ガムランの極意 Ψ ♾ 魔法の絨毯が離陸する No.55
つくづく思うのは、バリ島のガムラン音楽は空飛ぶ魔法の絨毯のようだ、・・・というお話です。
ガムラン音楽は西洋音楽とは違い、楽譜などには金輪際書き表すことが出来ません。
実際にバリ人が楽譜を書いているのを見たことがありませんし、ま、外国人がムリムリ約束ごとの記号として書き出すことは出来たとしても、そこにはガムランのガの字も含めることは出来ないと思います。
なぜなら、ガムランには一瞬一瞬先の読めない生きたエネルギーが通っているからです。
それはあたかも何千羽もの鳥たちがまるで全体で一つの生き物であるかのように群れを成し、一糸乱れず、しかも変幻自在に形を変えながら滑らかに飛んでゆく、そんなえも言われぬ美しい姿にも似ています。
群れを統率しているのは、一体どの鳥なの?
いいえ、鳥の群れにリーダーは居ません。
例えば一つの楽曲の背後に、演奏者全員の心を掴んで思うがままに飛翔させようとする大きな意志の力が働いているかのように。
数十人ものガムランオーケストラが指揮者も居ないのに、たった一つの呼吸で動く様は見事としか言いようがありません。
確かに全体の中でバンマス的役割を担う太鼓奏者に対し、演奏者は目と耳と毛穴まで全開で信号のやり取りに全神経を集中させています。が、そのバンマスとて、踊り手や、その背後に張り巡らされた大きな意志の網目に動かされているのです。
この気配を読み合う緻密な網目の中で、もしも演奏中に誰かが心を閉ざして自分だけの世界に入ってしまったとしたら、途端に網は歪んでバラバラになり、失速してしまうでしょう。
とは言え、そもそもバリ人の場合にはガムラン因子がDNAに組み込まれていますので、そんな事は滅多に起こり得ませんがw。
それから、グループの中に一人か二人、並外れて見えない意志と強力に繋がっている者がいれば、全員を引っ張って行けるのだとも聞いたことがあります。
あわよくばメンバーのみならず、その近くに居合わせたら魔法の絨毯に乗せて貰えるかもしれません。
ぶっちゃけ例えば私が一丁前に演奏出来る振りしてw素晴らしいガムラングループの中に紛れ込んだとして(バリ島での修行中にはそんな幸運を稀に味わったものですが😍)、それでも絨毯が離陸するのを邪魔さえしなければ、周りの鳥達の羽ばたきに助けられて一緒に飛べちゃったりするのです!
そして分かるのです。
Aha・・・、なんてこった‼️
ウーム、そーゆーことかぁ‼️‼️
この飛行体験はあまりにもブッ飛んで気持ちが良すぎ、正直言ってヤ、ヤヴァい😅💦です。
ただでさえガムランの青銅打楽器には倍音成分が大量に含まれ、大音響と一緒に重低音から高周波まで耳には聞こえない音波を浴びまくりで、ふと気がつくと、温泉♨️?にでも浸かったか、全身リラクゼーションスパ後のようなフワフワ状態になりますから。
ガムランオーケストラの間近に身を置くということは、音楽を「鑑賞する」などという生やさしいものではありません。
うぁっ、耳だけじゃなくて、皮膚や頭蓋骨を通り抜けて、音の波🌊が直接身体の中まで入って来ちゃう! ど、ど、どーしよーーー、ってな感じで焦ることもしばしばです。💦
バリ島で音の魔法使いの弟子となり、そんなアブナイ経験を何度も重ねるうちに、とうとう抜き差しならぬことになってしまいました。(笑)
ガムランの魔法が発動するか、しないか、
それはこの音の波に自分を100%委ねられるかどうか、すべてはそこに掛かっている、と私は思うのです。
そのためには身体が思考を介さずに大きな意志通りに動いてくれるように準備しておかなくてはなりません。
あれ? 気づいたら撥が勝手に動いていた?
