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8月27日『一点豪華主義に憧れて』

 久しぶりに雨が降った。みずいろの雨、アモールの雨、恵みのアーメン。まあそんなにいいものじゃないんですが...。梅雨が明けたのが今月の初め頃だった。それから黒ギャルみたいな夏が始まったかと思えば、もう白ギャルみたいな気候になった。勢い余って秋服も買ってしまったし。

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 図らずも雨宿りみたいなシチュエーションになったが、わたしはビル街のはずれにある喫茶店に来た。この雨はまったくの予想外であったが、喫茶店に雨はよく似合う。まあヨシとしようじゃないか。チーズケーキも美味しかった。

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 『一点豪華主義』という言葉を見た。初耳の単語ではなかったのだが、この前読んだ寺山修司の「書を捨てよ 町へ出よう」の文中に出てきたとき、改めて意識するようになった。
 一点豪華主義とは、その名の通り、余計なものにお金は極力使わず、その代わり何かひとつのものへの投資、出費を躊躇わないという考え方である。例えばそれが”食”であるとしたら、毎日の食事を安いチェーン店などで済ますのではなく、ちょっと”良い”お店で食事をしたり、家で料理をする時に使う食材を、ほんの少し”良い”ものに拘ってみる、といった具合。
 私の一点豪華主義は何かと問われたら、例に示した通りそれは『食』だと思う。そう思いたい。

 豪華、といっても私が食にかける金額は、目を張るほど多い訳では無い。生憎私は未だ未だ一人前の稼ぎがある社会人とは言えない。とはいえ、これでも一般的な人が食に費やす金額よりは多い、と思いたいのだが...。

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 ”豪華”という言葉が指す内容が必ずしも金額に左右されるわけではないと思う。何をもって豪華とするかは個人の自由ではないか。

 たとえば「時間」。お店に行くのに使った時間、企業勤めであれば休んでまで行った場合とか、山奥のレストランにわざわざ赴いたとか。食べるまでにか費やした時間。これが手料理の場合ならば、使用した食材の総額や調理にかかった時間など。
 実際にかかった金額が安価であろうと、それまでの労力を考えればそれは十分”豪華”だと思う。『貧しくとも心豊か』の精神。

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 いつもより桁のひとつ多い駅弁、そして安い缶チューハイ。果たしてこれは、豪華といえる...のだろうか?

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