感や敬意を突き詰めた先に、その人が生きていることそのものに対する敬意ということに行き着く点かと思います。
もうここまでくると宗教や哲学の領域で、とても常人が行き着く境地ではないのかもしれません。
しかし昨今リベラルとか多様性みたいなことが簡単に述べられる機会が多くあるように思いますが、是非こういった視点まで深化して、本当に人を慈しむとはどういう態度なのかと言う事まで考えが進めばというふうに思えてなりません。
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