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9月18日『蝉の声を聞く度に』

 始業式とか終業式とか、季節の変わり目、節目のようなものを感じさせるイベントが少し恋しくなってきた。そういう日は大抵授業とかもなかったし、適当に話を聞き流していたらいつの間にかお昼になっていて、ぽっかりと空になったロッカーがある種の非日常感を演出していたりしていたものだなぁ。休業期間のうちに教室はどこか遠いところを漂流していたようだ。

 学生時代に戻りたいとかそういう懐古的な話ではない。歳をとると、季節の節目やフェーズがしっかり定められることがなくなってきて、刻々と刻まれていくカレンダーの数字と、「四半期」とか「決算」とかそんな業務的なワードにやんわりと胸を締め付けられるようになってくるのだ。

 その代わりとして私は季節の風物詩に敏感になった。騒々しいセミの声さえ、ことしの夏は少しおセンチになっていた。暑い寒いだけが季節ではないのだ。
 小学生の時の俳句を作る授業の中で、俳句の中に季語を盛り込むということを教わった。当時は漠然としていて、季語を盛り込むその意味や季語そのものの存在意義がわかるはずもなく、ただそう言われたからそうしていただけであった。果たして当時に季節と風物詩の密接さに気づくことが出来た芸術家肌の子どもはいたのであろうか。今、プレバト!!をゴールデンタイムで放送しているのはとてもいいことだと私は思います。なんだか少し、懐かしい気持ちになります。

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 ツクツクボウシの声がよく聞こえるようになったらもう秋。クマゼミやアブラゼミといったマジョリティセミがいなくなって、比較的声の小さいツクツクボウシが密かに頑張っているからだ。
 季語としてツクツクボウシを俳句に入れるのは難しそうだ。575の7の部分にしか入れられないのではないか?ピッタリ納まることが出来るのは少し羨ましい。社会から爪弾きにされかけているような私は、未だ夏に取り残されている。

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