つがい
わたしの夫は、冷たい人だと思う。
夫に出会ってから今まで、わたしはずっと、夫を冷たい人だと思っている。
でも、嫌な冷たさじゃなくて。
誰かを傷つけるような冷たさじゃなくて。
必要のない優しさは与えない。
必要な時にだけ、優しさを与えてくれる。
「優しさの無駄遣いをしない人」だと思う。
一方で、わたしは、「優しさの無駄遣いをする人」だと思う。
人に傷つけられることを恐れて、人に極度に優しく接してしまう。
「わたしの優しい」は、自分を削って、その空いた穴に、誰かを入れてあげるような
自傷的で、自分が損するものだ。
でも、「夫の優しい」は、
いや、「普通の人の優しい」は、
自分を削らず、あるがままの自分の形の上に、誰かを乗っけてあげるような
誰も損しない
そういうものなんだと思う。
夫は、優しさのコントロールができる。
付き合って暫く経ったある日、夫が、何故かやたら優しい日があった。
「なんか今日優しいね、なんで?」と聞くと、
夫は、「他人にはそこまで優しくするべきじゃないと思っていたけれど、舞佳には優しくすればするほどいいってことがわかったから」みたいなことを言っていたような気がする。
そして、夫は、すべての人を平等に、対等に見ている。
他人を上に見たり、下に見たりしない。
他人に期待したり、諦めたりしない。
そんなところが、冷たい。
わたしの夫は、中立な人だと思う。
外食先で、自分の頼んだメニューが中々こなくて、結果、作り忘れられていたことが判明しても、「大丈夫です〜」って感じで済ませる。
わたしは、正当に怒ってほしいと思う。
夫は何も悪くないのに、損をさせられたのだから。
でも、夫は、本当に何も思ってなさそうにしている。
ミスなんて誰にでもあるし、自分が責める権利なんてない、って、本当に思ってる。多分。
わたしの夫は、他人の目を気にしない人だと思う。
出会った時から、夫は、他人に嫌われないようにしようとか、他人に愛想を振りまこうとか、そんな素振りを一切見せなかった。
むしろ、夫は、いつも夫であった。
どんな時も、誰にでも、夫はそのままの自分を使った。
「たにしょーさんだから」
これが夫の言動・行動全ての理由として成り立っていた。
ある日、夫は自分でも言っていた。
「自分はこんな自分で良かったと思う。たにしょーだから、で認められるような自分で。そういうふうに生きれる自分で。」
そんな感じのこと。
でも、わたしと出会う前の夫は、自分のブログでこんなことを綴っていた。
「嫌われたらどうしよう、気持ち悪がられたらどうしよう、と不安」
「他人の目を気にしすぎなんだよな、ほんと。」
わたしは、夫を、いつも他人のことを気にせずに振る舞える、すごい人だと思っていた。
夫には独特の世界観があって、夫は、夫の「冷たさ」で、色んな人をその中に入れてくれて、
どんな異色な世界でも、「まあ、たにしょーだからな」で、すべてを信じさせてしまう。
そんな能力のある夫。
わたしは、夫を尊敬している。
だからこそわたしは、そんな夫でも、他人の目を気にすることがあったのか、と、信じられない気持ちでいる。
今になって、わたしがこのブログのことを話すと、「なんでそんなこと思っていたんだろうね」と言っていたので、夫は変わったのかもしれない。
わたしの夫は、慎重な人だと思う。
同じ職場で働いていた時なんかはよく思ったが、夫は、やたら確認をする。
何かし忘れていることがないか、何度も何度も、うざいほど確認をする。
そのくせ、絶対何か忘れている。
そういう抜けているところがある。
わたしが機嫌を損ねると、何も喋らなくなる。
多分、それは、自分の発する言葉の重みをわかっているから。
言葉の価値を知っているから。
わたしの夫は、自分の感情をコントロールすることが上手な人だと思う。
わたしに対して、怒ったことなんかない。
感情的になったこともない。
きっとそれが、わたしと付き合う上で必要な、自分の振る舞いだとわかっているから。
だけど本当に、本当に感情に任せて言葉を使うことがない。
だから喧嘩も、喧嘩にならない。いつもわたしが一方的にキレ散らかして、夫が謝ったり慰めたりする。
わたしの夫は、わたしを、熱い人だと言う。
わたしは、わたしのことを「熱い」と思ったことがない。
むしろ自分は冷たい人間だと、ずっと思っていた。
4年前、初めて舞台のオーディションを受けるとき、募集要項の「熱い人募集!」の文字を見て、「全然熱くないけど、」と思いながら、「熱い人間です」とPR欄に記入したのを、今でも覚えている。
わたしは人が好きじゃないし、ポジティブでもないし。
でも、夫の言う「熱い」はきっとそういう意味ではないのだろう。
一生懸命に生きている、とか、命を削って生きている、とか。
そういう意味で、夫はわたしのことを、熱いと言うのだろう。
わたしは、冷たい夫を、心から尊敬していて、素晴らしい人間だと思っていて、信じていて、信頼していて、助けたいと思っていて、死にたい夜も生きたい朝も手を繋いでいてほしくて、つらいね苦しいね最悪だねって笑い合いたくて、世界中のどこを探してもこれ以上ないって、日本中すら探していないのにそう言い切れるほど、愛している。
熱いわたしは、氷のような夫に惹かれ、
冷たい夫は、炎のようなわたしに惹かれている。
わたしたちはきっと、それで、成り立っている。
支え合うというより、吹かれあって、隣に存在を感じながら、生きている。
わたしは、わたしの炎を、熱すぎる炎を、わたしの思うままに燃えさせてくれて、それを一緒に溶けながら見守ってくれて
燃え上がって危ないときにも変わらず自分を溶かしてわたしを守ってくれる
そんな夫に、感謝していて、幸せで笑っていてほしくて、幸せじゃないときは大声で泣いてほしい。
わたしが炎に魅せられているとき
氷は隣で溶けていく。
わたしが炎に殺されそうなとき
氷は包み込んでくれる。
夫は、翔ちゃんは、今、わたしと一緒に、最低で、幸せな毎日を、生きている。
夫とまだ付き合い始めたばかりの頃、わたしたちはこんなことを言っていた。
「ひとつになりたくないよね。お互いそれぞれひとりで、一緒にいたいよね」
炎と氷のわたしたちは、ひとつになんてなっていない。
ひとつになんかなれない。
炎が尽きるとき
きっと氷も溶けきってしまうだろう。
氷が溶けきってしまうとき
炎は自分をも燃やしてしまうだろう。
灰になって、水になって、
わたしたちがどう生きてたかなんて誰にもわからなくなっちゃって、
この痛みがどれだけ優しいものだったかの言葉も見つけられないままで、
この苦しみが幸せなものだった証明もぜんぶぜんぶ消えちゃって、
わたしたちが一緒だったって言える軌跡が失くなってしまう
それでもわたしたちは、これからもずっと隣で、ずっとひとりで生きていく
ひとりぼっちで生きていく
ただひとりに魅せられて
あたたかい炎に揺られながら
つめたい氷に癒されながら
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