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瀬戸内の寂しさを聴いたか【編集後記】

 幼少期からずっと瀬戸内の沿岸部で過ごしてきたというのもあって、瀬戸内の海は私にとって馴染みの深い存在だ。兵庫県南部民のように、常に南側に海があるという生活は、「海を目指す=南下」という固定概念を生み出し、いざ山に囲まれてしまうと方向感覚を失ってしまうようになった。生まれながらにして海洋民族である私たちらしい一面といえばそうでもある。
 私が生まれた時には、すでに瀬戸大橋も明石海峡大橋も架かっていた。だから幼少期でもそれほど四国を遠い存在だとは思ったことは無いが、本州から幽かに見えたり見えなかったりする四国の島影には、言いようのないノスタルジーを感じていた。確かに橋で陸路が繋がっているのに、行くことのできない遠い街。RPGゲームでよくある「この先に街があるのに通せんぼされて通れない道」を思い出す。
 それから年月が経ち文字通り「なみのり」を習得した私は、行動範囲が大幅に広がったワケ。キンセツシティの東の海の先へ行く。村上水軍もビックリの瀬戸内珍道中、その後書きをどうぞ。

こちらは編集後記になります。本編については上記リンクより動画をご視聴ください。後悔はさせません、特にお前。
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【1日目】

 3連休の初日、幾度となくスーツケースに足を踏まれつつ、551の行列に目配せしながら、博多行きののぞみが待つホームへ向かう。指定席車両に乗り込むとやはりほぼ満席になっている。新幹線は新大阪駅を定刻通りに発車。

 広島までの道のり、私は3年前のことを思い出していた。前職で中国地方にいたとき、つかの間の帰省を終えて住処へ帰るその車中、遠くなっていく故郷の光がまた脳裏に浮かんだ。新大阪発の午後19時の便、家に着くのは22時を回っていたと思う。それにしても"のぞみはひかりよりも速い"とはよく言ったもので、1時間半ほどで広島に到着するのだ。"ふるさとへ帰りたい"という望みは、もしかしたら光よりも早く叶っていたのかもしれない。

宮島行きのフェリー
ついに完全体になった大鳥居
鹿でした

 そんな宮島に来るのも実に3年ぶり。前回来たのは冬の始まりの季節。その頃はちょうど厳島神社が改装工事中で、重装甲大鳥居しかお目にかかれなかった。今回ついに完全体の鳥居を拝むことができたので良かった。アナゴ重も美味しかったし、思い残すことはないね。またいつか来ます。

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  宮島口まで戻りまして、そこから西へ。広島県のお隣、山口県へ入りました。山口県の東側の玄関口「岩国市」。またの名を山口県広島領。

かつては栄えていたのだろうか
一番良かった看板
道しるべ?
だなも
これは多分水森のほう

 岩国はかつては重工業と軍需で栄えた町。時が経って今は米軍の町として知られるようになった。その残り香というか、必然というか、軍関係で栄えた町にはきまって色町が形成される。岩国市街を歩き回って思ったのだが、スナックやキャバクラ系店舗の数が異常に多い。もう営業していないものも含めると、新旧関係なく本当に所狭しと並んでいる。
 訪問したのはお昼過ぎであったのであまり活気はなかったが、週末の夜にはにわかに賑わうのだろう。私たちは誘蛾灯に吸い込まれる虫なのさ。ずっと真夜中でいいのにね。

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 岩国市から広島までは約1時間。広島駅を中心に構成される広島経済圏は、西のほうは岩国周辺までが含まれている。実は中国地方5県のうち広島県のみ唯一、JR特急電車が走っていない。それは、広島県が県内だけで交通ネットワークが十分なほど構築できていることを意味している。市内には市電が張り巡らされており、きめ細かい移動が可能だ。県外においても、東西の移動に関しては新幹線があり、南には船、北にはバスがある。どの面からみてもぬかりない。さすが中国地方最大の都市であると思わざるを得ない。

繁華街でいつも出迎えてくれるKIRIN BEER
がんす
広島と言えば牡蠣
そして広島焼き
魚串は初めて食べた

広島の夜。とりあえず名物をかっ食らう。あの衝動はまるで恋だね。広島は飯が美味い。夏の夜の真ん中、月の下、広島を楽しみました。

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【2日目】

 さて二日目。広島駅から南へ延びる呉線に乗って、松山へ渡るための船に乗る。
 昨晩は少し雨に降られたものの、本日は快晴に次ぐ快晴。呉線の沿線は海と空が溶け合って、絵葉書の中のよう。まるで仁義なき戦いとは無縁の青空。この日本の片隅には、こんな美しい景色がある。

