2300年も前にエピクロスは世界を救う方法を知っていた。
最近、世界を救う方法がわかった。
それは、何にも囚われないことだ。
私が38年かけて辿り着いた結論に、エピクロスは2300年前に気付いていた。
僕らがいま悩んでいることや、考えていることの結論は遥か昔、人類の先輩が答えを出している。
だけど、僕らは結論だけ聞いてもその結論を受け入れようとはしない。
僕ら人間はいつだって、これまで生きてきた過程のなかでしか思考を巡らせることができない生き物だ。
そういった意味では経験を重視したイギリス経験論は正しいと思う。
自ら考えることは勿論大事だが、先人たちの知恵を借りるほうが効率的なことも多い。
ちなみに自ら考えることの重要性は大陸合理論が説いているのだから哲学は偉大な学問である。
自ら考えて行動を起こし、経験をすることで自身の考えは確立する。そして、あらゆることを経験した先にあるのは無(悟り)の境地。
大なり小なり、まっすぐ歩いた人間が行き着く先は決まっているのかもしれない。
最近、ニーチェが言ってた「人はラクダから獅子になり、最後は幼子になる」という意味がよくわかる。幼子というのは何にも囚われていないということなのだろう。
ニーチェの失敗は理論のトップだけを見せようとしたことにあるとおもう。
もっと、順序だてて分かりやすく民衆に説明できたなら、きっとニーチェは正気であるうちに陽の目を見ることができたろう。
どんなに早くまっすぐ歩く人間であっても、過去には似たような人がすでにいて、先人たちが歩いた道をなぞってるにすぎない。
同じところをクルクルと歩き回っていたり、立ち止まっている人たちは先人たちの知恵に行き着くこともできない。
そして、世界を救う方法はわかっても、世界を救うマインドになるには経験がいるのだ。
神よ。
きっとあなたは、世界を救うことが不可能なようにこの世界を設計された。
それはなぜかというと、問題は難しければ難しいほど面白いからですか?
失礼。
そもそもあなたに意思など存在しませんでしたね。
あなたは無限で私は有限。
有限の私が考えることなど、無限のあなたには及びません。
とりあえず宣言します。
私はこの先、なににも囚われず生きていきます。
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