ゆめのくに
うちにはたくさんの家族がいる。でもわたし1人でいる時には喋らないし動かない。旦那1人でいる時もきっと喋っていないし動いてもいない。でも大切で、だいすき。わたしたち2人でいる時は、みんなおしゃべりで、元気で、可愛くて、きっとわたしたち2人ともがいない時も、楽しくわちゃわちゃやっている。わたしはわかりにくい文章を書くことがとても苦手で、いや、わたしを知らない人間がわたしの文章を読んだら意味不明に感じるのかもしれないけれど、とにかく、わたしにとっては、わたしは意味不明な文章を書けていない。それは結局、誰かにわかってほしいとか認められたいとか、そんなありきたりなクソダサい感情があるから、っていうだけの理由だと思う。そう思うと自分ってほんとうに何もない当たり前の人間だなと思えてくる。当たり前が当たり前にできない人間なのに、当たり前の人間でしかないんだ、わたしは。当たり前じゃない人間でいたいのか?そりゃそうだよ、だってわたしはおかしいもん、病気とかいう言葉で片付けられないくらいなんかおかしい、でもそれは特別「良い」って意味のおかしいだって、昔は思ってた、小さい頃は、でも今は普通に、特別「悪い」って意味のおかしいだよなって思う。思わされることばかりだ。毎日たくさんの薬を飲んで、それでも死にたいを繰り返して、このままずっと生きていくのかなと思うと不安で、でもその反面、そりゃそうだよな、って気持ちと、最悪死ねばいいしな、とか、そんなんでわたしは構成されている。でもそれ以前に、自分は特別だって感情みんなにもあるよね、ないの?ないならわたしは特別に当たり前な人間なのかもしれないよ、そうだといいな、でもそうだったら困るよ、わたしにとっての当たり前とみんなにとっての当たり前が違う可能性だってある、そしたらわたしの思う当たり前ですら当たり前じゃない、わたしは何も知らないみんなが見えているものが見えていない、わたしはいったいなんのために、なにと闘っている?どこを歩けばいい?わからない、わからないよ。自分ってなんだろう、なんだろうね、でもわたしはきっと知ってるの、そんなことわからないって、思うの。だってわかっていたらこんなに苦しくならないで済むじゃん、人生の苦しいことすべて、すべて予言できるじゃん、でもわたしはできないよ、だから自分はなんなのかとか一生わからない、みんなは自分は何か?を何故か、多分予言したくて?予言して楽になるため?何が起こるかわかる人生にしたくて?わかんないけどね、わかんないけど、見つけたがって探したり、わたしには全く縁がないけど同世代が今みんなやってる就活のあなたの長所はなんですか短所はなんですかを考えて暗記して、そうやって生きてる、それが生きるってこと自体だとすら思っている人もいそう、でもそれのぜんぶの行動わたしは馬鹿だと思ってるよ、それが馬鹿じゃなかったら、今頃わたしはこんなところにいない。その予言は時に自己分析とも言う。さっきも言った通りわたしは自己分析なんて大嫌いでやらないしできないし、決してそんな表向きにかっこいいものではないけれど、辛いことをわざわざ思い出すように辛さの元凶を何故か見に行って、まだあいつは生きてるんだーって思って苦しくて浪費されたわたしを消えて亡くなってしまったわたしを何故かずっと持っている、もう無いはずの、抱えることすらできない虚無を、わたしはずっとこの手に持って歩いている。きっとそれはわたしだから。わたしの大切な部分だったから。自分は特別で当たり前に馬鹿だって思える何かだった。それが亡くなってしまった。跡形もなく消えてしまった。いじめとか虐待とか、そう呼んでいいのかわからないわたしの気持ち悪い過去すらも超えて。消える前のわたしに手を伸ばす。でもその時期のわたしは笑ってたよ、アルバムに残っているわたしは笑ってた、毎日旦那の作ってくれたお弁当の写真を撮っていて、多分休みの日に行った上野、新大久保、すみだ水族館、ぜんぶ笑ってた。