ショートショート(29話目) Change (B side)

窓から陽が差していた。

時計を見ると、4時30分だった。

今日は寝ずに学校にいくことになりそうだ。

昨晩、チョークパステルを手にとったのは確か23時だった。

もう、あれから5時間以上も作品を描いていたことになる。

完成したのはフランスのジヴェルニー地方にある草原の風景画だった。

印象派の父と呼ばれたクロードモネが終の棲家に選んだジヴェルニー。

（いつか、いけるといいな）

そんなことを思った。

明日は雨が降るらしい。

気圧が低くなると、割れるように頭が痛くなる。

だから、雨の日は嫌いだ。

ここ最近の暴力的な暑さも嫌いだ。

暑いと体調が悪くなる。

もちろん、寒くても体調は悪くなる。

春は花粉症で辛いし、夏は暑くて苦手だし、秋は台風がくるのが怖くて、冬は寒くて寂しい気持ちになる。

私にとって、快適に過ごせる季節は日本にはない。

（フランスって、どんなところなんだろう）

私にも、快適に過ごせる場所はあるのかなあ。

～～～

スマホのアラームが鳴った。

気付くと、朝の7時30分になっていた。

さっきまで4時30分だったのに。

私には、たまに時間が飛ぶときがあった。

このことを私は『ワープ』と呼んでいる。

だから、スマホでは毎日7時30分にアラームをセットしている。

アラームが鳴ったら、制服に着替えて、鞄をもって自宅を出る。

このルーティーンを、もう何年もやっている。

昨日同様に外は暑くて、太陽が私を殺そうとしているのではないかと思った。

別に、死んじゃってもいいけどさ。

いっそのこと殺してくれれば楽になるのに。

そんなことを思いながら歩き、学校についた。

教室の扉をあけて、窓際の席に座る。

ホームルームが始まる1分前だった。

今日もぎりぎり遅刻しないで済んだ。

廊下側の席のほうで、楽しそうに話す相原の姿があった。

相原岳人。

スポーツも勉強もこなすスーパーマン。

彼はクラスの人気者。

君はいつも笑顔だけど、本当は笑ってないこと、私は知ってるよ。

だって、いつも、顔の右半分が笑ってないもの。

ねえ、知ってる？

作り笑いでごまかせるのって、顔の左半分だけなんだって。

どうやったら、楽しくもないのに笑えるの？

どうやったら、好きでもない勉強ができるの？

なんで君は、興味のないテニスなんてやってるの？

相原は最初の頃、私によく声をかけてくれた。

「どうやったら、そんなうまい絵が描けるの？」とか

「好きな画家っているの？」とか。

私は、きみの質問に答えようとしたけど、緊張して言葉が全然でてこなかった。

あのときはごめんね。

絵がうまい理由なんて、わからないよ。

でも毎日5時間以上描いてるから、それだけやってれば誰でもうまくなるんじゃないかな。

好きな画家はクロード・モネ。

モネの『白い睡蓮』は本当に感動するから、今度見てみて。

そんな会話が、本当はしたかった。

いつでも、私はクラスで孤立している存在。

一人が好きなわけじゃない。

できれば、みんなと友達になりたい。

でも、人と話すとき、ものすごく緊張するの。

だから、緊張して黙っちゃって、それで友達ができたことがない。

（いつか、私にも友達ができるのかなあ…）

学校の授業はいつも退屈。

微分積分も、ルネサンスの歴史も、シダ植物の特徴も、私にとっては何の興味もないの。

他の人は、興味があってこの授業を受けてるの？

それとも、茫漠とした人生の暇つぶし？

学ぶのが好きなら、学校の授業よりもYouTubeを見てたほうがいいよ。

だって、教育のスペシャリストが無料で色々教えてくれるんだから。

私は数学に全く興味がなかったけど、YouTubeでみた『ベイズの定理』はとても面白かったよ。

なんで、面白かったかというと、動画の講師がとても楽しそうに喋っていたから。

教えるのが好きな人が教師になるべきじゃないっていうのが私の持論。

教師は、学ぶのが好きな人がなるべき。

少なくとも、この学校の先生はみんな学ぶのが嫌いみたい。

だって、授業中、みんな顔が死んでるもの。

