ショートショート(44話)自由意志

~プロローグ~

12月31日。

新宿駅前は雪が舞っていた.。

ローランドのギターアンプを調整しながら、1年前のことを思い出した。

そういえば、去年の12月31日も雪が降っていた。

チューニングをしたギターを鳴らし、音がしっかり調整されていることを確認する。

夢と欲望が交差するこの街で、私はどちらも欲していない。

すでに周りでは何人かの若者が路上ライブを行っていた。

私はCコードをポロリと鳴らして歌い始めた。


~20年前~

暑い夏だった。

カエルが道路で干からびているのを見て、明日は我が身だと思うほどその年の夏は暑かった。

夏休みになり、二つ年上の兄、宗助と私は朝からトランプで神経衰弱をしていた。

その日の戦績は宗助の13勝0敗。
私が勝てないのは今日に限ったことではない。
いつものことなのだ。

宗助は抜群に記憶力が良かった。

「ねえ、兄ちゃん。カード、どうやって覚えてるの?」

『琴美はどうやって覚えてるんだ?』

「そこにはエースがある。そこには5がある。そこにはジャックがある。そんな感じで覚えてるよ」

『そんなんじゃ覚える量が多すぎて、すぐに頭パンクするだろ?』

「うん。気づいたら、全部忘れてる」

『いいか』

宗助は紙と鉛筆をもってきて、ツラツラとメモをした。

A→エ
2→ニ
3→サ
4→シ
5→ゴ
6→ロ
7→ナ
8→ハ
9→キ
10→ト
J→ジ
Q→ク
K→ケ

『こうやって覚えるんだ』

「え?どういうこと」

『最小限の文字で覚えるってこと。例えば、いち、に、さん、よん、よりも、イ二サヨって覚えたほうが楽だろ?』

「あ、確かに」

『よし、それじゃあもう1回戦いくか』

結局、そのあとも私が宗助に勝てることはなかったけれど、少しだけいい勝負にはなった。

居間には父がいつも読んでいた、デカルトの方法序説が置かれていた。

当時、宗助はまだ小学3年生だったけど、時折その本を読んでいた。

宗助は昔から頭が良かった。

検討する難問の一つ一つをできるだけ多くの、
しかも問題をよりよく解くために必要なだけの最小部分に分割すること
デカルト 方法序説



~17年前~

宗助が小学6年生の時のことだ。

市のマラソン大会で宗助が優勝したことがあった。

両親は優勝祝いで寿司を買ってきていて、私もご相伴にあずかっていた。

「兄ちゃんはすごいな、やっぱり」

私がそういうと宗助は

『全然すごくないよ。ちゃんと物理法則に乗っ取って走れば、誰だってある程度足は速くなるよ』

と言った。

「どういうこと?」

『うーん。例えば、よく腕を振って走れって、先生は教えるけど、実際には腕は引くことを意識したほうが推進力で前に進むようになる』

私は頭のなかで走ることをイメージしてみた。

「あ、確かに」

『だろ。あとは、地面に対して身体を垂直に保ったまま走ることも大事だ。前のめりになりすぎると膝に負担がくるし、身体をそり過ぎると推進力がなくなる』

「ちゃんと考えて走ってるんだね」

『うん。あと、俺はもともと遅筋繊維の割合が高いから、先天的にマラソンに向いてるんだ』

「そういえば、今回のマラソンの優勝者は県が主催する来月の大会に出場できるらしいじゃん。お兄ちゃん、もちろんエントリーするんでしょ?」

『しないよ。俺の才能はせいぜい市の大会レベルだから』

「ふーん。そうなんだ。私も何か得意なこと探したいなあ」

『琴美は歌がうまいから、将来は歌手になれよ』

宗助はそう言って屈託なく笑った。

宗助があんなに無邪気に笑ったのは、たぶんあの時が最後だった。

一つのことについては一つの真理しかないのだから、その真理を見つける人はだれでも、それについては人の知りうるかぎりのことを知っているわけである
デカルト 方法序説


~12年前~

宗助は高校2年生になっていた。

県内で最も偏差値の高い高校で、宗助のテストの点数は常にクラスでトップだった。

その頃、私は中学3年で、高校受験の勉強に四苦八苦していた。


「あ~、これじゃあ志望校にいけないよ」

