他力本願

私は安楽死を望んでいる。
会社勤めは出来ないし、一人で自宅で稼ぐスキルもない。お金もない。生きるための手段を考えれば考えるほど死にたくなっていく。
「金のない老後は悲惨だぞ」と、ありとあらゆる年上が刷り込んでくる。今の破綻した日本を見てどうして年下に脅すようなことが言えるのだろう。

下手に少し顔が良い女に生まれてしまい、小さい頃から外に出ると知らない男に恐怖を味わわされてきた。

色んなことを充分我慢してきた。もう何も頑張れない。頑張りたくない。

全身麻酔は量を多くするとそのまま起きない人がいるらしい。羨ましい。
「20万あれば全身麻酔で眠るように安楽死できる」とか何か楽に死ねる手段が明確にあれば、その20万だけ置いて安心して夢に向かって進める。ダメなら死ねば全身麻酔で良いのだから。苦しみたくはない。

全身麻酔と似た感覚だが、芥川の「河童」という小説に河童界の産婦人科が出てくる。
父親は妊婦の股からお腹の中の子どもに聞く。
「お前はこの世界へ生れて来るかどうか、よく考へた上で返事をしろ。」
子どもはこう返す。
「僕は生れたくはありません。第一僕のお父さんの遺伝は精神病だけでも大へんです。その上僕は河童的存在を悪いと信じてゐますから。」
そうして医者は液体を注入し、大きかったお腹は風船のようにしぼむ。
私はこの場面が羨ましくてたまらない。
仏教でも「生病老死」全てが苦しみだと言われているが、私の人生からすれば本当にその通りなのだ。
私に何かを注入して元々いなかったものとしてほしい。

このように私はあまりにも悲観的で死にたがりだ。
それに名前がつけられるかもしれない、ということを最近知った。

noteで連載されている「とかくこの世は生きにくい」の44話にこういう説明がある。

『些細なことですごく悲しくなってしまったり、過呼吸になってしまったりしたのは、まだ「情動失禁」がなおっていなかったのが原因だと思います。』

情動失禁。初耳だった。調べてみるとこういうことらしい。

「他愛ないことで、泣いたり、怒ったり、笑ったりする状態。わずかな刺激で感情が出てしまい、本人が自覚していても抑えることはできない。脳の動脈硬化や脳梗塞のために起こる脳血管性認知症の症状として現れる。(コトバンクより)」

これだ、と思った。昔から人より繊細だった。細かいことに気付いてしまい、それに対して一喜一憂しては
治す手だてはよく分からないが、名前がつくと安心できてとても嬉しい。

安楽死を調べる同じ指で自分のことを何とか知ろうと情報をかき集める。一見すると矛盾した行為のようだろう。だが、きっともがいている人間にとってそれらは決して背反ではない。

「死にたい」も「生きたい」も、「楽になりたい」という意味で同義だ。

誰も私に楽になる液体を注入してくれそうにないので、自分の足で自分のよろめく体を支えねばならない。

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