原点回帰
過去に「芸人を諦めるには」という題であげたnoteがある。
ざっくり言うと、人前で何かをしたい、芸人になりたいという欲を諦めるために努力しているという現状を書いたものだ。
それを書いてから思い出したのだがそもそも私が一番最初に人前でしたいと思ったことはお笑いではなかった。
人前で何か話したいと思うようになったきっかけ、いわば原体験を思い出したので残しておこうと思う。
小学生の頃、国語の授業で教材の詩を読んだ。それほど長くないものだ。
最初は小学生らしくある程度ざわざわしていた雰囲気が、何故か読み進めるにつれどんどん張りつめていつの間にか静かになっていた。
読みながら不思議な感覚に包まれた。
自分の声が時間を進めているような
読むのをやめれば時も止まるような
声の強さやスピードを間違えれば全てが崩れてしまうような
そんな繊細で重大なことをしている気がした。
教科書を見ながら朗読していたはずなのに、なぜか覚えているのはうすむらさき色の寒天の中に教室が閉じ込められた景色だ。
読み終わっても空気は張りつめたままで、先生を含めて誰ひとり口を開かなかった。
しばらく経って、困惑した私と、同じくよく分かっていない男子が「先生どうしたん?」と尋ねると、「余韻が必要。」とだけ返されまた静寂に包まれた。
「そろそろ皆ええか。」とやっと先生が口を開くと、みんな金縛りを解かれたように大きく息をはいた。あまりの緊張感に背筋を伸ばして息を止めていた。
そして朗読の技術を誉められた。ものすごく嬉しかった。
誉められたことはもちろん嬉しかったのだが、あのうすむらさき色の寒天はなんだったのか。
「空気の重さ」というものが目と体で分かった気がした。
とても不思議な感覚で忘れられない。
その後、中学高校と演劇部に入り脚本と役者を兼ねていたが、綿菓子のように軽いうすむらさきに包まれることしか出来なかった。
あの時のような、緊張感のある、自分の声で寒天を掻き分けて時間を進めるような、重たいうすむらさきに出会えたことがない。
だから今もまだ演劇がしたいのだと思う。
書きながら思い付いただけなのだが、自分が書いた漫才やコントやショートショートを自分で朗読してnoteにあげていこうかな。
錆びた創作力のリハビリとして。