優しい
わたしは、わたしを、優しいの皮を被った最低な人間だと思う。
わたしはひとと関わることが好きじゃない。
コミュニケーションが取れないわけではない。
ひとと関わるのが苦手だと言うと、「え、でも全然喋れてるじゃん」とか言われる。
わたしがひとと関わりたくないのは、どんなひとにも優しくしてしまうから。
好きな人にも、そうでない人にも、変わらず、わたしは優しい。
でも、本当にその人を想って優しくしてあげているわけじゃなくて
自分が傷つかないために、暴言吐かれたりとか暴力振るわれたりとかもっと言うと恨み買って後で殺されないようにとか、いろいろ考えて、結果ひとに優しく接している。
嬉しくもないのに、話しかけてくれてありがとうございましたとか、楽しくもないのに、楽しかったですとか、余計なことばっかり言っている。
それで、あっちから好意を持たれて、でもこっちは全然嫌いで、それがめんどくさくなって、ある日突然全ての連絡先をブロックして、その人との縁を切る。
わたしは、わたしの優しさをわたしのためだけに使いたくて
でも結果的に他人に使ってしまって
なんのために生きているのかわからなくなって、苦しみながら生きる、そういう人間だと思う。
「人に優しくする」それが、わたしが21年間生きてきて得た、自分が傷つけられないための、最高の手段だった。
自分がいちばん可愛い
ひとはみんなそうだと思う。わたしも例外なくそうだ。
なのに、わたしは今までひとのために生きてきた。
優しさを、ひとのために使いすぎた。
だからもう辞めたい。
わたしはわたしのためだけに生きたい。
ひとを傷つけてもいい、わたしが傷つかなければ。
ひとを殺してもいい、わたしがそうしたいなら。
わたしはわたしを守りたい。
わたしを大事にしてあげたい。
やりたくないことはやらない。
やりたいことだけやって生きる。
そうやってわたしは、わたしを、生きたい。
でも、わたしはそんな、優しいの皮を被った最低な人間ではないみたいだと、最近気づいた。
ひとが傷ついているのを見たら、それがわたしのせいだろうが他の何かのせいだろうが、わたしも傷ついてしまう。
ひとが喜んでいるのを見たら、それが知り合いだろうが誰だろうが、ああ良かったね〜って、嬉しい気持ちになってしまう。
わたしは、優しさに支配されてしまった人間じゃない。
きっとほんとうに優しい人間なんだ、わたしって。
今まで何度もいろんな場所でいろんな人に、理不尽に扱われてきた。
わたしの優しさを利用されてきた。
それでも、そんなわたしが、わたしは大事。
21年間頑張って作り上げてきたわたしだもん。
誰にも壊されたくない。
否定されたくない。
それだと生きづらいよーとか、わかってるけど、そんなの、わたしがいちばんわかってるけど、言われたくない。
変わったほうがいいよとか、思われたくない。
だってわたしって面白くて素敵な人間でしょう?
変えようとか辞めようとか、言われるのは悲しい。
わたしの必死に生きてきた21年間だから。
わたしがいつか、この生き方じゃ辛いなって思う日がくるかもしれない。
いや、もう何度もきてるけど。
見て見ぬふりしてるだけだけど。
でもそれでも、この不器用で生きづらいわたしが愛おしくて
わたしはこのわたしを手放さないであげようって、まだこのわたしを生きてあげようって、そう思って、今は生きている。
わからないよね、きっと。
わかってもらえないよね、こんなの。
でも、この文章を書いているのは、わたしのことを知ってほしいと思ったから。
ほんとうのわたしをわかってもらえるかもしれないと思ったから。
ひとに読んでもらいたくて、書いている。
口からはどうしても優しい言葉しか出ないから。
わたしなんて1ミリも出せそうにないから、こんな文章を、書いている。
こんな汚くて恥ずかしい気持ちばっかり抱えている歪んでるとかおかしいとか思われてそれで片付けられてしまいそうなわたしだけど、
今までわたしを独り占めしてきたわたしだけど、
こんなどうしようもないわたしを誰かにわかってもらって、わたしが抱えなきゃいけないわたしが少しでも軽くなってくれるなら。
そんな気持ちで、「ひとがこわい」を超えて、ひとを信じようとしている。
馬鹿かもしれない。
わたしがわたしに優しくなれること
それがわたしにとってのいちばんの愛で、人生だと思う。
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