軽やかな日々とサボテン
ある日、唐突にサボテンを家に迎えることになった。
はや一ヶ月は経っただろうか。今では、朝にカレンダーと天気予報を見つめ水やりのペースを思案することが日常に変わりつつある。印象深いヘルシーな緑色を纏い、ささやかな針がトレードマークの彼(彼女)の名前はテンさん。
「なにか形が楽しそうでテンさんがいいと思った」と軽やかに言った相方さん(彼女)が、サボテンを抱えて帰ってきたのには訳があって ”1600年代のトルコではプロポーズの際にサボテンを贈る習慣があった" とネットで見かけたからだった。
プロポーズと呼ぶにはムードもタイミングも無くて、アレの表象としてテンさんが在ると言われると気恥ずかしくなるし、少し申し訳なくなる。同じ理由で詳細や馴れ初めについては割愛したい。”成就した恋ほど語るに値しないものはない。” と好きな小説にも書いてあった。
ただ、テンさんが家に来てからというもの、生活に張りが出ているのも事実で、元来自堕落な生活を貪っていた僕の習性にも「気にすべきものがある」という視点が加わったことで、毎日を楽しむエッセンスが少し増えたのだ。
「人間は究極的にはどこまで行っても孤独」と能天気でいたのもあって海外旅行のドミトリーでも、友人と連泊していた/されてた時も、同棲が始まった時も話に聞くほど苦にしなかった僕だった。それでも日々、日当たりのいい窓際、スペースの広いキッチンカウンター、観葉植物の傍ら、本棚の上と動かされているテンさんを意識すると、相方さんの機嫌に直結するわけではないけれど面白いし、僕も愛でて意識していかないとなと思う。
とは言っても、サボテンであるテンさんは器が大きいので、繊細に扱わなくてもある程度は受け入れてくれるというのがまた嬉しく、微笑ましい。
この文章を書こう、と思いついた時にユーミンの ”やさしさに包まれたなら” が頭の中にリフレインしていて、サボテンと歌1つで、歌詞の様に神さまが見守っていてくれているような多幸感に包まれているから人間なんて単純だ。「今を幸せに感じていれば最強」ということなのもしれない。
そんなに劇的な人生でもないし、きっと結婚しても今の生活と大きく変わるわけではないけれども、形が楽しそうなサボテンこと、テンさんがいれば不思議に夢を叶えてくれたり、愛を届けてくれたりするのかもしれない。
マンガと小説とアニメに溺れた生活。おともはコンビニで売ってる焼きプリンとコーヒーで充分。金はほしい。そんな日々です。