わたしはわたし以外の愛を見下している
雑貨屋さんのついているカフェで買ってもらった変な顔のアルパカ
密かに追っているアイドルのライブ映像を見て何故か泣いている昼下がり
ぜんぶぜんぶ、わたしは幸せだと思う
これは、今のわたしにしか書けない文章
いま、この瞬間を生きているわたしにしか書けない文章
セブンで買ったゴンチャを飲みながら、冷房寒いけどいつも旦那が温度上げ下げしてくれるからわたしリモコンの使い方わかんないやって、少し考えればわかるんだろうけど、諦めて、外37℃とかのこの今の日本で長袖のカーディガン着てるこの瞬間のわたしにしか書けない、文章
わたしの考えることなんて日々、いや、毎分毎秒、変わっていく。
わたしが嬉しいのも、わたしが悲しいのも、わたしにはコントロールできないし
いつどうなっても、わたしはわたしについていかないといけない。
当たり前だけど、わたしはわたしとしてでしか生きられないから。
いま、わたしは幸せかも。
いや、いつも幸せだから、違うか。
でも、わたしは今、とにかく、最高なんだよ
土日月が嬉しかったからかもしれない。
土日は旦那と家で映画を見て、大好きなピューロランドの年パス買って、月曜は病院帰りにカフェに行って、家に帰ってから、映画を2本見た。
でもさ、ほんとうは、心がぐっちゃぐちゃな時に文章を書きたくて
ぐっちゃぐちゃな気持ちって美しいってわかっちゃったから
生身の気持ちのほうが、嘘つく余裕なんてなくて飾る余裕なんてなくて、きっと読んでいる人に届けられると思うから
でもほんとうに苦しいときって、自分の気持ちに向き合うことすら、生きることすら、ほんとうに難しいし
そんな汚い気持ちは、自分でも見えない自分の底にあるから、出したいから出す、なんてことはできなくて
出るのをただ、待っているだけ
いや、わたしが生きるためには、出ないでほしいんだけど
わたしは下ネタとか、恋愛ドラマとか映画でよく見る、濡れ場、みたいなものがものすごく苦手で
他人のセックスは心底気持ちが悪い。
生殖器を出し入れするってなんなの?
なんなの、この行為。
わたしは、わたしたち以上の愛なんてないと思ってる。
わたしたちはめちゃくちゃ愛し合っていて、根拠なんてないけど、それは紛れもない事実だって、わたしは自信をもって言えるから。その気持ちだけが、確かな証拠だから。
だから、わたしたち以外のセックスは、とても浅はかで、見てらんないなーって、思う。
でもそのくせ、自分のセックスはほんとうに幸せで、これ以上にない愛を感じてしまう
セックス以外の場面のほうが、愛を感じることが多いけど。
わたしたち以外のカップルも、きっと、そう思いながら生きてるんだよな
自分たちの愛がいちばんだって、信じながら、生きてるんだよな。
結局、セックスなんて、そういうもん。
わたし、旦那が人生初彼氏。
付き合いたてのとき、彼に優しく触れられただけで、頭を撫でられただけで、そっとハグされただけで、わたしってこんなに大切にされていいんだって、涙が出た。
実感したことなかったけど、わたしはきっと、相当、愛されてこなかった。
この前、母親と2人でディズニーに行った。
わたしは見なかったけど、腕にディズニーキャラクターのタトゥーを入れている人がいたらしい。
「さっきすれ違った人、タトゥーすごかったね」
「あーそうなんだ」
「うん、なんかラプンツェルのタトゥー入れてたよ」
「いいね。タトゥー入れたいなあ、可愛いよね」
「え、やめて。それだけはやめて」
「なんで?いいじゃん、可愛いじゃん」
「やめて、それだけは。」
あーわたしって、やっぱり、ママに、ぜんぶわかられてないんだなあって、思った。
心底タトゥーを入れたいと思っているわけではないけど
「タトゥー入れたい気持ちを否定された」
ただそれだけだけど
わたしのこと、何もわかってないんだなあって、思った。
わたしのタトゥー入れたいって気持ちとか
わたしがタトゥーを入れるような人間であるということとか
わたしは、どんなわたしでも受け入れてもらえるわけじゃないんだなあ
愛してくれないんだ
どんなわたしでもわたしなのに
わたしはわたしで生き続けるしかないのに
昔より、ママに、寄り添ってるつもりなんだけどな
それでも、認めてくれない?
