ショートショート(26話目)あの日の自分
そろそろ彼がくる時間だ。
11月の銀座にビル風が吹いた。
冬を感じさせる冷たい風だった。
『あの...』
背後から声をかけられる。
AM7時15分。
予定通りだ。
僕は振り向いて彼に言った。
「やあ。20年前の僕だね。この時代にようこそ」
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「君がくることは知っていたよ。なにせ君は20年前の僕だからね。僕は20年前にいまの僕に会った。だから、僕は君になにを話すか20年前から分かっていたし、その時の話の内容を変えるつもりはない。そして、君は20年後にいまの僕と全く同じ話をするだろう。だから、これから話す内容はよく覚えておくといい」
20年前の僕はオレンジジュースの入ったコップを持ちながら僕の話を聴いていた。
僕がコーヒーを飲めるようになったのは20歳を過ぎてからだ。
16歳の僕にとって、コーヒーはただ黒くて苦い不味い飲み物だった。
「最初に質問を受け付けよう。君は自分の未来が気になってここにきた。そうだね?」
『はい。そうです』
「では、質問があればどうぞ」
『僕は、プロ野球選手になれますか?』
「残念ながらプロ野球選手にはなれない。君は来年、すなわち17歳の時に肘を壊す。甲子園にも行けない。君の高校生活における最高成績は県大会ベスト4だ」
『それならば、肘を酷使しすぎないように気を付ければいいのではないですか?』
「確かに、投げすぎに気を付ければ肘は壊さないかもしれない。しかし、それでも君がプロ野球選手になることはない」
『なぜです?』
「君はいま、高校1年生にして140km近い速球を投げることができている。これはすごいことだ。しかし、君は早熟で、すでに肉体的な成長の限界を迎えているため、来年も140kmほどのストレートしか投げることができない。それに加えて多彩な変化球を投げる器用さもなければ、コントロールもよくない。プロの世界をみたまえ。150kmを超えるストレートを投げる投手でさえも、その他に武器がなければ活躍できていないだろう。アマチュアで少し凄い選手というだけで、プロになれるほど甘い世界ではないのだよ。それに、、、」
『それに?』
「真にプロで活躍する選手は高校で肘なんて壊さない。無事これ名馬というこ言葉があるが、故障に強いことがプロになる条件だからだ」
『未来は、変わる可能性はあるのですか?』
「残念ながら、どれだけ抗っても未来は変わらない。君の時代にはじめてタイムマシンができたが、いまタイムマシンを使っている者は殆どいない。その理由は、未来を変えることができないと分かったからだ」
『僕は、、、、。僕はこれからどうやって生きていけばいいですか?』
「自由に生きたまえ。思った通りに、感じた通りに生きるといい」
『肘を壊して、プロ野球選手にはなれない。その未来がわかっていながら、僕は肘を壊すんですね』
「君の性格ならそうなるだろう。いま、君は心の中で思っているはずだ。それでも未来は変えられると。しかし、君の精神力が肉体を凌駕した結果、君は肘を壊すことになる。残酷だが、それが事実だ」
『いま、あなたはなにをしているんですか?』
「サラリーマンだ。名前を聴けば、誰もが知ってる会社に勤めている」
『僕は、サラリーマンになんかなりたくありません』
「そうやって君は、サラリーマンを馬鹿にしていたね。いや、正確には20年前の僕は確かにそう思っていた。でも、よく考えてもみたまえ。君がいま着ている服は、工場勤務のサラリーマンが作ったものだ。履いてる靴もそうだ。君の目の前にあるオレンジジュースも、君の横に置いている鞄だってそうだ。君は、サラリーマンの人たちの恩恵をうけて生きているのに、君はサラリーマンを馬鹿にする。20年前の僕は、そんなことも知らない世間知らずの野球馬鹿だったと、いま思い出したよ」
『確かにそうかもしれません。すいませんでした。ただ、、、。』
「ただ?」
『ただ、僕は自分が特別な人間だって、そう思いたかっただけなのかもしれません』
「君は特別な人間だよ。そして、サラリーマンだってそうだ。みんな特別な人間だ」
『そうですね。確かにそうです。僕は職業差別をしていただけでした』
「君のその素直さは、将来武器になる。高校まで野球しかやってこなかったようなスポーツ馬鹿が、20年後には一流企業に勤めることができているのは、君のその素直さがあったからだ」
『そうでしたか。はい。素直でいようと思います』
「君はこれから野球をあきらめることになる。来年、肘を壊すんだ。そして、大学受験に落ちて一浪する。大学2年生の時に彼女ができるが、ひどい振られ方をする。新卒で受ける就職試験はほとんどが1次面接で落ちるし、やっと入社した会社でも結果が出せず、だいぶ苦労する」
『ひどい人生ですね』
「ああ。そういった経験のなかで君は学ぶんだ。人生にはうまくいかないことがあることを」
『回避することはできないんですか?』
「どうかな?回避できたとしても、僕ならば全て経験するという人生を選択するね。経験したからこそわかることがあるからね」
『なるほど。確かにそうかもしれませんね』
僕は冷めきったホットコーヒーに口をつけた。
窓から見える銀座の街は通勤時間ということもあり賑わいはじめていた。
「一つ、朗報を伝えよう」
『はい』
「君の人生は、とても運がいい。それだけは約束をしよう」
『肘を壊して、彼女に酷い振られ方をして、大学受験に失敗してもですか?』
「ああ。そうだ。僕は20年後の君だ。君は嘘がつけないだろう。もちろん、私もそうだ。その私がいうのだから、信ぴょう性があるだろう」
『はい。そうですね。その言葉を信じることにします』
「禍福は糾える縄の如し、という言葉を知ってるかい?」
『いえ、はじめて聞きました』
「あとで、調べるといい。人生とは、そういうものだよ」
しばしの沈黙があった。
20年前の僕はもっと世間知らずで非常識な人間だと思っていたけれど、意外にも礼儀正しさを持った好漢だった。
「さて、そろそろ会社にいかなければいけない。君も元の世界にかえりなさい」
『はい。ありがとうございました。色々と考えるきっかけができました』
「気にすることはないよ。なぜなら、君は僕なんだからね」
そういうと、20年前の僕は少し笑った。
私も笑った。
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未来は変えられない。
そして、過去も。
人生は1回きりでやりなおしはきかないし
挑戦すれば失敗は避けられない。
それでも、僕は僕の人生を愛している。
未来はすぐにやってくる。
そして、
『成し遂げたい未来を叶えること』と、『幸せ』は必ずしも一致しない。
幸せとはただの概念で、幸せだと思えば、いまこの瞬間に幸せは存在している。
風が止んだ銀座に太陽の光が差し込む。
摩天楼に太陽の光が反射して、街がきらきらと輝いて見えた。
きっと今日もいい日になる。
そう思いながら、僕は会社へと歩を進めた。