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季報:泊まれる演劇『Moonlit Academy』とあなたの月がそこにあること

※2024年1月19日〜3月17日開催 泊まれる演劇『Moonlit Academy』の物語の核心にふれています。

 触れるだけでスプーンを曲げてみたかった。まるで散歩するように宙を浮いてみたかった。
 斜に構えた子どもだったから、私に超能力が備わっていないことに気づくのはそう遅くもなかった。どれだけスプーンに手をかざしてもびくともしないし、私の足は地を踏みつづける。

 それでも世の中には超能力をもつとしか思えない人々がいた。彼らはすばらしい絵を描き、スポーツの試合の場で皆を魅了し、あるいは心に響く弁舌を振るう。それを世間では才能と呼ぶのだと知ったのは、ランドセルが背中に馴染んできたころだったと思う。
 制服を脱ぐころには、私にはなんの才能もないことを知った。そのことを受け入れ、諦め、それなりに自己を肯定しながら生きていくのが大人になることだと思っていた。

 泊まれる演劇『Moonlit Academy』に参加した。
 泊まれる演劇はいわゆるイマーシブシアターに分類される演劇作品である。観客である私たちはホテルに宿泊し、館内を自由に歩き回りながらその夜に繰り広げられる物語を楽しむ。
 演者と観客を隔てる透明な壁──第四の壁がほとんどなく、私たちも物語に組み込まれてしまうのが特徴だ。

 本作『Moonlit Academy』の舞台は、超能力のような「ならざる力」──「ぶるうむ」を学び、育て、開花させるための寄宿学校だ。
 普段はその存在を注意深く隠しているのだけれど、100周年の記念セレモニーが催される今夜ばかりは招待客も学園に立ち入ることができる。幸運なことに、私の手元にはセレモニーの招待状があった。

 このようなあらすじの物語が、ホテルに足を踏み入れた瞬間からはじまる。

 玄関でいくつかの質問──それは「ぶるうむ」の素質を測る「エレキテル羊=ミフネ検査」であるらしい──に答えた私は「青月寮」に配属された。海が好きだからとてもうれしい。
 この学園には赤月寮、青月寮そして新月寮が存在しており、それぞれに異なる特色をもつ。私の青月寮はサイキックの力が開花する生徒が多いそうなので、きっとスプーンを曲げられる子もいるだろう。

 招待客が揃うと、いよいよセレモニーがはじまる。期待に胸がふくらみ、そわそわと手を組み直す──そのような折に3人の生徒が闖入する。
 UFOキャッチャー研究会を名乗る彼女たちは、探知機の反応に導かれてこのセレモニーに潜り込むことにしたらしい。本来であれば限られた教師と生徒しかセレモニーの運営には携われないため、研究会の面々は校長にひどく叱られていた。
 そのような一幕を経ながらも、私たちはセレモニーのメインイベントである模擬授業を体験した。

 3時限目の授業が終わりに差し掛かったとき、侵入者を知らせる警報がけたたましく鳴り響く。脳裏に去来するのは「カイブツ」の噂、そして学園内で起こっている「永遠の眠り事件」のことだった。UFOキャッチャー研究会の面々に懇願され、私たちは事件の把握と解決に乗り出すことになる。

 さまざまな調査といくつかの作戦行動を経て、私たちは「永遠の眠り事件」を引き起こしていた少女の亡霊を救うことに成功する。少年少女の感情の蟠りはほどけて、教師たちも彼らなりの正しさを信じて行動していたのがよかった。
 この調査や作戦の時間はおおむね自由に行動できるのだけれど、私は「解決するための方法を入手すること」「解決法の実現のために必要なものを揃えること」を追いかけることを選んだ。ミステリの雰囲気が色濃い部分であり、いくつかの決定的な場面に関与できたことがうれしかった。

