失くしたものを探す。
本を読むことが好きだった。
自分の世界とはまったく違う世界の物語を想像することも、知らない誰かの経験を知ることも、黒が黒とは限らないって知ること、多様性を感じることが出来ること、涙が出るほど共感すること、まったく共感できないことがあるということも、教えてくれたのは本だ。
多忙な日々に追われる中で、本を読む時間がなくなった。
もともと、読み始めたら一気に読み切りたいタイプだ。その世界に入ったら、物語の終わりまですべて見届けてから本を閉じたい。途中で中断すると、どうにも上手くその世界に戻れず読みきれなくなったり、主人公として楽しんでいたのに途中で傍観者になるみたいに感じて面白くない。
だから、まとまった時間が必要で。
自然と本から離れることになった。
少し自分の時間が持てるようになって、ある日、書店で興味の惹かれるタイトルを手にとってわくわくしながら帰った。どんな世界が待っているのか楽しみだった。
でも、読めなかった。
文章が頭に入ってこないのだ。羅列されたそれは、文字で、記号で、文章ではない。数ページ眺めて、本を閉じた。
その状態から既に数年経っているが、改善された実感はない。記号の集合体として読めないこともないけれど、入り込むことはできない。リハビリだと頑張って読んだ時期もあったし、定期的に挑戦はするけれど、文庫本一冊に一ヶ月掛かるような状況だ。読みきれず積まれているものも多い。
私は文章を書くことが好きだ。自分には文章を書くことくらいしか表現する術がない。それだって人より長けているかと問われれば、自信がない。乱文だと自分でも反省することが多々あるし、好んでくれる人がいることには感謝しかない。
書き続けたいと思うからこそ、本を読みたい。新しい表現を得たい。新陳代謝をしたい。自分の拙い上、引き出しの少ない表現には飽き飽きだ。もっともっと新しいものをと思うのに、得られない。ずっと、きらきらした宝石が並ぶショーケースを眺めている気分なんだ。その宝石を取り出して眺めたい、身につけたいのに、手が出ない。
正直、とても悔しい。つらい。どうして、という気持ちでしかない。自分にとってすごく大事なものを失くしてしまった気分なのだ。それが、どうしたら見つかるのか、まったく分からない。
それでも、探すことはやめはしない。そもそも、やめることができもしないと思っている。だから、これからも探していく。
新しい表現を得たら、新しい場所で深呼吸できたら、そっと微笑んでくれると幸いだ。