死んだ少女展

死んだ少女展、みたいなのに行ってきた夢を見た。

旦那と一緒に、順番に、自殺した女の子たちが展示されているのを見ていった。

血塗れの死体に、首吊り死体。

ひとつひとつ現れるそれを、目の前にした。

毎回吐きそうになるほどあまりにもそれは現実で、過呼吸が起きるほどのショックを受けて、わたしは床を這いつくばっていた。起き上がることもできなくなっていた。

でも、私たちと反対側を歩く、全て見終えて帰る人たちは、楽しそうに未来のことを話していた。

振り向いて死体を見返して「よくできてたね〜」「結構面白かった」とか言って、そしたらすぐに前を向いて、明日がくるとみんな信じている様子だった。

すべては現実なのに。


毎日毎日死にたいと生きたいを往復しているわたしは、きっと、夢の中のわたしもそうで。

わたしには、他人事と思えなくて。



わたしには2人の姉がいる。


1番目の姉は学校の先生で、結婚していて、子どもが2人いる。


2番目の姉は幼稚園の先生で、結婚していて、最近子どもが1人できた。


3番目のわたしは、何もない。結婚はしているけれど、それだけ。

わたしは、何者でもない。


「将来の夢」と呼ぶには、もう大人になりすぎただろうか。

でも、何者でもないわたしには、無限の将来があるって思う。

かと言って、わたしの将来の夢は、これと言ってない。

だから困る。まだまだ未来があって、若くていいねとか、羨ましいとか言われる21歳のわたしは、色んなことを期待される。

でも、ほんとうに、ない。


強いて言うなら、ある日突然舞台の主演に大抜擢されて、でっかい舞台の主役をやること、くらいだろうか。

それこそ、将来の夢と呼ぶに相応しい、現実味のない夢であるが。


わたしは将来の夢として、保健室の先生になることを掲げていた。

しかし、なれなかった。チャレンジするところまでにも達せず、ならなかった。


大学生の頃、保健室の先生を目指していた頃、塾講の面接を受けた。

面接で、わたしの全てを素直に話した。通信制高校に通っていたとか、今も色々悩んでいるとか、精神的に弱いとか。

そんな塾講には適していないであろうわたしの癖を聞いた塾の先生は、「安田さんはきっといい教師になれますね」と言った。

そこのバイトは落ちたけれど、合格でも不合格でも電話しますと言われて電話すら来ずに落ちたけれど、その、言ってくれた先生の言葉は、ほんとうの言葉だ、ってなんか思った。


わたしはきっと、ほんとうに幸せなんだろうなと思う。

何にも縛られずに、わたしという人間を認めてくれる人たちのそばで、どこかへ行ってボロボロになって傷ついて帰ってきたとしても、そこに絆創膏を貼ってくれる、そんな人がいるから。


そんな人、の代表は、やっぱり旦那だろうか。


今の旦那と付き合った次の日。

大学の講義なんてまったく耳に入らなかった。

ずっと、「あの人と付き合ったんだ」「え、じゃああの人とあーゆーこともこーゆーこともするのかな」「わたしできるかな」「これからどうなるのかな」「え、ほんとうに付き合ったんだ」

反芻する思考。

わたしには彼氏がいたことがなかったので、彼氏ができたという事実を、ほんとうに信じられなかった。

し、わたしはすごく尊敬している人と付き合った。だけど本当に、恋愛感情とかはなかったから。

恋愛として、見れるかなあ、みたいな意味もあったと思う。旦那には申し訳ないけど。


付き合って1週間。

初めてのお泊まりって日に、彼が来るまで、ひとりで映画を見に行って、帰りに新しい下着を買った。

今まででいちばん高くて、いちばん大人っぽい、下着を買った。


彼はわたしの脚の自傷跡を見て、そこをそっと優しく撫でた。

それだけが、それだけだけど、なんか、嬉しくて仕方がなかった。


彼氏がいればなんでも上手くいくもんだと思っていたけど、実際全然そんなことなくて。

彼氏とのことで悩むことは少なかったと思うけど、現実なんてそう簡単に変わらなくて。

一気に薔薇色になる、なんてありえなくて。


彼は結婚願望がないと言っていた。

結婚願望がないのはいい。

でも、結婚願望はないけど、まいかとは結婚したいと思える、とか

嘘でも、言ってほしかったなあ、なんて。


でも、わたしたちは結婚した。

結婚したからって特別何か変わったわけではなくて

誕生日には、未だに手紙とかアルバムみたいなのあげるとか、高校生カップルみたいなことしてるけど

わたしたちは家族になった。

何かされても、何が起きても、「家族だから」で相手を絶対的に信じることができる

そんな存在になった。


わたしが死んだら、翔ちゃん、わたしがやりこんでた、どうぶつの森の島、変えられなくなっちゃうかな


わたしが死んでも、わたしは旦那と家族だ。

わたしが死んでも、わたしを大切にしていた人がいたという事実は変わらない。

わたしがどんな死に方をしても、わたしが必死に生きたことには変わりない。

わたしがどんな死に方をしても、きっと、みんな許してくれる。


わたしにとって死は、希望でしかない。

でも、あの少女たちを見ると、ああなりたいとは、言えない。思えなかった。


今までたくさん、屋上が開放されているビルを探したり、何階から飛び降りれば死ねるか、とか調べたりしてたけど

死ぬことは、死は、どこか遠い存在だった。

決してわたしの手には掴めないけど、いつか掴みたいって夢をみていた、わたしは。


この前、精神科で処方された頓服を6錠飲んだ。

普通は1錠か、2錠しか飲まないやつ。

もっと飲みたかったけど、旦那に止められて。

ほんとうに死にたくて、というか、もうどうでもよくなっちゃって、飲んだ。


でも、何も起きなかった。

そりゃあそうだ、6錠しか飲んでないんだから。


でもあのとき、わたしの中で何かが変わった。


あ、死を実行することが、きっとできる、わたし、って

死を掴むこと、できる

死なんて、そう遠くない


あの日わたしは、わたしの中のいちばんの家族を、わたしを
信じることが、できた



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