21歳 2023年11月25日

わたしは医者から統合失調症の可能性があるって言われてる。でも信じてない。パーソナリティ障害の可能性もあるらしい。でもそれも信じてない。
わたしは、わたしは病気じゃないってずっと信じてる。5年前、うつ病だって言われたときからずっと、自分が精神疾患だなんて、1ミリも思っていない。かと言って、発達障害とか、ASDとか、障害があるとも思っていない。生きづらいのは、自分のせい。自分がそう生まれてしまって、そう生きてしまったから。
でも、統合失調症とか、うつ病とか、わたしのくだらない生きづらさに、正しくなくても名前がつくのならば、それは生きやすくなることではあって。だからきっと、病名を利用してる、わたし。ヘルプマーク付けて、いざという時助けてもらえるようにしたり、障害者手帳貰って、あー自分は障害者だから生きづらくて当然なんだ周りから支援されて当たり前なんだ、って、なんとなく自分を納得させて気を落ち着かせたり。こういうところ、わたしのこういうところが、本当にずるくて、本当に気持ち悪いと思う。死にたいとか思ってるくせに、でもきっと本当は思ってなくて、でもこのまま死ねたらって思う夜更けその気持ちは本物で、でも腕に死ぬにはほど遠いかすり傷みたいな傷なんかつくって自分で気持ち落ち着かせて生きるのに執着して、SNSで死にたいって呟くのもきっと誰かに助けてもらって生きていたいからで、全然死ねない2階から飛び降りようそれで死に損ねたみたいな形にしてどれだけ死にたかったかわかってもらった上で生きようって柵に足をかけたりしてて、でもちがくて、本当に死にたくて、でも、でも、でも、


わたしは赤ちゃんが欲しかった。赤ちゃんがいれば幸せになれると思った、とかじゃない。まったくそんなことは思っていない。むしろそんな、自分が幸せになりたいからとかいう理由で子どもを産む奴なんてその時点で毒親に決まってるし、本当に頭がおかしいどうかしてると思うし、軽蔑する。
わたしは今がいちばん幸せで、今がいちばん最高だって思ってる。旦那と一緒にいる今この一瞬一瞬が嬉しくて、楽しい。このユートピアを誰にも汚されたくない介入されたくない、台無しにされたくない、ずっと二人で生きていたい。
子どもなんてできたらこのユートピアはぶち壊される。確実に消されるってわかってる。それともなに?子どもができたらこれ以上の、最高の最高の、ユートピアができるっていうの?そんなはずない。そんなはずない、し、壊れるリスク背負ってまで子どもなんか産みたくない。
でもわたしは絶対に欲しかったんだ、赤ちゃん。
旦那とわたしの血が通った人間を見てみたかった。何を見て、何を感じて、何を考えて、何を喋るのか、知りたかった。わたしたちみたいな最高な人間同士の掛け合わせなんだから絶対最高におもしろい人間ができるに決まってる!っていう馬鹿みたいな、それこそ子どもみたいな考えだけど、そういう、親としてじゃなくて、ひとりの人間として、子どもを産んで、子どもと接するってことをしたかった。ほとんどの人は、幸せになるために子どもを産むはず。だから、この、わたしの感覚こそが、本当に「子どもを望んでいる」っていうことなんじゃないかな、とすら思っていた。でもわたしは排卵できない病気で、だから不妊治療のクリニックに通った。半年間。通っている期間中、何度も何度も、毎日毎日、子どもが欲しいっていう気持ちと、子どもなんていらないって気持ちの葛藤だった。死にたいなんて思ってる人が子どもなんかつくっちゃダメだよねとか、子どもは欲しいけど育てたいっていう気持ちはないから生まれてもちゃんと育てられないんじゃないかとか、何より、自分がいちばん大事の精神のままで生きることは変えたくないけどそれじゃ子どもに手回らないよねとか、でも生まれたら本当にかわいくて愛おしくて何よりも尊い存在だろうなとか、本当に色んなことがぐっちゃぐちゃに絡まって、夢を見て、想いを馳せては絶望して、そんな毎日だった。それでも痛い検査には耐えたし、毎日自己注射もしていた。でも全部ダメで、もう体外受精しかないってなって、なんか、心が折れてしまった。だから、不妊治療をやめた。
やめてよかったとか、やめなきゃよかったとかは思わない。どちらにせよ幸せな人生が待っていたと思う。わたしが幸せな人生にしていたと思う。でも、だから、身内の妊娠で、マタニティフォトとか、エコー画像とか、毎日の入院記録とか、そういうものが目に入ってくるのは、眩しすぎて、痛かった。わたしだって、本当に欲しくて欲しくてたまらないって気持ちで、手に入るのなら何でもするって気持ちで、まだこの世に存在してない命に身を削って、毎日お腹に針を刺していたから。