なんで、あなたたちは教師になろうと思ったの？

そもそも、あなたたちは何のために生きているの？

～～～

5時限目は、美術だった。

その日、私はチョークパステルで湖畔の絵を描いた。

この授業の時だけ、私の周りには人が集まってくる。

みんな「おー」とか「はあー」とか、そんな言葉として成立していない文字を私の近くで発していく。

「すごいね」と横で言われたけど、私は恥ずかしくて何も返事ができなくて、2センチほど頭を下げることがやっとだった。

～～～

長い長い1日が終わって、私は自宅へと帰った。

階段を上って、2階にある私の部屋に入り、制服を脱いでハンガーにかけて、鞄を床に放り投げた。

窓をあけて、外を見る。

私の自宅のまわりでは、いつもテニス部の部員が走っている。

2階の窓から、それをみるのが私は好き。

今日も、相原岳人は先頭だった。

無駄のないランニングフォームからは相原の起用さを伺うことができた。

君は、なにをすれば結果がでるか知っている。

私は経験主義者で、君は合理主義者。

私はニヒリズムで、君はオプティミズム。

ねえ。

もし、私と君との間に子供ができたら、どんな子になるんだろうね。

そのとき、突然眠気に襲われた。

そういえば、もう30時間以上眠っていない。

私は畳の上に寝転んだ。

意識が飛ぶ瞬間だけは、嫌なことを全て忘れられる。

静寂と暗闇が、私の唯一の救い。

～～～

目が覚めると、真っ白の天井があった。

身体をおこすと、知らない部屋。

（ここは、どこ？）

時計をみると6時を示していた。

外が明るいということは朝だ。

眠りに落ちてから12時間以上が経っていた。

いま、自分の身に起きていることを冷静に整理しようと思ったけれど、なかなか考えがまとまらない。

部屋をでて、洗面所をみつけた私は鏡で自分の姿を見た。

（え、嘘…）

鏡に映ったのは、相原岳人だった。

私は笑った。

（なんだ、夢か）

その時、ふいに後ろから声をかけられた。

「あら、今日は起きるの早いわね」

どうやら、相原の母親のようだ

『うん。昨日早めに寝たから、早く起きちゃってね。朝ごはん、作ってくれる？スクランブルエッグがいいな』

すらすらと、魔法のように口から言葉がでてくる。

（嘘、、、。いまの私がしゃべったの？）

「は～い。スクランブルエッグね」

相原の母親は、鼻歌を歌いながらキッチンのほうへ歩いていく。

私は朝食を食べて、制服に着替えて学校へと向かおうとした。

相原がいつも乗っているブリジストンのロードレーサーが玄関においてあった。

ロードレーサー、乗れるよね。
だって、これ夢の中だし。

私はロードレーサーにまたがり、ペダルをこいだ。

ひと漕ぎごとにどんどんスピードがあがっていく。

周りの風景がぼやけて見えるほどの速度で、私は街路樹のある通りを走り抜ける。

（ロードレーサーって、こんなに速いんだ）

瞬く間に学校についた私は、学校の駐輪場に自転車を止めた。

教室についたのはホームルームがはじまる30分前だった。

こんなに早く学校についたのは初めてだった。

まだ、誰もいない教室は静けさに包まれていた。

相原の席に私は座る。

鞄に入っていた相原のノートを、私はみた。

ノートの1ページ目には、書きなぐったような単語がいくつもあった。たぶん、世界史にでてくる人物の名前を必死に覚えようとしたのだろう。

グレゴリウス1世　ローマ教皇
ガイウス・ユリウス・カエサル　「ブルータス　おまえもか」
ムハンマド・イブン＝アブドゥッラーフ　　イスラム教の創始者

その次のページも、その次のページも、相原がインプットしようとした形跡は次々にでてきた。

（相原って天才かと思ってたけど、努力家だったんだ）

しばらくすると、教室が賑わってきた。

田中雄介が私に話しかけてくる。

「よお、相原ぁ。昨日のお笑い実力刃みたかあ？」

（お笑い実力刃って、なに？）

よくわからないけど、たぶん相原ならこういうはず。

『もちろんだよ。まじで最高だったよな』

自然と笑顔が作れた。

と、同時に、おもってもいないことを伝えることに対して罪悪感を覚えた。

