ショートショート(27話目)スプリンター
『走る』というのは実に単純な作業だ。
速く走る際に意識すべきことは、まず身体と地面とを垂直に保つこと。
前傾姿勢になると背筋に力が入らないし、のけ反ってしまうと前に進む推進力が弱くなる。
また、体育の授業で「腕を振れ」というアドバイスをする教師は多いが、あれは間違いだ。正確には「適切なタイミングで腕を引け」というアドバイスが正しい。走りながら腕をひけば、身体が前に進む推進力で腕は元のポジションに戻る。左足が地面から離れた瞬間に左腕を引く。右足、右腕も同様だ。そうすることで前に進もうとする推進力が増す。
これほど単純な作業にも関わらず『人が走ることを観る』ことには大きな需要がある。
もっとも、私も走ることに魅せられて陸上競技をはじめたうちの1人だ。
私が陸上をはじめたきっかけは2008年の北京オリンピックだった。
北京オリンピックの100m決勝は私にとって忘れられない衝撃的なレースだった。
このレースには前世界記録保持者のアサファ・パウエルと、今大会で絶好調だったリチャード・トンプソン、そしてウサイン・ボルトと役者が揃っていた。
号砲と同時にウサイン・ボルトとリチャード・トンプソンが飛び出し、50mをすぎたところでウサイン・ボルトが抜け出し、70mを過ぎた頃にはウサイン・ボルト以外の選手が止まってみえた。そして、最後はカニ走りをして、ウサインボルトは9秒68という世界新記録でゴール線を駆け抜けた。
人類未踏の9.6秒台。
わずかゼロ コンマ レーイチ秒の違いで、私は熱狂した。
当時、8歳だった私はその夜、近くの公園の空き地で走った。
ウサイン・ボルトのようになりたかった。
~2028年 東京国際フォーラム~
2028年ロサンゼルスオリンピックで金メダルを獲得した私は、トークショーのイベントに呼ばれて東京国際フォーラムにいた。
会場には5000人の観客がつめかけていて、私が入場すると割れんばかりの拍手が巻き起こった。
観衆が静まりかえったのを見計らって、トークイベントは始まった。
「ようこそいらっしゃいました。本日はよろしくお願いします」
『こちらこそ、よろしくお願いします』
「まずはロサンゼルスオリンピックでの金メダルおめでとうございます」
『ありがとうございます』
「優勝したときはどんな気分でしたか?」
『嬉しかったですよ。いままでの苦労が報われた気分でした』
「いままでで一番大変だったことは何ですか?」
『練習ですね。練習がつらくて、本当に何度も逃げ出しそうになりました』
「そうなんですね。ちなみに、陸上をはじめられたきっかけって何でしたか?」
『2008年の北京オリンピックを観たのがきっかけです。あの日の100m決勝はいまだに覚えています』
「100m決勝をみて、ご自身も陸上競技をはじめられたのですね」
『はい。そうです』
「なるほど。100m決勝を観て感動したなら、短距離走を選択しそうなものですが、なぜフルマラソンという種目を選んだのですか?」
『はじめは短距離をやっていました。でも、才能がなくて、どんなに努力しても速く走ることができなかったんです。知ってますか?短距離型か長距離型かって、生まれつき殆ど決まってるってこと』
「知りませんでした。そうなんですか?」
『はい。筋肉には短距離が得意な速筋繊維と長距離が得意な遅筋繊維というのがあるんですが、生まれつきこの割合は決まっていて生涯でほとんど変わりません。だから、生まれつき長距離型だった私は、どれだけ頑張っても短距離選手として結果を出すことは不可能だったんです』
「それは、なんだかとても残酷な話ですね」
『そうですね。世界はいつだって残酷ですよ』
「短距離走に憧れて陸上競技をはじめたのであれば、長距離走に移行するとき、モチベーションは下がりませんでしたか?」
『下がりましたよ。ものすごく下がりました。でも、どれだけ努力しても結果がでない状況よりははるかにマシです』
「そうですよね。努力しても、結果がでないのは苦しいですもんね」
『はい。ただ、だからといって適性がなければ諦めろと言ってるわけではないんです。私はウサイン・ボルト選手を尊敬していますが、彼は脊椎側彎症をわずらっていて、それで肩を大きく上下しなくていけないフォームだったんです。骨盤が肩とのバランスをとるために大きく揺れ動くために、ハムストリングに大きな負担をかけ、彼は肉離れによく悩まされていました。ただ、彼はそのハンデを乗り越えて世界記録を打ち立てました。結果を出すためには、自分の適性を知ることと、挑戦を続けること。この2つが大切だと思います』
ダクトの動く音がわかるほど、会場は静まり返っていた。
トークイベントは続いた。
普段は何を食べているのか?
休みの日はなにをしているのか?
どんな練習をしてきたのか?
私は回答を続けた。
すべてが合理的な回答だったため、観衆からしたら面白い答えではなかったかもしれない。
しかし、ものごとで結果を出すということは基本的には合理性の追求だ。
私はこの20年間、ずっと合理的に生きてきた。
だから、楽しい思い出なんてほとんどない。
トークイベントも終盤に差し掛かった。
「今日は色々なお話をありがとうございました。最後に、これからの目標などがあれば教えて頂けますか?」
『はい。実は、今回のオリンピックをもって現役を退こうと思っています。いままでオリンピックの金メダルを目標にして生きてきたのですが、その目標が果たされたので、陸上はやめます。これからは、恋愛もして、結婚もして、子供も欲しいし、そんな日常を送りたいなと思っています』
オリンピックでの金メダル獲得は確かに私に喜びをくれた。
しかし、その後にきた感情は虚無感と喪失感だった。
あんなに欲しかった金メダルなのに、手に入ったらいらなくなる。
本当に人間はおかしな生き物だ。
トークイベントが終わり、会場からは拍手が鳴り響いた。
私は手を振って、観客に応えた。
~トークイベント終了後~
外は風が吹いていた。
履いていたスカートが揺れている。
会場をでてすぐ、一人の男の子が私に話しかけてきた。
「あの、僕はあなたの走りをみて感動して陸上競技をはじめました。今日の話、とても勉強になりました。僕も、オリンピックで金メダルをとれるように頑張ります!」
私にとって、陸上人生は殆どが辛い思い出だ。
だけど、私が走ったことで、知らず知らずのうちに誰かにやる気を与えたりすることだってある。
私は男の子の肩をポンと叩き
『期待してるよ。未来のヒーロー君』
と言った。
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