おばあちゃん
今日、銭湯で起きた出来事だ。
わたしは塩サウナに入った。
塩サウナとは、塩を体に塗りたくって入るサウナのことで、塩を塗りたくると、体から死ぬほど汗が出てくる。
わたしは、塩サウナに入ったことはあったけれど、今日行ったのは初めて行く銭湯で、そこの銭湯の塩サウナの流れとか、仕組みとかは、よくわからなかった。
まあ、とりあえず塩を体に塗って座ればいいだろう。
わたしが塩サウナ室に入ると、一人、おばあちゃんが座っていた。
わたしは山盛りに置いてある塩を両手で掬い、とりあえずおばあちゃんの向かい側に座った。
よし、塩を塗ろう、と塩を体に塗り始めた時だ。
「お尻熱いでしょ?マットあるから敷きな〜」と、おばあちゃんが声をかけてきてくれた。
わたしはマットの存在に全く気づかず座り、「お尻熱いな…まあこんなもんか」となっていた所だったので、素直に、「あ、マットあったんだ。ありがとうございます」と言ってマットを取りに立った。
マットを取り、自分のいた場所に敷くと、今度はおばあちゃんが「背中に塗ってあげようか」と言い、山盛りの塩を掬い、わたしの背中に塗った。
「え、ありがとうございますー!」
「若いね〜。もう私なんか歳とっちゃったから」
「いやいや…」
「いや、ほんとのことよ〜」
そんな言葉を交わしながら、わたしは背中に塩を塗られていた。
とは言え、わたしは人と話すことが本当に苦手で、何よりも避けたいことなので、その会話もとても緊張した。
一人で銭湯を楽しむつもりが、思いがけないところでコミュニケーションを取らなければならなくなってしまった…
いつサウナから出よう。せっかく塩塗ってもらったんだから、すぐ出ちゃったらなんか失礼というか申し訳ないよね。てか、出るときに改めて「ありがとうございました〜」とか言った方がいいかな?え、わかんない。どうしよう、いつ出よう。
そんなことをグルグル考えながら、サウナ室の中にあるテレビを見ていた。
暫くすると、一人のおばあちゃんが入ってきた。そのおばあちゃんは、わたしに塩を塗ってくれたおばあちゃんの友達?だったようで、2人で話し始めた。
よし、今だ!と、わたしは何も言わず、サウナを出た。
わたしはサウナハット(にしているタオル素材のキャップ)を着けていた。
サウナから出ると、サウナハットを取って、あらかじめ外しておいていた眼鏡をかけた。
ふふん、これでもうあのおばあちゃんは、わたしのことをわたしだと認識できないだろう。また会っても、もう話しかけられることはない。
そう思い、お風呂を楽しんでいた。
決して、おばあちゃんのことが嫌なわけではない。
「人と話すこと」が嫌なだけなのだ。
しかし、事件は起きた。
わたしが高濃度炭酸泉に入っていると、わたしに塩を塗ってくれたおばあちゃんが入ってきた。
最初こそ、そのおばあちゃんだとわからなかったが、またしても声をかけられ、そこでやっと気づいた。
「炭酸出てる〜?」
「え?…(確認して)出てます、出てます」
「こっち全然出てなくて!なんか今日弱いね〜、温度も高くなったし」
「そうなんですか?」
「そう、多分ね、季節によって温度変えてるのよ」
「ああ、最近寒いですもんね」
「ね〜」
なんで?!サウナハットも外したし、眼鏡もかけて完全にわたしだとはわからないようにしたのに。なんでまた話しかけてきた?!
わたしのことを、さっき塩を塗ってあげた子だとちゃんと認識していて話しかけてきたのか、認識してないけどおばあちゃんは誰にでも話しかけるタイプの人で、偶然話しかけたのがまたわたしだったのか、それはわからない。
けど、とにかく、また気まずい時間になった。
隣におばあちゃんがいる。
どうしよう、うわ、出れない。なんか言って出た方がいいかな?無言で出ていいかな?わかんない、出れない。
早くおばあちゃん出てくれ〜〜と思いながら、お風呂に浸かっていた。
おばあちゃんが出ると、わたしも出た。
そして、夫との集合の時間まで、まだ時間があったが、これ以上いるとまた話しかけられる!!もう話しかけられたくない!!会っちゃいたくない!!と、もう上がることにした。
わたしは、おばあちゃんに話しかけられやすい。
Suicaのチャージの仕方がわからずに困っているおばあちゃんに話しかけられたこと。
車から降りてスーパーに向かっていたら「ちょっとお姉さん」と、宗教勧誘のおばあちゃんに話しかけられたこと。
道を歩いていたら、車沿いで、歩行者の道が狭くて怖いから、手を繋いで歩いてほしいとおばあちゃんに話しかけられたこと。(これはなんかわたしにしか見えない霊だったんか??と今では思っている。いや、そんなわけないと思うが。)
思い出すと本当に多い。
おばあちゃんだけでなく、変な人(男女問わず)に絡まれることも多い。
話しかけやすい雰囲気が出てるのかな。
気が弱そうに見えるのかな。
とにかくわたしは、きっとなんらかのオーラを持っているのだろう。
それに、わたしは、わたしに特別な力があると信じている。
話しかけられること。それは人との会話が苦手なわたしにとっては、正直苦痛だ。
でもその一方で、わたしに話しかけてくるおばあちゃんたちは、そんなわたしの特別な力をわかってくれているような、見てくれているような気がして、なんだか少し嬉しいというか、安心する。
今日も、背中に塩を塗ってくれる、おばあちゃんの手の温かさが、ごしごしと塗ってくれるしっかりとした手つきが、なんか、わたしを安心させた。
気、を送ってもらったような。そんな気持ちになった。
そしてなんとなく、ああ、わたしは将来こういうおばあちゃんになりたいなと、ふと思った。
わたしは、可愛いを信じている。
わたしにとって、歳をとることは、可愛さを失うことに他ならない。
なんの価値もない。なんの利益もない。それが、歳をとる、ということ。
だから日々、死にたいと戦っている。
おばあちゃんになったわたしなんて、想像できない。したことない。
いつだって、今日が最高だから。
いつだって、今が最悪だから。
あとは堕ちていくしかないから。
でも、それは違うのかもしれない。
歳を取ってもわたしは、歳を取ったわたしのことを、認められるわたしであるかもしれない。
今のわたしを、日々生きているわたしを、認められているわたしのように。
きっとわたしは、今のわたしが一番可愛いと、何日、何ヶ月、何年経っても言っているだろう。
言っていてくれ。
言っているようなお姉さんで、言っているようなおばあちゃんであってくれ。
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