今回のベストショット
呉港に鎮座する巨大タンカー
赤いクレーンと青空が良い感じに

 お昼少し前に呉に到着。昨日の宮島ほどの人はいない。12:13発の船に乗る。客は私たち含めて5組ほど。広々とした船内をゆったりと使わせていただいた。お昼ご飯を食べる時間がなかったので、コンビニで買った瀬戸内レモンパスタを食べる。そして大和のラムネ。かの戦艦大和の艦内にはラムネ製造機があったというのは有名な話。

 松山観光港までは約1時間の船旅。快晴の瀬戸内海はおだやかで、遠くの離島の砂浜まで良く見える。ところで瀬戸内海といえば思い出されるのが村上水軍。かつてこのあたりの芸予諸島一帯を舞台に活躍していた一族である。
 当然船の動力モーターもないし、ソナーもましてや灯台もない時代、油断すれば自分たちの現在地すら見失うような時代に、手漕ぎの船だけでこの瀬戸内海を悠々と回遊し、海の治安を守っていたというのだからスゴイ。大きな鉄の塊で海を行きかう私たちを見たら、なんて思うのだろう。

松山観光港からバスで3分ほどのいよてつ高浜駅
いよてつから見る海

 松山に入ってもひたすら青い海と青い空が続く。いよてつの橙色とコバルトブルーのコントラストが、思えば遠くへ来たもんだと私たちの旅情を煽る。
 いよてつは全線を通して、ICOCAやPASMOなどの有名交通系ICが使用できない。なので、県外からの旅行者はいよてつを利用する際、必ず現金を持ち歩かなければならない。それがちょっと不便ではあるが、松山市内の観光にはいよてつが不可欠。ここは坊ちゃんのように目を瞑るしかない。吾輩は旅行者である…。

道後温泉駅
足湯で疲れをフットバス
坊ちゃん団子

 道後は一度訪れてみたかった地。道後温泉は有名な温泉地ではありますが、日本三名泉(有馬、下呂、草津)には数えられない。三古泉となると有馬、道後、白浜となり数えられる。三名泉には全部行ったことがあるが、古泉には白浜が未訪問なのでいつか行きたいところ。ちなみに三名泉の覚え方は「あらま、ゲロくさっ!」です。あくまで私個人の覚え方。
 愛媛と言えば鯛めし。今回もしっかり食べました。愛媛の鯛めしには2種類あり、宇和島鯛めしと松山鯛めし。今回食べたのは宇和島スタイルで、鯛の切り身を卵黄を溶いた醤油にディップし、それを白米にかけて食べるという、さながら超贅沢なTKG。今度は特急宇和海に乗って宇和島に行きたい。

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【3日目】

 3日目は、松山在住の友人に協力を要請し同行をしていただいた。松山市から東温市を抜けて、瀬戸内海側へ。
 愛媛県の県東の町、新居浜市にはかつて栄えていた銅山がある。それが「別子(べっし)銅山」。住友鉱山が経営していた四国屈指の鉱山だ。険しく曲がりくねった山道をグネグネと登っていくと、東平(とうなる)地区というエリアに着く。東洋のマチュピチュとも呼ばれる、別子銅山の観光エリアだ。本当にこの先にそんなものがあるのかと半信半疑で車を進めたが、間違ってはいなかった。

鬼の逆光でよく見えない
わずかに残された遺構が雰囲気漂う
上から見下ろすとミニチュアみたい
眼下に見えるは瀬戸内海。離島の先に霞んで見えるのは本州広島県の福山市あたり

 前回愛媛に来たときは石鎚山に登ったり、今治からしまなみ海道を歩いたり、なんだかんだでしっかりエキサイティングしている。愛媛県は山と海が近いこともあり、どちらに行ってもその景観を楽しめると思う。料理も美味しいし、四国の中でもかなり好きな県になった。

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JR松山駅にて
予讃線のサンセット
瀬戸内の寂しさを聴け

 特急しおかぜ・いしづちは17:38にJR松山駅を出発。予讃線のサンセットを見ながら帰路につく。進行方向に向かって瀬戸内海側に席を取って正解だった。ちょうどサンセットの時間帯に最も海と近いところを走行した。
 
 ということで、3日間の瀬戸内紀行の記録でした。今回はJR西日本が発売している「広島松山割引きっぷ」という商品をフルに活用させていただき、存分に瀬戸内を満喫した。交通費だけでみても尋常ないくらいお得な商品なので、瀬戸内に思いを馳せたい方はぜひ使ってみては。

てことは今回はこのへんで。お疲れ様でした。またここではないどこかで。

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