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未完成婚で母になる!?#03 未完成婚は未完成なのか?

未完成婚で母になる!?


これをタイトルにしたからには、早いうちに絶対に書かなければいけないことがある。

それは、

「未完成婚…婚姻関係にある夫婦の間に結婚後一定期間以上を経ても、膣性交(膣への陰茎の挿入を伴う性交)が一度もない状態」

は、未完成な結婚なのか?
膣性交ができたら、夫婦が完成したと言えるのか?

ということだ。

賛否両論あると思うし、不快に思う方もいらっしゃるかもしれないが、私の率直な思いと今の考えを書いてみようと思う。



「この状況は、いったい何なのだ…!?」

どうにもこうにも進展していかない、私と夫の身体的距離に不安を感じて、夜な夜な検索を始めたのは結婚して一緒に暮らし始めてから、1ヶ月と少しが経った頃だ。

「LGBTQIA+」「アロマンティック」「アセクシュアル」「未完成婚」

検索結果には、自分には関係ないと思っていた言葉や未知の言葉が並んだ。

なんだこれは、なんだこれは

なんだこれは!?


どんどん目が冴えていく。
これから、私はどうしたらいいのか…
この結婚は、間違いだったのだろうか…
夫のことが、わからない……

未完成婚という言葉を、最初に目にしたときにまず思ったのは
「あぁーー!!!まさに!これこれ!この状況なんよ!」と、まずは言葉で定義されていたことに安堵した。

言葉で定義されてるってことは、こんな事例が他にもあるってことだから。

「自分だけじゃない、こんな夫婦が他にもいるんだ」そう思うだけで、孤独感が少しだけ減った。

それと同時に、激しく思ったことがある。

「ほら!!性行為がない夫婦は未完成ってことなんじゃん!夫婦には、性行為があって当然でしょう?私は何も間違ってない!私の方が正しいわ!」

未完成婚、未完成婚な結婚

その「未完成」という言葉に「よくぞ言ってくれた!我が意を得たり!」と満足し、拍手喝采を送った。
「未完成」という言葉を味方につけて、自分の正当性が証明された!と思った。


この「未完成婚」という言葉を傘に着て、私はさらに夫に迫った。

私たちは、普通じゃない。
というか…あなたは、普通じゃないと…

ハッキリ言葉にしたか記憶は曖昧だが、言ってしまっていたかもしれない…

今思うと、最低だ。



この「未完成婚」という言葉は、セックスができる側、したいと思う側が作った言葉なんだと推測してる。

「未完成」という言葉に、私が抱いたまさにその感情、「ほ〜ら!性行為のない夫婦は未完成なんだから!性行為したいと思わない、あなたがおかしいんだから!」が見え隠れしてる気がした。

他人から「あなたたち夫婦は未完成だ」と、言われている気もする。


当初は、したいのにできない自分の悲しみや怒り、苛立ち、焦りが渦巻いて、本当に自分のことしか見えていなかった。
夫の立場に立って考えることが、まったくできていなかった。

夫の気持ちを知りたいと、切望していたにも関わらず…

前よりも少し視野が広がった今、反対側からこの「未完成婚」という言葉を見ると、けっこうしんどい言葉だな…と思うようになった。

恋愛感情ではないけれど、大切に思っている
好きという感情はあるけれど、性行為をしたいとは思わない

パートナーを想う気持ちが確かなのだとしたら、「あなたが性行為を受け入れないせいで、結婚が未完成なんだから!」と言われるのは、かなり辛いだろう。

相手からの恋愛感情に応えられない、
相手の性的欲求を受け入れることができない、
そのことに罪悪感を感じる方だったらなおさらだ。

アロマンティックやアセクシュアルの要素がない私が代弁することは決してできないし、今もまだ理解できていないと思うのだが…

言葉を定義する、その過程に優位性が潜むことを、初めて身を持って知った。
たった1つのその単語の背後に、上下関係のようなものが存在している……

ぞくっとした。



私が未完成婚に悩んで、何度も何度も読んだのが、クリオネさんのnoteだった。

クリオネさんは、「未完成婚」ではなく「プラトニック婚」という言葉を提案していらっしゃる。

なるほどな〜!と思った。「プラトニック婚」
リンク先にある「共生婚」

これらの言葉なら、誰も傷つけずにすむ気がする。
トゲを感じない、優しい言葉だ。
他人にどう言われようと関係ない、自分たちがこの結婚の形を選んだんだ、という意志も感じる。

でも………私は違うのだ。

「性行為のない結婚」を自ら選んだことはない。

夫の性格を知っても、アロマアセクという定義を知っても、「夫といつかしたい、できたらいいな、ってゆーかいつか絶対できる」と思っている。

私のエゴ、価値観の押し付け、と言われるかもしれない。

しかし、「夫婦間でセックスをしたい」と思う私にとって、「夫婦間にセックスは必要ない」と言われ、その状況にずっと置かれることは、価値観を押し付けられていることに他ならない。

価値観が完全に一致する夫婦はいない。
だから、話し合いを重ね、価値観をすり合わし、ときには衝突しながら、どうにかしてお互いの妥協点を探り合って、共に歩んでいくんだろう。

それは、夫婦間で発生する恒例行事だ。
私たちの場合は、たまたまそれが「性」と「恋愛感情」にあっただけなのかな、と…

そう思うと、だいぶ気が楽になった。

まだまだ、私たちはお互いのことがわかっていない。
お見合いのスピード結婚、両家顔合わせまでに10回会ったっけ?って感じだ。

そりゃあ〜お互いわかんなくて、当たり前だわ笑

私たちは、「未完成夫婦」だ。

「未完成」だから、伸びしろしかない。
未知の部分がたくさんある。
可能性は無限大だ。


そもそも、完成した夫婦っているの?
完成した夫婦って言うからには、夫も妻もそれぞれ完成した人間なの?
夫婦が完成するって、どんな状況?

永久に、未完成夫婦な気がするんだけど……笑

「性」と「恋愛感情」に大きな違いがある私たちだけど、一緒に生きていくことをもう一度決めたのだから、歩み寄っていくしかないだろう。

少しずつ、少しずつ…ね。



こうして、色々考えて考えて、私たちの状況は「未完成夫婦」なのかなって思うんだけど、タイトルには「未完成婚」を使うことにした。

私のように、夫婦間に性行為がないことで不安になった誰かが「この状況はなんだ!?」と検索するとしたら、使うワードは「未完成婚」だろう。

そのときに、私のnoteが検索に引っかかり、「あぁ、こんな人がいたんだ。こういう考えもあるんだ。」って思ってもらえたらいいなぁって…

今の私が使う「未完成婚」の言葉には、以前抱いていたような嫌味も圧力も蔑みもない。

未完成でいいじゃないか。
未完成だから、伸びしろしかないんだ。
未完成だから、この先わからなくて楽しいんじゃないか。

未完成夫婦で上等だ。


きっと夫婦の数だけ、結婚の形があるんだ。


2024.10.25 追記

#自分語りは楽しいぞ  の企画に参加してみました!

たまに、暗くなって考えてしまうことがあるので、この楽しいぞ!っていう、言葉の力に後押しされたい気持ちが出てきて…

悩んだ末に期限ギリギリ最終日に参加することにしました!
よろしくお願いします!


画像:小林清親「隅田川夜」(1881)の一部

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