月報:2023年7月
夏が来るたびに、あれ、こんなに暑かったかなと思う。日傘のかたちに切り取られた影が足元に落ちるのを見つめていたら、あれほどうるさかった蝉の声がふっと途切れたように錯覚する瞬間がある。何度繰り返しても慣れない季節だ。
■『君について』のこと
ねなさいさんと一緒に作った『君について』という作品を、どうやらたくさんの人に読んでもらえたらしい。ありがとう、嬉しいです。巴日和さんのお誕生日を飾る鮮やかな花々のひとつになれていたらいいね。
ねなさいさんは魔法使いだ。私がほんの思いつきで手渡した一のプロットから十を知り、百の世界をつくりだす。
『君について』の完成稿を目にしたとき、ああ、私が見たかったものはこれだ、と確信した。創作に正解はないけれど、少なくとも私にとっては『君について』はこの形しかありえない。
『君について』はとても複雑な作品だと思う。実は視点人物は凪砂くんであり、読者は最後のページでそのことを知る。知ったうえで読み返してみると日和くんが伸びやかに演じていることに納得がいく、というつくりになっている。
この納得とささやかな驚きをもたらすためには、絵に説得力があることが欠かせない。巴日和という、常になにかを演じているひとの自然な表情を描いてみせること。視点人物のことを意識しづらい「漫画」という媒体で凪砂くんの視界を提示すること。日和くんと凪砂くんの信頼関係を、ほとんど台詞のない漫画で示すこと。仮に私が楽しく漫画を描けるような人間だったとしても、すべてを満足のいくかたちで実現することは困難だったであろう。
最後の2ページの描写がたまらなく好きで、私は何度も読み返している。私たちは互いに相手の選んだ表現手法の魅力を知っていて、同時に自分が選んだ表現手法の自由さを知っている。そのうえで、自分にはできないことがあることを知っている。
ねなさいさんにこのプロットを託すことができて良かったと心から思う。また一緒になにかを作りたいな、そして私に魔法を見せてください。
余談だけれど、本編のなかでかすかに見えるコラム文の”この映画で撮られているのは「君」のみであるのだが、「君」の透徹した視線がカメラのこちら側の存在を否応なしに意識させる“という部分はささやかなヒントになっている。凪砂くんを見つめる日和くんの視線はなによりも透きとおった美しさがあると思うのだけれど、どうかな。
■「特別展 古代メキシコ ーマヤ、アステカ、テオティワカン」のこと
某日、東京国立博物館(平成館)にて「特別展 古代メキシコ ーマヤ、アステカ、テオティワカン」を観た。嘘みたいに降る雨が煙るなかで、大きく掲げられたポスターの赤が鮮烈に輝いていた。あの赤はやっぱり血液の色なのだろうか、などとぼんやり考えているうちに身体が会場へと吸い込まれていく。
あの文明たちのなかでは、生がとても長いスパンで認識されているのかもしれない。個人が経験しうるほんの百年ほどの時間ではなく、もっと大きなものの一部として個々の生が存在していたように思えてならない。
私の生きる世界とは、命というものの捉え方が根本的に異なるのだ。そのようなことを、途方もない時間をかけてつくられたのであろう品々を目の当たりにしながら考えていた。
それでも展示物たちはたしかに美しかった。天国はみなが同じものを夢見る、されど地獄はオーダーメイド──という言葉があるように、美しさは普遍性を有している。
ただし、展示されることで付与された美の文脈による可能性を否定することはできない。土を払われて整列された品々がかつて血腥い儀式に用いられていたことを、ただ目にしただけで知ることは難しい。あきらかに心臓を載せるのに丁度良いような台もあったけどね。
■遊んだゲームのこと
※致命的なネタバレはありませんが『超探偵事件簿 レインコード』の内容にふれています。
『超探偵事件簿 レインコード』をクリアした。発売を待ち遠しく思っていたこともあり、寝食を忘れそうになるほどに夢中になってしまった。
私は調査パートと推理パートが明確に分かたれているアドベンチャーゲームが好きだ。事件が起こり、証拠を集めて推理に臨む。ごくありふれた仕組みではあるけれど、否応なしにわくわくしてしまう。『レインコード』もその例に漏れることはなかった。
『レインコード』では、記憶喪失の探偵見習いであるユーマ・ココヘッドが、彼に取り憑いている”死に神ちゃん“、そして”超探偵“と呼ばれる特殊能力を備えた探偵たちともに謎を解明していく。
本作の推理パートは謎迷宮という異空間で繰り広げられる。謎を解くまで出られないその場所は、めくるめく演出でプレイヤーを翻弄する。現実感のない空間で理不尽な出来事が次々と起こっていく、ある種の悪夢みたいな展開がたまらなく楽しい。知的好奇心が私の指先まで侵食し、ユーマを前へ前へと進めていく。知的好奇心に踊らされてばかりの人生だ。
シナリオも良かった。残された人々がいなくなってしまった人の存在によってつながれている様子が好きだから、某章のさみしい謎迷宮が透明な棘として心のやわらかいところに刺さっている。『ダンガンロンパ』でも見られた、制作者の仕掛けるささやかな悪意がいとおしい。降りやまない雨の街では容易に涙を隠せてしまう。
クリアしてしばらくは寂しくてたまらなかったけれど、今はシーズンパスでまた彼らに会えることが楽しみでならない。
それでは、またね。おやすみなさい。