私がそういうと宗助は

『いい加減に、要領よく生きることを覚えろよ』

と言った。

「そんなこと言ったって、頭が悪いんだから仕方ないでしょ」

『確かに地頭の良さは遺伝的な要素もある。だけど、考え方を変えることはできる』

「考え方?」

『ああ。そうだ。例えば、琴美はいま世界史をどうやって勉強してる?』

「世界史の教科書を1ページ目から読み進めてるけど」

『それは非効率な勉強法だな。それに、勉強をする前に立ち止まって考えなくてはいけないことがある。琴美はいま何のために勉強をしているんだ?』

「なんのためって、高校に入学するためだよ」

『そうだ。ここでは高校に入学することが目的だ。高校に入学するためには、何が必要だ?』

「テストの点数がいいこと?」

『そうだ。琴美は世界史の学者になりたいわけじゃない。試験を突破すればいいだけだ』

「うん。そうだけど、それがなんなの?」

『テストを作るのは誰だ?』

「だれって、文部科学省?」

『もっとプリミティブな観点で考えてみろ』

「プリミティブってなに?」

『原始的、根源的という意味だよ』

「うーん。人間?」

『そうだ。テストを作るのは人間だ。つまりな、琴美が世界史のテストを作るとしたらどういう問題を出すかという観点で考えれば、勉強法は変わるはずだ』

「なるほど。私が世界史のテストを作るとしたら、どんな問題を出すかを考えれば、覚える範囲も少なくて済む」

『その通り。そうやって勉強してみな』

「わかった。ありがとう」

宗助は記憶力がいいだけじゃなかった。

ちゃんと考えて、色々なことに取り組んでいた。

その時にまで受け入れ信じていた諸見解すべてにたいしては自分の信念から一度きっぱりと取り除いてみることが最善だ。後になって、ほかのもっとよい見解を改めて取り入れ、前と同じものでも理性の基準に照らして正しくしてから取り入れるためである
デカルト 方法序説



~4年前~

大学を卒業して社会人になった私は、ビジネスの現場でも四苦八苦していた。

営業職に就いたのだが、全く売れない日々が続いていた。

この頃の宗助はというと、上場企業に勤めるエリートサラリーマンで、会社でも一目置かれる存在となっていた。

「あー、全然売れないなあ」

私が居間でそう愚痴をこぼすと宗助は

『いい加減に琴美は考えるということを覚えろ』

と言った。

「考えたって売れないもんは売れないよ」

『売ろうとするから売れないんだよ』

「だって、売らなきゃ売れないじゃん」

『営業職って、どういう仕事だ?』

「ものを売る仕事?」

『その定義だといつまで経っても売れない。正確に定義してみろ』

「正確に定義してみろって言ったって、ものを売ることだって定義としては間違ってないと思うんだけどなあ」

『いいか。詐欺師でもモノは売る。営業職は詐欺か?』

「それは違うけどさあ」

『それなら定義が違うんだ。定義の正しい導き出し方を教えてやる。いいか』

宗助はそういって紙とボールペンを持ってきた。

『まずは世の中にある営業職をすべて具体的に書いてみろ』

「わかった」


車の営業
住宅の営業
広告の営業
ITツール導入の営業
商社の営業
人材の営業


「こんな感じかな?」

『充分だ。さて、ここからは帰納法というやりかたを用いよう。これらの営業は一体なにをしている?』

「うーん。そうだなあ。例えば、車の営業だったら車を欲しい人に売ってるし、住宅の営業だったら家を欲しい人に売っている」

『そうだ。欲している人というのがポイントだ』

「お客さんの課題を解決しようとしてるのかな?」

『そうだ。その通り。琴美はいま何の営業をしているんだ?』

「ITツールを導入して業務負荷を軽減しませんかっていう営業だけど」

『業務負荷の軽減っていうと、具体的にどんな業務の負荷を軽減するんだ?』

「主に経理関係だね」

『そうしたら、アプローチ方法は業務負荷軽減ツールいりませんかっていうんじゃなくて、まずは見込客のヒアリングから始めるべきだ。もしかしたら、課題がないかもしれないだろう?』

