忘れたくないけど
もうすぐ3月がやってくる。「上書きしたくないからもう来なくていい」と18のわたしが拒否した3月が。一年、あっという間だ。
恐ろしいほど綺麗に片付けられた自室に差し込む夜明け。こたつの上にはカラになったマグカップに開かれたままのノートとシャーペン。死ぬなら今だな、なんて思いながらTwitterの更新音のみが静かに響き渡る午前五時。確かこの後コンビニに行って、定期として使っていた交通系ICカードの残高をゼロにしたっけ。17歳と18歳の狭間で揺れて、泣いて、死にたいばかりを繰り返していた春だったのに、なんであんなに綺麗に見えるんだろう。
ふとした瞬間に蘇る高校時代の記憶はどれも鮮明で綺麗だ。そのことにホッとしつつも、いつか全部忘れてしまうのだろうかと憂いてしまう。電卓を打つスピードが落ちていたり、リース料やら減価償却やら簿記にまつわる言葉を懐かしいと感じるようになった自分に気づく度、忘れるってこういうことなんだな、と悲しくなる。
本当は全部全部覚えていたい。嫌だったことだって全部覚えていたい。忘れたくない。
けれど忘れないことに必死になって思い出の中ばかりさまよっていると、何かも呪いになってしまう。過去は箱の中にそっとしまって、時々覗くくらいがちょうどいい。そうでないと呑まれてしまう。また同じように「死にたい」を繰り返して季節が流れてしまう。突き放さなければならない時だってある。
2月の冷気が頬に触れる。わずかに去年の空気が混ざっているような気がしてそっと窓を閉じた。
マイプレイリスト2を3に更新して、今日も生きる。19歳の今日を。