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方法がもたらす成果の限界について 7

こんにちは。引き続き研究の方法の重要性ついて話していきます。

今までの会で、研究の方法はその発見の限界点を決める、ということを話しました。これは文字通りの意味なのですか、自分の経験から該当する具体例がありましたので、今回はそれについて話したいと思います。

以前私の研究の興味は心でそれについて知りたいのだと言う話をしました。

また一方では私は遺伝子の研究をしていたと言う話もしました。さらに実際には酵母の研究もしたということも言いました。

ヒトの心について知りたいと思っている人間が何故、酵母の遺伝子の研究をするのでしょうか。全く繋ながらなそうなことですが、一応理屈はあります。

ヒトの心は脳の機能として現れるものです。脳は神経細胞と呼ばれる細胞の働きで動いています。その神経細胞の働きは細胞の中にある遺伝子によって制御されています。神経細胞に大事な機能のある遺伝子と酵母の遺伝子には共通の部分があります。そこで私は心を知るために酵母の遺伝子の働きを調べたということです。

このように確かに繋がりのある事柄ですが、そのつながりは遠そうで、 実際に遺伝子と心を結びつけることは20年たった今をもってもなかなか距離があるものです。

流石に私は実際にはネズミの遺伝子の働きを調べていたのですが、しかし私がこの分野の研究を志した20年前には そうした考えを持って心の問題を遺伝子の生物学から考えると言う人は割合にある選択肢でした。

当時ちょうど遺伝子を調べたり、操作したりすることが方法上可能になってきたという時期だったので、遺伝子を切り口に心を調べるということは一種の流行りでもありました。

私の博士論文の研究テーマは脳の神経細胞にある、ある遺伝子の新たな機能を明らかにするというものでした。その当時我ながらなかなか面白い内容だと思っていましたし、実際世の中にも評価されるような成果でした。

ですがあまりこのことに詳しくない皆さんの感じる一般的な感想と、その当時の自分自身の感想は一致しています。 つまりこの研究と、自分が本当に知りたいと思う心の働きとはほとんど結びつかないだろうというふうに思っていました。

それはこのテーマを設定した時からわかっていましたし、 最後にそれを書き上げた時に出来上がった論文を読んでもやはりそうでした。

しかしどうにもこうにも、その当時の自分は自分が知りたいと思うような心の機能に関係するような成果をあげるためには、少なくとも将来そこにたどり着くためには、このような研究を形にすることしかできませんでした。

これは一種の方法の限界であったのかもしれません。

それから10年経ちました。 私は現役の研究者ではありませんが、仕事の都合で最近自分が所属していた分野の学会に参加する機会がありました。

発表されている研究内容を見てみると、当時私が行っていたようなアプローチの仕事をする人はほとんどいなくなっていました。本当にどこに行ってしまったのか、という感じです。

実はこの10数年の間に脳の研究分野では大きな方法上のブレイクスルーがいくつも起こりました 。

私が取り組んでいたような生物学的手法はさらに洗練され、 様々な測定技術も進歩しました。また最近世の中でよく知られているビックデータの解析手法の発展も大変有効な手法です。

そして今年京都賞という非常に権威のある賞を受賞した、うまく神経を外から刺激する方法の開発もこの分野を大きく変えました。オプトジェネティクスと呼ばれるこの方法が近々ノーベル賞を受賞することは間違い無いでしょう。

今日ではこうして調べられた新たな脳の働きに関する知見が 新しい処理機能を実現する人工知能の開発に寄与する、ということもよく起こっています。

この段階になって、私は現在進行している研究の成果は20年前まさに求めていたような、心の機能的解明に接近しうるものだと強く確信しています。

そしてもし今この分野の研究をやるなら、他の多くの人のように10年前に取り組んでいたようなテーマを研究することはありません。

では10年前自分が成果を上げるために行った研究とは一体何だったのでしょうか。

問題に取り組むときに理想的なゴールにたどり着く明確な道筋すら見えない。当時の脳の生物学的な研究はまさにそうでした。

とは言え、その時をいきていた私は何も手をつけないわけにはいかないので、文字通り仕方なく、ある事柄に取り組んだわけです。私だけではありません。世の中の多くの人がそうしました。そしてこれに対して社会から大きな投資もなされていました。

けれど10年経って誰もそれに手をつけなくなりました。そうです。
「その当時行われていたことには、実際には誰も興味はなかったのです」。

できそうなことだからやる。ただそれだけでした。

学問としては勿論生物学的な、遺伝子の働きの解明は意義があることです。それはいずれどこかの研究につながっていくでしょう。

しかし私個人に焦点を置いて考えるとこの20年前から取り組んできた事は全くの無駄であったのでしょうか。心を解明するための研究成果としては実際に無駄であったのかもしれません。

博士課程在学時同じ分野の有名な先生が講演にいらっしゃいました。その方は丁度定年退官で大学を去るような時期でした。

講演の後、質問の時間があったときに、私は「脳の研究は今何を行っていいかはっきりわからない状態だ。先生なら今どんなことに取り組むのか?」と言うことを聞きました。

先生は自分に残されている時間によって答えは変わるが、20代の頃であれば、できそうな気がするが、どうやってやったらいいかわからないことに取り組む。逆にそれがわかっているようなことはやるべきではないと話されました。

そして遺伝子の機能を見つけることで成功したその先生は今自分が20なら私は遺伝子の研究は絶対にしませんとはっきり言われたことがとても印象的でした。

その時の先生には10年後の今の状況がはっきりと見えていたのかもしれません。

成果を上げるだけでは、長い目で見れば本質的に意味のあることはできないということをおっしゃっていたのかもしれません。

10年20年前の心の分野の研究は、どうやっていいかはわからない何かポテンシャルを感じる対象でした。そういう意味では若い研究者の問題の設定対象としては理想的な段階であったのかもしれません。

現在はこうした心の研究の道筋がある程度具体的に見えてきました。成果をあげるには最高のタイミングかもしれません。しかしこれは逆に今の若い人が将来をかけて取り組むにはもはや遅いテーマ設定になるかもしれないということかもしれません。ちょうど私が10年かけて体験したようなことが今後起こるのかもしれません。

そう考えると今世間でやたらにもてはやされるディープラーニングはその時には全く別のものに置き換わっているなんてことも大いにありえそうです。

どんとこいサイエンス&テクノロジー。 将来の目標なら今できることではなく、方法がはっきりしないことを目指すべき。 漫然とやれることだけを追求していては10年も続かない。 価値ある本質的な科学研究の難しさを痛感する、 今回はそういうお話でした。

たどたどしい動画も是非。チャンネルではもう少し軽い動画もあります。

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これから先は脳科学の時代。その発展で一番影響を受けるのは教育だと確信しています。STEM教育を手掛けたいとせっせと動画をあげています。また子供大人問わず自由研究を応援するSlackを作っております。良かったらご参加ください。