「そっか。なるほど」

『あと、大事なことは自社が持ってるサービスだけで解決しようとしないということだ』

「どういうこと?」

『課題を解決するのが仕事なんだから、他社のサービスを紹介したっていい』

「そんなことしても、何の得もないじゃん」

『そうでもないさ。そうすることで信用を得ることができる。営業職って言うのは、いかに顧客から信頼を勝ち取り、その信頼を失わないかっていうことなのさ』

「そっか。確かにそうだよね」

『明日から毎日仕事を始める前に、今日も顧客の課題を解決するぞって、そんな風におもってから仕事をはじめてみな。きっと、考え方や行動が変わるはずだ。』

「ありがとう。そうしてみるよ」


すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、何も見落とさなかったと確信すること
デカルト 方法序説


~2年前~

宗助は家で引きこもることが多くなっていった。

エンジニアにジョブチェンジして、常に自宅で宗助は仕事をしていた。

宗助が最近元気がないことは私にはわかった。

もう何か月も宗助の笑った顔をみてないからだ。

宗助が自室から出るのは食事の時とお風呂の時とトイレの時だけだった。


『なあ、琴美』

「ん?なに?」

『おまえには幼い頃から随分と色々なことを教えた気がするが、もしかしたら俺が間違っていたのかもしれない』

「どういうこと?」

宗助は1冊の本を取り出して見せた。

ルネ・デカルトの方法序説だった。

『俺の考え方の礎はすべてこの本からきている。この本はこの世界に存在するあらゆる真理の導き方が書いてある』

「父さんが好きだったよね。その本」

『ああ。俺もこの本に影響されて人生を生きてきた。確かに、この本を読めば、ありとあらゆる領域で結果を出すことが可能だ。だが、、、、』

「だが?」

『この本によって導きだされた結論、つまり方法はほぼ画一的となる』

「うん。確かにそうかもね」

『その方法をもとに生きるとしたら、そこに自由意志はあるのか?』

「自由意志ってなに?」

『人間はみんな自由意志に従って生きている。だけど、俺は方法序説によって自由意志を奪われた気がする』

「私には難しい話はよくわからないけど、たぶんちょっと疲れてるんだよ。休んだら?」

『ああ。そうだな。確かに疲れている。疲れた時は睡眠をとるのが有効な方法だ』

宗助はそういって、自室へと戻っていった。


あの時に、もしも私に知識があって、宗助のことを理解してあげることができたら、未来は変わっていたのかもしれない。

この会話の1年後、宗助は自室で首を吊って死んだ。

昨年、12月31日のことだった。

私が間違っていることもありうる。金やダイヤモンドだと思っているものも、ただの銅やガラスに過ぎないかもしれない。自分に関することはどれほど勘違いをしやすいか。友人の判断が私たちに好意的であるとき、どれほど疑わしいものになりかねないか、わたしは知っている。
デカルト 方法序説


エピローグ

雪はしんしんと降っていた。

時折立ち止まって私の歌を聴いてくれる人はいたが、CDを買ってくれる人は一人もいなかった。

宗助が亡くなってすぐ、私は会社を辞めた。

おそらくこれは非合理的な判断であっただろう。

しかし、合理的な判断を下し続けた宗助は自害した。

合理主義の先に未来はないと、私は判断したのだ。

合理主義者の行き着く先は自由意志の剥奪であると宗助は言った。

私は宗助のその意見を根底から問い直したい。




今日は寒いなか
私の歌を聴いてくれてありがとうございました。


もう少しで今年も終わりますね。
今年はどんな年でしたか?

私は昨年、兄を自殺で亡くしました。
兄は幼少の頃から何をやっても器用にこなす
自慢の兄でした。

そんな兄も
苦しみながらこの世界を生きていたんだなって
自殺をしてはじめて知りました。

いつも、兄からは教わることばかりでしたが、
今日ははじめて、私が兄に教えようと思います。

これが今日の最後の曲です。聴いて下さい。

自由意志なんてないよ


諸学問において将来どんな進歩を成しとげる希望を持っているのか、わたしはここで個別的に語ろうとは思わないし、完成できる自信のないような約束を一つでもして公衆に責任を負いたくもない。だが、次のことだけはいっておこう。わたしは生きるために残っている時間を、自然についての一定の知識を得ようと努める以外には使うまいと決心した。
デカルト 方法序説





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