あ〜ぁ〜、跳ねるように踊る撥に皆んな一緒に引っ張られて行く〜〜
"思考を介さず" が絶対条件と言っても良いほど、超個我の大いなる意志のリクエストに応えられるように日常の稽古で基礎的な身体訓練を積み、明け渡す瞬間のために備えるのです。
これがバリ島伝統芸能のグルたちが口を揃えて言う「自分がそこに居るうちはまだまだ」「神が降りて来るための器となる」ことこそが重要だ、というわけです。
あ、でも、ちょっと待ってよ。
実際にバリ人が演奏している様子からは、そんな大それた思いでいちいち演奏に取り組んでいるようにはとても見えないのですが。
あれは、どう言ったらいいか・・・
目はどこか上の空で、手は人間技とも思えない殆ど痙攣と言えるほどの超高速で撥を振り、それでいて思いっきり力の抜けたある種の職人的痴呆状態? みたいな??(笑)
それでも寸分の狂いもなく、しかも自在に伸び縮みする音の刻みにすべてお任せの自動操縦モード?
あれって研ぎ澄まされた精神集中の臨界点で起こる究極のリラックス状態なのでしょうか?
いわゆる "ゾーンに入る" ってヤツですか?
もしかすると彼らは音が鳴り始めた途端、一瞬でスローα波出まくりの深〜い瞑想状態に入れる達人なのかもしれません。
「ノリコが日本に帰ってグループを結成する時には "Kesuma Sari" という名前でやりなさい。」
ある日、バリ島の今は亡き師匠が楽器の建屋で、ふと手を止めて遠い目で言いました。
その頃には自分がガムラングループを結成するなどとは夢にも思っていませんでしたが、師匠から頂いた名前で日本で演奏活動を始めて早20年以上にもなります。
"グンデルワヤン" と呼ばれるバリヒンドゥーの儀式には欠かせない古くから伝わる鍵盤楽器を中心とする少人数編成のユニットですが、これがやればやるほど難しく、果てしなく奥の深い不思議な魅力に溢れる楽器なのです。
それが面白いことに、私からメンバーを募った覚えはなく、師匠が先代から大切にしてきたという由緒ある楽器のセットを譲り受け、それを日本に持ち帰って間もなく、どこからともなく集まって何となく音を鳴らし始め、いつの間にか自然発生的にグループになっていた😍💓、おそらく楽器に呼ばれたご縁のある魂たちなのでしょう。
この "クスモ・サリ" という言葉は古代ジャワ語で
"クスモ" =花、
"サリ" =芯、
で、 "花の中心" という意味があります。
一人一人が花びら一枚一枚のように中心で一つに束ねられ、
大きな意志の力で一輪の花が咲く・・・
時が経つほどに、なんとも美しく深い名前を頂いたものだと感謝。🙏
長年一緒に演奏してくれているメンバー、常に刺激と創作の起爆剤を与え続けてくれる踊り手の方々、天から新しい旋律を届けてくださるガムランの神さま、それに私たちには勿体ないほど美しい音色の楽器とのめぐり合わせにも、心から感謝。🙏
美しい名前や音色やご縁に相応しくなれるよう、精進せねば💦💦
星も、果実も、旋律も、人生も、この世のありとあらゆる花びらは、中心の一点へと収約し、万物流転のトーラスの流れをめぐっています。
私たちを導いてくれる大きな意志も、創造の一点を通ってやって来ます。
この大いなる意志と一つになって溢れる至福と歓びを皆んなと分かち合いたいばっかりに、小さな私は今日も一点ゼロポイントに想いを馳せながら、こんな風に記事を書いたり、無心に鍵盤を叩いたりしています。🥰💖
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木倶知のりこ 著書:●絵本『小箱のなかのビッグバン』 *・* ・*●『ナム "RNAM" 時空を超える光と水の旅』