月報:2024年1月
年が明けてから本当にいろいろなことがあって、悲しみや無力感にぐったりして、すべてを覆い隠すように白く染まった街を見つめていた。今は感染症の後遺症の咳が止まらないのだけれど、咳をするたびに私は生きているのだと実感する。みんなでご自愛しようね。
■最近のこと
荒野をゆくような気分で日々を過ごしていたので、クッキー缶を作った。丁寧さが求められる営みをこなすことで、安寧や平穏といったものを手繰り寄せることができる気がする。
クッキー缶とはいっても、ゼロから組みあげるようなものではない。材料が缶の中に詰め込まれており、指示に従って粛々と作業を進めると誰でも簡単に美しい宝石箱を手にすることができる。とてもやさしい商品だと思う。
詰め込まれているクッキーは3種類で、当然ながら味は異なる。焦茶色の生地はクローブとシナモン、淡いきつね色の生地はコリアンダーとマスタードシード、深緑色の生地は緑茶とマスタードシードの味がした。クローブとシナモンの生地がいちばん好きな味だった。
そのように計算されているとはいえ、焼きあがったクッキーがぴったり収まったとき、じんわりとした感動を覚えた。途中でいくつかつまんでしまったにもかかわらず、それすら織り込み済みと言わんばかりに完璧だった。あまりにも聡明なキットだ。
私はクッキーというお菓子をこよなく愛していて、自分へのご褒美にしばしばクッキー缶を選ぶ。蓋がされた状態の缶はひとつの宇宙で、箱庭を覗き見るように味わうのが好きだ。緻密で美しいものにはいつだって惹かれてしまう。ひとつの缶にかけられた途方もない手間と苦労を体感し、ますます愛が深まってしまったな。
■遊んだゲームのこと
※致命的なネタバレはありませんが『ファミレスを享受せよ』の内容にふれています。
フリーゲーム版をプレイしてから私を魅了してやまない『ファミレスを享受せよ』のnintendo switch版がリリースされたので、大切に享受した。初めてふれたときから1年ほどが経っていたため、なんだか懐かしいような心地さえあった。
『ファミレスを享受せよ』は、サークル・月刊湿地帯が開発したアドベンチャーゲームである。永遠のファミレス『ムーンパレス』を舞台に、ファミレスに集う人々との対話を通して謎を解き明かしてゆく。
見知らぬ人々とともに知らない場所に閉じ込められている、それなのに緊張感はなく、どこか穏やかだ。さみしくてやさしい曲にあわせて皆と対話をする時間が心地よい。
独特の空気感を有する唯一無二のゲームであると思う。もう謎なんて解かなくてもいい、ずっとここにいたい。そんなことを考えてしまう。謎を解いてムーンパレスを後にするとやっぱりさみしくて、それでも月を見たら懐かしくなるのがうれしい。
最も小規模で最も自由な旅がゲームプレイなのだな、と実感する。
作者であるおいし水さんの言語感覚がとても好きだ。単語と単語を結びつけるときに軽やかな飛躍があり、それがたまらなく素敵だと思う。「ファミレス」と「享受」を結びつけることはそう簡単にできることではない。
ファミレスという空間のもつ特異性は魅力的だ。最近では和山やま『ファミレス行こ。』が記憶に新しいところであり、坂元裕二脚本『花束みたいな恋をした』では重要な場面がファミレスで展開される。
レストランであるのだけれど、ただ食事のためだけに利用される場所ではない。私たちはドリンクバーの助けを借りながら会話を楽しんだり、ただ惰性で居座ったり、次の予定のために時間を潰したり、勉強や作業に勤しんだりすることもできる。
親しみやすい価格帯であることも手伝って、ファミレスという空間ではさまざま人生が交差していることは想像に難くない。
街ですれ違う人のすべてに物語がある。夜景をつくる街の明かりのすべては誰かが灯したものであり、窓の向こうには誰かの生活がある。
名前を知らない人たちの物語を垣間見ることができてしまう空間がファミレスであり、誰もがその奇妙なあたたかさを享受できる。
久しぶりに深夜のファミレスに行って、プリンでも食べたいな。
■『夜を待つよ』と記憶のこと
最近はMidnight Grand Orchestraの『夜を待つよ』ばかり聴いている。
Midnight Grand Orchestraは作曲家のTaku Inoueさんとホロライブ所属のVTuberの星街すいせいさんによる音楽ユニットである。
私はTaku Inoueさんが生み出した曲がたまらなく好きで、その延長としてMidnight Grand Orchestraの曲を聴いている。最近リリースされたアルバム『starpeggio』も名盤で、とてもよかった。
『夜を待つよ』を聴いているとなぜか懐かしくなる。過去の印象的な夜たちが次々と脳裏に去来し、真夜中のフラッシュのように瞬きはじめる。
この曲を聴いていると、カプセルホテルが好きだったことを想起する。日常の重力圏から脱するために旅をしていたころは、あるカプセルホテルにばかり泊まっていた。
ロビーはバーカウンターのようで鮮やかな色に満ちていたのに、ひとたび居室のある区画に足を踏み入れると、白く区切られたスペースがずらりと並んでいた。宇宙船に乗りこんだみたいでわくわくしたことを覚えている。
カプセルホテルは簡易宿所に分類されるため、個々のスペースに鍵をかけることはできない。壁の役割を果たすのは簡単な仕切りなので、隣室の音がかすかに響く。
私と同じように旅をしているひとがたくさんいることは、ビジネスホテルではあまり感じることができない。カプセルホテルならではの距離感がなんとなくあたたかくて、それでも他人は他人であり、スペースには私しかいなかった。
スペースの大部分を占めるベッドに横になって、イヤホンを着けて音楽を聴くのが好きだった。曲と曲の合間に他のひとの気配を感じると、不思議なことに安心できた。
そのときのことを回顧すると、なぜか『夜を待つよ』を聴いていた気がするのだ。その頃にはまだ存在しない曲なのに、不思議だなと思う。それほどまでにこの曲のリズムが身体に染みこんで、血液とともに全身を巡っているのかもしれない。
私が好きだったカプセルホテルはもう存在しない。あの白い空間で眠ることは二度とできないのだけれど、『夜を待つよ』は私をあの夜に連れて行ってくれるような気がする、そう思ってしまう。
それでは、またね。おやすみなさい。