こうなりたいって思ってた。
中学2年生が終わる頃、「クラスメイトを褒めちぎろう!」と書かれたプリントが配られたことがある。
そこにはクラス全員の名前が書かれており、線で区切られたスペースにそれぞれの良いところや素敵なところを書きましょう、というものだった。ふざけるなとしか思えなかった。
褒めたいところなんてない。素敵だなと思える箇所なんてない。一年間苦しかったのは紛れもなく周りにいるコイツらのせいなのに、最後の最後にこんな苦行を強いられるなんて思ってもいなかった。もちろん全員が全員嫌な奴というわけではなかったけれど、顔を見るだけでカッと頬が熱くなるくらい許せない人が両手に収まらないくらいあの空間にはいた。
それでももうあの時のわたしに反抗したり文句を言ったりする気力は微塵もなく、歯ぎしりしながらどうにかこうにか全員分埋めて提出した。終業式に担任が配ったクラス冊子の最後の方にこの褒めちぎりの詳細がまとめられていた。
わたしのはなんて書かれていただろうか。全員名前を書かずに提出したので誰による言葉なのかはわからなかったけれど、どれを見ても全くうれしくなかったことだけは覚えている。どの言葉を見てもあの中にわたしはいなかったと思うし、何よりわたし自身、自分のいいところなんてひとつも思いつかなかった。
あれから6年、また似たようなことをすることになるとは思わなかった。言い出したのはわたしだけど。
好きなバンドのギタリストがやっているラジオで、チヤホヤメッセージを送ろう!という企画をやることになった。ギタリストの誕生日が近いためおめでとうも兼ねた企画なのだけれど、気恥ずかしいのか「じゃあ俺はその送ってくれたリスナーの人をチヤホヤするわ、チヤホヤ返し」と言い出した。
なんと送ろうか悩んでいるとオタ友が鍵垢でスペースを開いた。覗いてみるとみんな悩んでいることは同じで、こんなの面接じゃんとか自分のも送らないといけないのキツいとかあれこれ話していた。
どうしようか、とTLを眺めていたのだけれどふと思い立ってわたしはこんな提案をしてみた。
「ここでみんながお互いのいいところ言い合えば解決するかも」
中学の時のことは頭の片隅にもなく、単純にこれがこの場における最善だと思っての提案だった。いいじゃん!と賛同を得て早速みんなで1人ずついい所を言っていった。小学校の学級会か!というツッコミもされつつ、いざやってみると少し照れくさいけどハートフルで愛に満ちた最高の時間だった。
自分の番がまわってきた時はただただワクワクしていた。どんな風に思われているのか知りたかった。
『自分の言葉でまっすぐに伝えてくれるところ』
『落ち込んでる時とか悩んでる時とかに励ましてくれるだけじゃなくてそこから色々アイデア、改善案とかもプラスして教えてくれてるところ』
『自分をしっかり持ってるところ』
『いっぱい考えてくれるところ』
『好きだよとかすごいねとかちゃんと言葉にして伝えてくれる。言い方にトゲがない』
『こっちの視点に立って話してくれるところ』
『責任感強いところ』
予想外の言葉がたくさん飛んできて驚いた。あの時とは全然違う。言葉の中にわたしの知ってるわたしがいた。わたしが「こうなりたい」と思っていた姿があった。
高校に入る時、自分に二つルールを設けた。好意的な感情や感謝はその場その場でちゃんと伝えることと、できるだけ素直に感情表現をすること。「そういうところ好き」とか「いつもありがとう」とか、照れずに目を見て言える人になりたかった。思いっきり笑ったりふざけたりして場を楽しもう、うれしい時は思いっきり喜ぼう。性格のひん曲がった嫌な奴にはなりたくなかった。真面目さや素直さを嘲笑するような人になりたくなかった。
いま思うとこの時からなりたい自分像を模索していたのだろうか。なりたい自分は曖昧にしか見えなかったけれど、なりたくない自分は明確だった気がする。
これらの話は一切したことがない。だからこそ気づいてもらえたのがうれしかった。
ずっと芯のある人に憧れていた。軸が明確で、自分をブレずに保てる人に。もしかしたら今その姿に近づきつつあるのかもしれない。
もちろんまだ他にもなりたい自分の姿はたくさんある。自分の嫌なところや直したいところもたくさんある。今のままじゃダメだ今に甘えちゃダメだとわかっているのに、怠惰なせいで何も出来なくて自己嫌悪のループに陥って苦しくなることもある。これからもきっとある。
それでも自分を変えられた部分があるのは本当だから、確かにあるから、それだけは忘れないようにしたい。今回その事に気づくことが出来て、知ることが出来て本当によかった。ありがとう。