わたしは舞佳って名前を付けられて生まれた。
「安田舞佳」、結婚してからは「谷舞佳」。
わたしは自分の名前が好きだ。
どっちも好きだけど、やっぱり大好きなのは、谷舞佳かな。大好きで大切で、初めて、わたしの身を代えてでも助けたいって思えた人の苗字だから。全く助けてあげられてないけど。助けられてばっかりだけど。わたしに全部をくれたひと。だからわたしも全部あげるって、決めた。
まいか、って、たくさんの人に呼ばれてきた。ていうか、「まいか」って、脳内で再生すると、絶対旦那の声で再生される。もう何回呼ばれてきたんだろ。
劇団とか大学とかでは、まいまいって呼んでもらってた。まいまいって呼んでください!って言って、その言葉を、わたしを信じてもらって、たくさん、いろんな場所で呼んでもらった。嬉しかったな。
舞佳の舞は、舞台の舞なの、それも好き。
わたしは舞台がだいすきで、だいすきって言葉で片付けちゃ失礼なくらい、舞台に、芝居に、振り回されて導かれて、ここまできた。
芝居をやってなかったら、旦那にはもちろん、たくさんの大切に出会えてなかった。
今はもうやってないけど、死にたがりのわたしが、芝居するために生きてるって、そう言えるくらい大事なものだった。


わたしは自殺するとき絶対に生配信する、そう決めている。
みんな思うことだろうけど、それでも、わたしだって生きた証を残したい。わたしの死なんて本当にちっぽけでなんの意味もない。それはわかってる。しかも、わたしが死ぬそのときのそんな映像そんな音声は生きた証でもなんでもない、きっと。何もない日の普通の空で、どっかの雑居ビルの屋上で、ただ泣きながら何か喚いてる大人の女が映っていて、それは少女ではなくて、でもまあ可愛らしい格好で、していたであろうメイクもぐっちゃぐちゃに泣いているからもうわかんなくて、最期の言葉みたいなことを言いながらもずっと翔べずにいる。そんなつまらないありきたりな作品でわたしの21年間が、最低で幸せなわたしの人生が伝わるわけない届くわけない。むしろ伝わられちゃ困るんだよわたしはずっとわたしを抱えて生きてきた、他の人よりも重くて柔らかくて力入れたらすぐ曲がっちゃうすぐ凹んじゃうから複雑な形してて持ちづらくて傷だらけで。それがたかが映像でわかるようになんてそんな器用に生きてきてないよ、死ぬその瞬間までその生き方その自分手放したりなんかできないよ、だってもうわたしだもん手放すとか手放さないとかじゃなくてわたしの一部なんだ認めたくないけどそうなんだ、こんな醜いわたしをわかられてたまるか。何度も手放そうとして手放す方法が死ぬことなんだってやっと受け入れてやっと捨てられるやっと変われるって希望を信じてわたしは死ぬんだ。でもその瞬間すらもわたしはきっと大丈夫だよってなんでもないよってヘラヘラして笑うんだひとに見られてるとひとに伝えようって思うと冷静なフリしちゃう冷静になっちゃうぐっちゃぐちゃに泣きたいのに泣き喚いてわたしをすべて曝け出したいのにぜーんぶ守ったまま抱えたままで誰にも見られず誰にも知られずこの陳腐なシナリオすらもできずに終わるんだわたしの人生


何者かになりたかったな

なれんかった。


わたしは後悔をしない。後悔をしないと決めているわけではない。悔しいって思うことはある、でも、後悔をする、という感覚はよくわからない。
だって全部その時の自分がいちばんいいって思ったものじゃん、その時の自分は、今の自分を信じるぞって、今の自分を裏切らないぞって決めて、その上で今いちばんだって感じたもののことすらも信じるわけじゃん。信じるってそれだけ重たいものでしょ?その重たいもの背負うって決めてここまで背負ってくれた自分を責めるなんてあまりにも酷い、そこまで自分を可哀想にしてくれなくていいんだようー、そんな自傷行為はいらないよ。


手首の傷、脚の傷、これはいっぱい傷ついていっぱい泣いて、いっぱい頑張って生きてきた証なんだ、ってよくいうけど、そんなもんじゃない。これはわたしがわたしを殺した傷。わたしがわたしを傷つけた、それだけの、傷。何も汚されることじゃない。けど、誇れることでもない。


こんな平凡な文章しか書けない自分に本当に腹が立つ。悔しい。悔しい。わたしの21年間はこんなものだったのかって。
わたしの21年間、映像なんかで伝わるわけない伝わってたまるかって書いたけど、わたしは、言葉では伝わってほしいって思ってる。ほら、伝わってほしいんじゃん、誰かにわかってもらいたいんじゃん受け入れてもらいたいんじゃん認めてもらいたいんじゃん助けてもらいたいんじゃん生きたいんじゃん
わたしは文章を信じてる。言葉を信じてる。
それがわたしを生かしてきたから。それがわたしを殺してきたから。だからみんなに、その価値を思い知らせてやるんだ。お前が弱いだけだとかお前がネガティブなだけだとか言わせない。言葉の力に負けたんです、言葉が強すぎるんですって、ずっとずっとそれを証明したかったんだ。証明したくて、誰にも見られない言葉を、可哀想で惨めでキモくてグロくて恥ずかしい感情たちを、拾い集めて、こうしてここで紡いできたんだ。


わたしはずっと、何かを信じて生きてきた。今だってきっと信じてる。この文章がこの言葉が、誰かに刺さってくれること。

痛くなってほしい。
でも傷にならないで。
この言葉は、わたしがわたしのために産んだ言葉だから。

遺さないで。
わたしの武器を、唯一の弱さを、奪わないで





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