何してたんだろうわたし、もっと辛いって言って良かったのにな、辛くなかったのかな、今のわたしはこんなに辛いよ、あの日からずっと、ずっと辛いよ、どうして泣けなかった?どうして周りを傷つけなかった?どうして薬を飲んだ?殺さなかった?死ななかった?わたしは強いね。誰よりも強い。絶対に強い。呪いは水色、ぴんくなんていう絶対的に幸せな色は与えられない、自分にも他人にも与えることなんてできない、水に溶けて泡沫のように消えてゆく、水に流されていって水と同化しそうででも透明に勝てるわけはなくて、それでもいつしかわたしの目から消えている、水色、そうだったらいいのに、透明になりきれない、ずっとそうだね。水色だって信じたいね。夢を見たい。一昨日夢を見に行ったんだ、非日常に行ったんだ、でも騙されちゃった、そこは非日常なんかじゃなくて日常だったの、みんな知らないと思うけど、わたしだけの秘密かもしれないけど、あれって非日常じゃないんだよ、普通に日常のわたしなんだ、生身のわたしがぽーんって、ボロボロになってパジャマと化したTシャツとか、一度に1回半だけ使っていいと自分で決めたヘアオイルとか、近くのコンビニでよく顔を合わせてもう覚えられてんじゃないかなーっていう店員さんとか、ぜんぶ忘れて、置いて行って、入れる場所じゃないんだよ。病気は当たり前についてきて、わたしは当たり前にわたしでしかなくて、ただどうしようもないいつものわたしが非日常の色になれずにみんなが綺麗な色を纏っている中でひとり黒を放って台無しにしていたよ、びっくりしたな、ぽーんって入って、わたしはぴんくになって、みんなもいろんな色になってて、上から見たら虹みたいになってるのかなーって思ってたのに、実際はね、あれ?あそこだけ光ってないね、電球壊れてるのかな?って、わたしだけ欠陥品になってるんだよ。目の前が真っ黒だったな、いつもの死にたいも流石にここまでくるとは、みんなキラキラなのに、どこを見ても色しかないのに、ほんとうに、殺したいねこんなやつ。わたしが夢を見ることを望んで叶えてもらったのにこんなに黒くてごめんなさい。いつも彩りを見せられなくてごめんなさい。夢を見れていないことに気づいたことも、それが迷惑になっているだろうなということも、苦しくて、苦しめば苦しむほど自分とその大切も黒くなっていって、救いもなくて、自分しか救えないはずの自分が駄目になっていて、どうしようもなく涙が出たけど、それも病気だからって許されてしまって、わたしは許されたことしかないな、ぜんぶ病気とかじゃなくてきっと、わたしだよ、わたしのせいなんだよ、わたしがこういう人間で、それをなおす術も知らずに、わかりませんみたいな顔で生きているから、ゆるされなくても、ずっと泣き続けていたから、みんなわたしに優しくなっちゃった。涙ってこんなに簡単に出るっけ、この文章書きながら、意味わかんないね。でも、非日常ではなかったけど、日常の中の幸せは確かにあったよ。夜になって、泣いていた昼間、こうやって笑えば良かったな、笑えていたら楽しかったんだろうな、なんで笑えなかった?なんで明るくできなかった?思ってしまったけど、泣くしかなかったよ、涙しか出てこなかったよ。あの日、事業所に行かなくなった日、行けなくなった日、わたしには、たくさん泣いていてほしかったのに、痛いってたくさん叫んでほしかったのに、わたしは笑っていたし、もう十分笑ったよね、普通ができなくても、その奥底で、わたしは笑えていたよね。それがいいことなのかわかんないよ、わかんない、そのせいで今の苦しみがあるとしたら、そのときの、笑っていたわたしのせいだよ。でもなんでかな、今からでもいいから、きっと今からでも遅くないから、あの日のわたしを助けてあげたいって、ずっとずっと、思っているの。
夢の国で出会ったリボンをつけたぬいぐるみは、確かに、いまわたしが抱えている。
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