見出し画像

ナイフで大動脈を刺されたらどうなるのか?:『ジョン・ウィック2』のワンシーンを医学文献から検証

ネットフリックスで映画『ジョン・ウィック2』を観ていたら、医学生とし気になるシーンがありました。

主人公ジョンが電車内で悪役の暗殺者に見つかり、列車内で双方抜刀し激しい切り合いの後、ジョンが悪役の胸部にナイフを突き立てるシーンです

ジョンがナイフを強引に押し込む様子から、胸骨を貫通して刺さっていると思われます。

悪役は力を失い、電車の椅子に座り込んでしまいます。

大動脈・心臓への損傷による急激な血圧低下からでしょうか。

ナイフは大動脈に刺さっている。抜けば死ぬぞ

と言い捨ててジョンは立ち去り、悪役は負けを噛み締めた表情で座っています。

スクリーンショット 2020-11-01 21.45.32

このシーンを観てある疑問が沸いてきました。

ナイフが大動脈に刺さったままの悪役は生き残るのか?

ナイフを抜いていないとは言え、屈強な男が座り込んでしまうような内出血と血圧の低下が起こっているはずです。それに、悪役が救急車で病院に運ばれて治療されるまで少なくとも15-30分のタイムラグがあるでしょう。果たしてこの暗殺者は生き残ってJohn Wick 4で再登板できるのでしょうか。

医学文献から検証

こんな疑問を持った時に助かるのが、偶然にも同じ疑問を持った世界のどこかのお医者さん。大抵の医学的な疑問は他のお医者さんが考えていてデータや症例を発表してくれています。

この暗殺者と似たような患者さんの報告を見つけて、その患者さんがどうなったのか調べれば良いのです。

そこで、医学文献をみんな大好きPubmedで探してみました。

<論文から引用したちょっと怖い画像があるので以下閲覧注意>

背後からキッチンナイフで刺され、脊椎と胸部大動脈を損傷した一例

Gitei E, et al. Knife injury to the thoracic aorta and spinal cord. Report on an "almost mistake". Unfallchirurg. 2011. 

検索していたら、ほぼピッタリ一致する症例を発見できました。

ドイツの54才男性、背後からキッチンナイフで刺されナイフが留置されたまま病院に運ばれたケースです

画像3

画像3

男性は背後を刺されてうつ伏せで倒れた状態で自ら救急通報し、10分後の救急隊到着時にはまだ意識清明で血圧も保たれていました。

ナイフが刺さったままの状態で点滴を受けながら搬送され、そのまた30分後に病院に到着しました。

この時点で意識を失い、血圧も70に低下していたため危険な状態でした

すぐに緊急オペをされ胸部に溜まっていた2Lの血液を除去されました(参考までに人体の血液量は3-5L程度)。

ここでバイタルが安定し一件落着。

かと思われましたが、再度バイタルが悪化。よくよく見ると胸部大動脈には1.5cmの裂傷があったとのことです。

幸いにも大動脈の傷が見つかったため縫合できて患者さんは助かり13日後には退院できたそうです。

<ファインディングス>

胸部大動脈への損傷でも、ナイフの残存など条件が揃えば30分程度意識を保つことができたケースがある

どうやら、大動脈へのナイフ損傷でも生き残ること自体は可能そうです。ジョン・ウィックの暗殺者もすぐに救急車を呼んで治療を受ければ助かる可能性はありそうです

また、この症例の面白い点は手術して胸を開けるまで大動脈に傷があったことがわからなかったことですね

ジョン・ウィックのように「大動脈を刺したぞ」と刺傷部位を申告してくれるのはまさにプロ暗殺者の礼儀なのかもしれません。

大動脈をナイフで損傷されたらどれぐらいの確率で生き残るのか?

運と条件が良ければ生き残る人がいることはわかりました。でもここまで見つかったのはあくまで一人だけです。実際刺されたらどれぐらいの確率で生き残れるのでしょうか?

銃とナイフによる93例の大動脈損傷の生存率と予後の研究

Demetriades, et al. Mortality and Prognostic Factors in Penetrating Injuries of the Aorta. J Trauma: Inj, Inf, and Crit Care. 1996

この疑問を解決するのに良質な研究はなかなか少なかったです。見ての通り、とてもレアで研究するにも難渋するトピックですね。それでも米国のある病院に5年間で運び込まれた大動脈損傷93人の報告がありました。

1996年とちょっと古いですがその研究結果は以下です:

・93名のうち72%は胸部大動脈の損傷で、28%は腹部大動脈の損傷だった。

・82.5%の患者はショック状態で到着し、41%は血圧が測定不能だった。

・全体の死亡率は80.6%で銃創では87%、刺創では64.7%であった

・胸部大動脈損傷に限った生存率は7.7%で腹部大動脈損傷では23.9%だった。

なかなかショッキングな数字です。人体で最も太い胸部・腹部大動脈に傷がついたら80%の確率で死んでしまうのです

そして、特に血流が多く、脳や心肺を栄養する胸部大動脈の場合は7%しか生き残れません

<ファインディングス>

・胸部の大動脈をナイフや銃で傷つけられたら、93%のケースで助からない。

・ナイフだった場合、いくらか助かる可能性が高い

結論

ジョン・ウィックにナイフを大動脈に刺された暗殺者は生き残るのでしょうか?

・同じような状況で生き残った例はある

・ナイフが抜かれていないこと、大動脈への損傷が大きすぎないこと(症例では1.5cm)、刺された人が動かないこと、30分以内に病院に運ばれて高度な治療を受けること、などが生存の一部条件と考えられる。

この暗殺者のケースでは

1.マンハッタンの地下鉄で刺されて目撃者もおり救急通報と迅速な搬送が見込める 

2.胸骨に守られてナイフが大動脈を大きくは傷つけていないことが期待される

2点から、あとは動かずにいれば助かる可能性はありそうです。

しかし、これらの条件が揃ったとは限らない一般的には胸部大動脈を刺されたら病院に運び込まれても90%以上の確率で生き残れないようです。

この暗殺者がJohn Wick 4に登場できる確率は10%程度、良くても2-30%でしょうか。

大動脈損傷は死にいたる危険な状態です。読者のみなさんにはジョン・ウィックと喧嘩をするときは見た目の良いスーツではなく、多少不格好でも胸腹部をガードできるボディアーマを推奨しておきます。

完。

引用文献:

・Gitei E, et al. Knife injury to the thoracic aorta and spinal cord. Report on an "almost mistake". Unfallchirurg. 2011. 

・Demetriades, et al. Mortality and Prognostic Factors in Penetrating Injuries of the Aorta. J Trauma: Inj, Inf, and Crit Care. 1996








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?