「だよなあ。昨日、腹筋ちぎれるかと思ったわあ～」

田中はそういうと満足して、自分の席へと戻っていく。

（友達って、こんな風に嘘をつかないとできないものなのかな）

相原、こんな生き方して、なにが楽しいんだろ。

～～～

学校の授業中、眠くならなかったのは初めてだった。

それに、頭がとてもクリアだ。

相原って、いつもこんな感じなんだ。

授業と授業の間の休み時間、ひっきりなしに私のもとには人が訪れた。

クラスの人気者、相原には一人の時間がない。

友達が欲しいって、ずっと思ってた。

だけど、友達がいすぎるのも大変。

それに、本当の友達が、相原にはいないということもわかった。

自分の言いたいことを我慢して、来る人来る人にただ合わせてるだけ。

（この人生、なにが楽しいの？）

学校の授業が終わり、部活の時間になった。

テニス部では毎日ランニングをすることは知っている。

だって、いつも自宅の２階から見てたから。

私は走った。

相原の身体は走り方を覚えていた。

身体がどんどん前に進んでいく。

（速く走るって、こんな気分なんだ）

次第に肺が苦しくなってくる。

あまりに苦しいので走るのをやめようと思ったけれど、意志に反して身体は走ることを選択していた。

（相原のやつ、自分に厳しすぎだぞ）

ランニングを終えた私は、テニスラケットをもってコートに立った。

相手にサーブを打ち、打ち返され、その繰り返し。

ボールを追いながら、私は『これの何が楽しいの？』と思った。

～～～

相原の自宅に帰宅すると、私はすぐにベッドに横になった。

（クラスの人気者を維持するのって大変）

私は相原みたいに、たくさん友達が欲しかった。

でも、それは無いものねだりだっただけ。

うわべだけの友達なんて、いらない。

相原の太ももや、ふくらはぎを触ってみる。

酷使され続けた筋肉は、弾力があって、力をいれると鋼鉄のように固くなった。

相原は、常に自分に厳しい。

私とは大違いだ。

心地よい疲労感が、私を眠りにいざなう。

いつもは五月蝿い蝉の声が、今日は心地よかった。

～～～

アラームが鳴っていた。

目を覚ますと、木目調の天井がみえた。

私はスマホのアラームを止めた。

時刻は7時30分だった。

（やっぱり、夢か）

ふと、違和感があった。

確か、昨日は水曜日だったはず。

だけど、今日は金曜日。

確か、夢の中で私は木曜日を過ごしていた。

つまり…。

夢じゃなかったんだ。

私は制服に着替えて、学校へと向かった。

空は快晴だったけど、天気予報では降水確率が50％らしい。

いつもより、少し空が青く見えるのは気のせいだろうか。

教室についたのは5分前だった。

いつもより、少し余裕をもって到着することができた。

私は窓際の席に座って、1時限目の準備をした。

すると、私の横に相原が立っていて「なあ」と言った。

心臓が一気に高鳴って、言葉が出てこなかった私は、少しだけ顔をあげて相原を見上げた。

「今度の日曜日、予定空いてるか？気になっている映画があるんだ。一緒に観に行かないか？」

周囲が一気にざわつく。

いつもの、にやけた顔の相原ではなかった。

『部活、忙しいんじゃないの？』

私は必死に声を振り絞ってそういった。

「部活は休む。風邪ひいたっていってな。で、日曜は空いてるのか？」

『う、うん。空いてるよ、、、』

「そしたら、朝の9時におまえんち迎えいくから。宜しくな」

相原は真顔でそういって、くるりと振り返って席に帰っていった。

上がり切った脈拍はなかなか収まらなかった。

はじめてのデート。

実は、相原のこと、好きだった。

日曜日、どんな話をしよう。

「木曜日に1日だけ、私はあなたになったんだよ」
とか、そんな話がいいかな。

でも、それだと気持ち悪がられるかもしれない。

開いていた窓の隙間から、湿った風が入ってきた。

（日曜日は雨が降りませんように）

そう願いながら、私は遠くにある雲を眺めた。

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