わたしを受け入れるのは、そんなに難しいの?
そんなにわたしって、汚いかな
大人になって、認め合えてる気がしていたのはわたしだけだったのかな
わたしはこれからも、受け入れてもらえる生き方で、もがき苦しみながら、愛に飢えながら、生きていくしかないのかなーとか
神社ってよくわかんないなーって思う。
最近行ったとかそういうわけじゃないけど
よくわかんない神社。どんな神がいるのかとか、その名前はなんなのかとか、それを知ってて来てる人はどのくらいいるのかなあとか
よく知らない神社で、知りもしない、いるかもわからない神に、わたしの今後を願うとか、そんなん、言えるわけないじゃん
そんな恥ずかしい気持ち、言えるわけ、ないじゃん。
そばにいてくれる人に言うほうがよっぽど誠実じゃん
よっぽど叶いそうじゃん
なんならそばにいる人よりも、自分に祈るほうがよっぽど救われるじゃん
自分をいちばん信じてる、自分に祈れよ
わたしの最近の発見
ドライヤーで髪を乾かすときには脚をたたんでいなきゃいけないっていう、いつからかできていた自分のルールがうざくって、髪を乾かすのがすごく億劫だった。
寝る時用のズボンを洗濯機から出すと、いつもポケットがでろんって出ていて、それを直さなきゃいけないのがすっごいうざくて、ストレスだった。
でも、誰からもそうしろなんて言われてない。
でも、自分の中では絶対に守らないといけない決まりだった。
だから、そのルールを変えた。
そしたら、すっごい楽になった。
「髪を乾かすときは、脚を伸ばしたり畳んだり、自由にしなきゃいけない」
「でろんってポケットが出てるズボンを直しちゃいけない」
やっぱりあくまで「してもいい」に変える程度じゃわたしはできなくて、「しなきゃいけない」って変えないと、できないんだけど
そうしたら、すごい楽になった。
なんであんな決まりをつくっていたのか、自分でもわからない。
でもわたしは、ルールに縛られていないと、なんか不安で、なんか、上手に生きられない
自己分析ってなあに。
自己を分析している、わたしはだあれ。
わたしはわたしを生きているんだから、わたしをぜんぶわかることなんて、ぜんぶのわたしを見ることなんて、できないはずなのにね
わたしの最高は、いつまでも最高じゃない。
簡単に最低になるし、簡単に死んじゃうかもしれない。
それをわたしは、コントロールできない。
病気だからなのか、自分にそういう能力がないからなのか。
最低になると、忘れてしまうことがたくさんある。
デートして、ガチャガチャをして、出てきた景品を、この日の記念だって、この最高を忘れないようにしようって、忘れないで生きていこうって、これがあれば生きていられるって、強く思った気持ちとか
たくさん愛されてきた4年間、大切な言葉をかけられて、なんとか生きてきて、いま幸せなわたしがいる、この事実とか。
数時間後には、忘れちゃうんだろうな
それで死んだり、しちゃうんだろうな
でも、生き延びれば、何日か何ヶ月か後に、きっと思い出すんだろうな
思い出して、ほしい。
生きたいんだよ生きたいんだよ
でも上手く生きれないんだよ
わたしってそうなんだよ
わたしを生き延びるには死ぬしかないんだよ
ずっと思い出すことがなくても、
そのままパッと、死んじゃっても
絶対にわたしは愛されているから
わたしたちは愛し合っているから
どんなわたしのときでも忘れないで
言ったって無駄なんだけど
きっと、生きることをやめないでね
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