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とてもよい一日のこと

昨日はずいぶん暖かかったが今日は朝から寒い。肌寒い。妻は午前中だけの仕事に出かける予定だったがお休みらしい。しなければならない仕事が昨日のうちに終わったので今日は行かなくてよいという。パートで病院の医療事務の仕事をしている。仕事が予定より早く終わるというのは驚きだが、そうなったというのだから信じるしかない。月初めと月の終わりが妻の出番だ。毎月10日を過ぎた頃から家にいることが多くなる。

妻がいるのといないのとでは大きくちがう。一日の過ごし方がちがってくる。あっちもそうだとおもうがこっちもそうだ。特に用のある日はそうでもないが用のない日はそれはそれで困る。

ここ数日、コロナで仕事も外出も制限されている。というか出かけるのはなるべく控えたいし出かける気もしない。真っ昼間から家にいることになる。ひとりであればなんとか過ごせるがふたりとなるとどうもいけない。長年、夫婦やっていてもそうだ。いや長年、夫婦をやってきたからそうなのか。どっちでもいいが。とにかくそうだ。うちの夫婦の場合はそうだ。

何とか互いに干渉しあわずに過ごしたいものだが。それがなかなか。そうはいかない。そう、いかない。

朝起きたのは僕の方が早かった。キッチンで食洗機から夕べの洗い物の食器を出して食器棚に片付けてたら妻が起きてきた。僕は片付けを済ませ朝食の準備を。妻は僕の横をすり抜けて洗面所へ。僕はコーヒーを入れトースターから焼けた食パンを取り出し皿に乗せリビングへ。妻は洗面を済ませ洗濯物を干しに裏口を出て物干しへ。

それぞれがそれぞれに動く。動いている間はよい。動きが終わったときが干渉ポイントだ。動きを止めるな。いや、動きが止まるような事態は避けねばならぬ。それはお互いに知ってのこと。

僕が朝食を食べ終わる頃、妻は朝食を食べはじめた。僕がノートパソコンを開いた頃、妻は食パンを右手に口を開いた。(略)

さてそれからだ。昼飯までには3時間はある。どうしょうかな。どうするかな。そんなことを思っていたら、妻は買い物に行くという。スーパーへ行くなら午前中の方が混んでないからいまのうちに行ってくるという。それはいい考えだ。僕は賛成を表明する。何気なくする。ここは何気なさが大切だ。大袈裟でもなく、かといって素っ気なくでもなく。自然体で。妻を送り出す。

やった。ひとりだ。待ちに待った時間だ。自由時間。空気が一変する。さてと。FacebookやらTwitterやらGoogleやら、思いつくまま眺めていたら時間がたつのは早いもので気がついたら妻が帰ってきた。早い。

昼食を済ませて、午後は、特にすることもないので草ひきをした。肌寒いがいい天気だ。それに土に触れていると気が晴れる。妻は外には出ずに趣味の押し花に精を出していた。静かだ。よい。(略)

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… そうこうしているうちに日が暮れた。夜明けに見た僕が死んでしまう夢のことや、午後の草ひきの最中にこのまま草ひきをしたまま死んでしまうのもある意味理想的だないいかも知れないなと思ったことなどを今夜の文章筋トレで書こうと思っていたが書きはじめに今朝からのことから書いてしまったもんだからそれが長くなってしまいもうこれからここから夜明けの夢のことや午後に思った草をひいたまま死ぬことなど書く気にはならなくなってしまっている。いまここだ。

夕御飯に熱燗を2合いただいたので多少文章も酔っているかもしれないと思いつつ今日の文章筋トレはこれで終わりにする。

今日で文章筋トレ100日目。記念日だ。けど特別なことは何もなかった。明日からも今日と同じように特別なことは何もなくてもよい。特別なことなど何もないというのがとてもよい一日ということなのかもしれないと最後に言い残して終わる。そやけどこんな終わり方ってちょっと特別なんとちゃうか。知らんけど 1572文字

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