 私の体はひとつしかないため、物語の全貌を隈なく見通すことはできない。招待客によっては少女の過去を深く掘り下げる調査をしていただろうし、学園の数々の秘密にふれ、危機を回避することに尽力していたひともいるだろう。
 特に今作では選択を求められる場面が多く、参加している意識も強かったため、私の体験は正しく私だけのものであった。それが途方もなくうれしい。
 同じ夜を同じ場所で過ごしても、全く異なる景色を見ることができる。唯一無二の感情を大切に抱えながら、私は夜の学園内を駆け回った。

 作中に登場する「ぶるうむ」は、その素質があっても開花しないことがある。ムーンリットアカデミーはその養成学校であることから、開花しなければならないという無言の圧力が方々からかかってしまうことは想像するに容易い。
 「永遠の眠り事件」の根本的な原因は、ぶるうむが開花しないことを焦ってしまった少女の悲劇だった。それが判明し、事件が解決してもなお、この学園の姿勢は変わらない。ぶるうむを開花させること、それがこの学園で最も重要なことなのだろう。

セレモニーに参加していた生徒のなかにも、ぶるうむが開花していない者がふたりいた。UFOキャッチャー研究会の男子生徒・星と、新月寮の寮長である"まんが"だ。
 特に星は家柄がすぐれていることもあり、ぶるうむが開花していないことに強いコンプレックスを抱いているようだった。彼との対話のなかで、評価されないことへの怯えや虚勢を張って自らを守ろうとする様子を感じ取ることができた。

 才能の芽はあるのに花が開かない。もしかしたら、才能なんてはじめからなかったのかもしれない。自分は何者でもない、ただの名前のない存在なのかもしれない。──スプーンを曲げられなかったころから地続きの感情が、ふっと風のように脳裏を吹き抜ける。

 そこでふと、彼らの寮がともに新月寮であることに気がつく。新月寮にはすばらしいぶるうむを持つ生徒が多数在籍しているらしいから、決して開花しない生徒が集められているわけではないだろうが、このことを偶然とは思えなかった。

 星だけが瞬く新月の夜であっても、月は存在している。地球からは月の夜の部分しか見えないのであって、いずれ明るい光が夜を照らすことになる。満ちて、欠ける。その営みが魅力的だから私は月を愛している。
 才能もきっと同じなのだろう。自分自身からは夜の部分しか見えていなくても、満ちるのを待ったり、少し角度を変えてみたりすればなんらかのきらめきを受け取れるかもしれない。どんなにかすかな光であっても、自己や他者を照らせるかもしれない。
 命が尽きるそのときまで月が見えなかったとしても、星は確かに瞬いている。月よりも弱い光だけれど、それをこの上なく美しいと感じるひともいる。

 才能至上主義の世界は変わらない。それでも私は、新月の夜の美しさに救われたような気がした。もちろん、赤い月や青い月だって美しい。どのような形かはわからないけれど、私の月はたしかに存在している。あなたの月も、きっと夜空に存在している。

 一夜の物語は幕引きとなり、私たちは爽やかな朝日を浴びる。学園で朝食を摂りながら、昨夜の顛末を語る学内放送を楽しんでいた。
 スープを飲むためのスプーンを握りしめて、じっと見つめる。相変わらずぴくりとも動かないけれど、大丈夫だよ、と思えた。
 その言葉にならない安心がうれしくて、スカートの裾が軽やかに翻った。陽光はひたすらに眩しくて、月の光さえも完全に塗りつぶしてしまう。
 それでも月はなんでもなく空に在りつづけるし、私もなんでもなく生きつづける。

 すてきな夜をありがとう。泊まれる演劇はいつも私に特別な夜の記憶をくれるから、愛おしくてたまらないな。寮室に掛かっていた青い月の絵は優しく、食堂で飲んだシュガーシュガーのやさしい甘さもいつまでも舌の上に残っている。
 これから月を見るたびに、救われたような気持ちになれるかもしれないね。

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